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舞の贄



<17>



 ドンと低く鳴り響いた音に驚いた融と正志が、何事だというように丞を見つめる。

 危機感の無い彼らの顔を見返し、丞は大きくため息をついた。

「融、正志、こいつの悪知恵に乗せられるんじゃない。
 ……疲れた、俺はもう帰るぞ」

 そう言って立ち上がった丞は、困惑したように見上げてくる玲熙に訊ねた。

「おまえはどうする、玲熙?」

「──そうだね、僕も一緒に帰るよ。ナナシにも会いたいし……」 

 少し照れたように微笑む玲熙を見つめていた融が、大きく背伸びをして立ち上がった。

「俺も帰ろうっと。部活って気分じゃないよなあ、誰かさんのせいでさ」

 融がちらりとアルラウドを睨むと、興味深そうに丞と玲熙を見つめていたアルラウドは、そんな皮肉など気にした風もなく、丞に話しかけた。

「おい、俺を放っていく気か、タスク?
 晩飯を食わしてくれるって言ったじゃないか」

 突然飛び出した言葉に驚き、丞は謎めいた微笑を浮かべているアルラウドを、思わずまじまじと見返していた。

「──おまえ、今日、来る気だったのか?」

「おや、アポが必要だったか?」

 いたって無邪気に首を傾げるアルラウドを見下ろし、丞は広い肩をすくめた。

「そういうわけじゃないが……」

「じゃあ、別に構わないだろう?
 フランス料理のフルコースなんて、おまえに期待しているわけじゃないんだからな」

「誰が作るか、そんなもの」

 くすくすと笑うアルラウドを軽く睨んだ丞は、少し考え込むように宙を仰いだ。

「……まあ、いいか。どうせ今日から父さんも出張だしな」

 その言葉を聞いた途端、融がぱあっと顔を輝かせた。

「あ、いいな〜、俺も遊びに行きたいかも。
 どうせ明日休みだしさ、去年の夏休みに残っちゃった花火、ついでにやっちまわない?
 ──玲熙も来るだろ?」

 自分の提案が、すぐに決定事項になったかのように、融は玲熙に問いかけた。

 いきなりの質問に呆気にとられていた玲熙は、苦笑をしている丞の顔を戸惑ったように見上げ、わずかに首を傾げる。

「楽しそうだけど……でも、丞が大変でしょ?」

「融が来るなら、あと一人増えても構わないぞ。
 と言うより、どうせなら手伝ってもらえると助かるな」

 いつも消極的で内気な玲熙が、少しずつ自分の気持ちを言葉に乗せる。

 それを不思議なほど嬉しく思いながら、丞は琥珀色の瞳を和ませた。

「……そう。じゃあ、僕も行こうかな」

 玲熙が嬉しそうに淡く微笑むのを見て、丞も微笑を唇に刻んだ。

 その様子を沈黙して見守っていたアルラウドは、一瞬訝しむように片眉をつり上げたが、ややあってから形の良い端整な唇に笑みを浮かべた。

「じゃあさ、丞ん家の前の浜辺で、バーベキューにしようぜ。
 今日は真夏みたいないい天気だし、その方が丞も気楽だろ?」

 融が再び提案すると、丞はしばらく考え込み、やがてうなずいた。

「そうだな──アルはそれでもいいのか?」

「不味くなければな。かえってその方が安心できるかもしれん」

 両腕を組んでいたアルラウドは、まるで王侯貴族のように傲慢な態度でうなずいた。

「……いちいちムカつくヤツだな、あんた。
 その口の悪さ、どうにかしたら?」

 むっとしたように融が唇をねじ曲げて睨むと、不意にアルラウドは驚くほど優しげな微笑を浮かべ、鮮やかな南洋の双眸で融を見つめた。

 予想外の反応に驚き、融が思わず仰け反る。

 アルラウドはすっと長い両腕を伸ばすと、融の頬をきつく指先でつまみ上げた。

「いっ! イテテテッ…!! ──な、なにふんだよ!」

「小猿のくせに生意気な口をきくな。
 調教が必要だぞ、おまえにはな」

 むにっと融の唇を大きく横に引っ張りながら、アルラウドは極めて冷酷な声音で告げた。

 爽やかな初夏の空気に、いきなり極寒のブリザードが吹き込んでくる。

 その変貌に愕然としながらも、融は必死で抵抗を試みた。

「……は、はなひぇ!」

「ふん──見れば見るほど小猿だな。このまま檻に突っ込んでやろうか?」

 嘲るように鼻を鳴らし、ぞっとするほど美しい極悪な微笑みを浮かべたアルラウドは、鮮やかな紺碧の双眸をうっとりと細めた。

 悪魔のように禍々しく笑うアルラウドを、涙目になった融は必死で睨みつける。

 しかし両頬を引っ張られているため、どこからどう見ても間抜けにしか見えなかった。

 2人のやり取りを見ていた丞は、深い嘆息をもらし、指先で額を押さえた。

「もう止めろ、アルラウド。言っとくが、家に来る以上は、おまえにも手伝わせるからな」

 丞の言葉を聞き、ぱっと融の頬から手を放したアルラウドは、その言葉に本気で驚いたように双眸を瞠った。

「──手伝い? この俺が?」

「嫌なら来るな。アポ無しなんだから、そのぐらいは我慢しろ」

 あっさりと突き放すような丞の言葉を聞き、アルラウドは深刻に悩むかのように、眉間に深い皺を寄せて考え込んだ。

 その悩める姿を見て、丞は思わず笑いだしそうになる。

 プライドがエベレスト山よりも高いアルラウドが、何に葛藤しているのか、その言葉を聞かなくても判るような気がした。

「──よかろう。仕方がないから手伝ってやる。ありがたく思えよ」

「威張って言うほどの事か、こんな事が」

 ようやく結論を出したアルラウドの言葉に、丞は呆れて苦笑をもらした。

 するとアルラウドは胸を反らし、唇の片端をつり上げて、いたって尊大に笑った。

「俺は今まで、人の手伝いなんぞ一度もしたことがない」

「……威張れることか、それが?」

 思わず脱力感を覚えた丞を見返し、アルラウドはふふんと鼻先で笑った。

「俺の仕事は、下々に命令する事だ。手伝いをするのは下々の仕事だろうが」

 アルラウドは、さも当たり前というように、そう言ってのけた。

 唯我独尊を絵に描いたような態度に、さすがの融も言葉を失い、傍観していた玲熙と正志は唖然として華やかな美貌を持つ留学生を見つめている。

 まったく悪気の無さそうなアルラウドの傲岸不遜な態度に、丞は先が思いやられるような気がした。