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舞の贄



<18>



 真夏を思わせるような日中の熱さではあったが、夕刻になってくると徐々に涼しい風が海から吹き上げてくるようになった。

 だいぶ日暮れは遅くなっているものの、それでも6時前には薄暗くなっている。

 峰月家の前に広がる砂浜も、夏ともなればバーベキューや花火を楽しむ家族連れがいるのだが、さすがにまだ5月であるため、丞たち以外に人影はなかった。

「──おい、小猿! もっと炭を持ってこい」

「だから、小猿って呼ぶんじゃねえ! 俺には融って立派な名前があるんだ!」

「小猿は小猿だろうが。何をぼさっとしている、とっとと働け!」

 砂浜に座り込んで大騒ぎをしているアルラウドと融を眺めながら、丞は軽く首を振り、思わずため息をついていた。

「──アルラウドは、いいオモチャを見つけたと思ってるな」

 すると、隣を歩いていた玲熙がくすくすとおかしそうな笑い声を立てた。

「でも、何だか2人とも楽しそうだよ」

「……そうだな。アルのあんな顔、俺も初めて見たぞ」

「丞が言ってるほど、彼は悪い人には見えないんだけどな。
 ちょっと、我が儘そうだけれどね」

 玲熙のその言葉に、丞は素直にうなずくことができず、複雑な苦笑を浮かべた。

 父親の司がアメリカ赴任になった2年間、ほぼそれと重なるようにして、丞はアルラウドを傍で見てきた。

 出会いは最悪であり、絶対に二度と関わり合いになるまいと決心したはずであったのに、何故かアルラウドに奇妙なほど懐かれてしまったのだ。

 それ以降、丞が日本に帰国するまでの間、アルラウドは丞を連れ回し、本来であれば経験することもなかったような事件にいろいろと巻き込んでくれたのである。

 しかし、ずっと傍でその破天荒ぶりを見てきた丞でさえ、今のアルラウドは別人のように明るく、子供のように無邪気に見えた。

「──おい、そろそろ焼き始めるぞ」

 肉や魚、野菜をふんだんに盛った大皿を手に、丞は炭火を調整しているらしい2人に声をかけた。

「まったく、この小猿は要領が悪いな」

 Tシャツに麻のパンツという涼しげな格好をしたアルラウドは、プラチナブロンドの前髪を掻き上げながら立ち上がった。

 炭の前にずっと座り込んでいたせいか、白い額に汗の珠が浮かんでいる。

 しかし、いつもはどこか冷ややかにさえ見える美貌が、今は屈託のない晴々とした笑顔になっていた。

 年相応の輝きを放つアルラウドの蒼瞳を、丞は思わずまじまじと見つめた。

「だ〜か〜ら〜! 俺は小猿じゃねえ〜っ!!」

 融が両手の拳を握りしめて叫くのを琥珀の瞳で見下ろし、丞はアルラウドに言った。

「いい加減、名前で呼んでやったらどうだ?」

 しかしアルラウドは顔をわずかに背け、ふふんと鼻で笑った。

「俺は呼びたいように呼んでいるだけだ。それが悪いか?」

 額の汗を指先で弾いたアルラウドは、むくれている融を鮮やかな双眸で一瞥し、突然声をひそめて英語で丞に話しかけた。

「──実際、これはからかうと非常におもしろい。
 ペットにするにはいたって手頃だな。
 帰国する時、一緒に連れて帰れないか?」

「バカを言うな。
 融は俺の友達だぞ、おまえの悪趣味に付き合わせられるか」

「悪趣味とはひどいね。
 俺の高尚な趣味が理解できんとは、おまえは相変わらずの堅物だな」

「俺は小市民だから、おまえの高尚な趣味が理解できなくてもいいんだ」

 丞の言葉を聞いてくすくすと笑ったアルラウドは、両腕を伸ばして大きく背伸びをした。

「まあ、どうせしばらくは俺も日本暮らしだ──この話はおあずけだな。
 早く食おうぜ、腹が減ってしかたがないんだ」

「ほとんど融がやっていたように見えたがな。
 お前は横で指図していただけだろうが」

「それが俺の本業だ」

 至極あっさりと言い切り、アルラウドは声を立てて笑った。

 話すだけ無駄だと諦めた丞は、炭の上に置いた鉄網の上に肉や魚を置き始めた。

 その横に設置された簡易式のテーブルの上に、取り皿を盛ってきていた玲熙が食事の用意を進めていく。

 砂浜にしゃがみこんで砂に八つ当たりをしている融を見下ろし、玲熙は笑みを含んだ声で話しかけた。

「融、ほら、いつまでもすねてないで、飲み物を用意してくれる?」

「でもさあ、玲熙。あいつってば、小猿、小猿ってひどいと思わない?」

「からかわれてるだけだよ。
 融がムキになるから、余計に面白がっているんじゃない?
 融が気にしなければいいと思うんだけど」

「そうなのかなあ……なあ、俺って、そんなに猿に似てる?」

 融があまりにも真面目な、真剣な顔で聞いてきたため、玲熙は思わず吹き出しそうになってしまった。

 しかしそれでは幼馴染みを傷つけてしまうと思い、必死で笑いを堪えた。

「大丈夫、猿には全然似てないよ」

「──そうだよな……そうだよ、やっぱり猿じゃないよな」

 玲熙の言葉に納得したようにうなずくと、融は途端に上機嫌になった。

 そして軽い足どりでクーラーボックスの方へと向かっていく。

「──単純なヤツだな」

 いつの間にか玲熙の傍らに立っていたアルラウドが、嘲笑うような口調で言った。

 横に立たれたというのに彼の気配を全く感じなかった玲熙は、心底驚いてしまい、微笑を浮かべているアルラウドを呆然と見上げた。

「……あまり、融をからかわないで下さい。
 本気で怒ってたし、落ち込んでいましたから」

 気を取り直し、融をかばうように玲熙が静かな声で告げると、アルラウドは邪気の感じられない明るい表情でにこりと微笑んだ。

「あなたがそう言うのなら、美しい人」

 照れる様子もなくそう言い、近くの椅子に優雅に腰掛けたアルラウドは、テーブルの上にあった玲熙の白い手に己の手を重ねた。

 突然の事に混乱し、玲熙は身動きもできずにアルラウドを見下ろした。

 あたかも太陽神アポロンのような容姿を持つ美青年は、その眩い碧瞳を細めて玲熙を見上げ、囁くような低い声で訊ねた。

「レイキ──あなたは、今、誰に恋をしているんだ?」

 ぞくり……と背中に訳の分からない震えが走り、星の瞬く夜空の双眸を愕然と瞠っていた玲熙は、慌てて手を引っ込めた。

「……恋?」

 思わず問い返すと、アルラウドの双眸が、不意に暗い光を放った。

「タスクのことは嫌い?」

 明るい南洋の蒼瞳の持つ妖しい魔力に囚われたかのように、玲熙は声を出すこともできず、恐ろしいほどに整ったアルラウドの秀麗な顔を見下ろしていた。

「……丞は──僕の……とても大切な…友達です」

「──それだけ?」

 玲熙が辛うじてそれだけを口にすると、アルラウドが双眸を眇め、瞳を剣呑に光らせた。