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舞の贄



<19>



「──おい、アルラウド。食べるんだったら、自分の皿ぐらい寄こせ」

 その時、あたかも呪縛を断ち切るようなタイミングで丞が声を上げ、アルラウドはふいと玲熙から視線を逸らした。

 その途端、深い双眸の魔力から解放され、玲熙はほっとため息をついた。

 アルラウドの瞳にじっと見つめられていると、底知れぬ海底を覗き込んでしまったように、己の思惟が吸い込まれそうな気分になる。

 そして、考えている事を全て見透かされているような錯覚──。

「恋」という言葉を聞いた瞬間、丞の笑顔を思い浮かべてしまった玲熙に、アルラウドはあたかもその想いを察しているような問いを返してきた。

(──丞のこと、嫌いになんてなれない。
 何時だって丞は僕の味方になってくれた。
 でもそれは、僕の事を友達だって思ってくれているからで……)

 だが、玲熙は素直に「好きだ」とは答えられなかった。

 言ってしまえば、今の穏やかな関係が崩れてしまうのではないかと、そんな不安が胸に暗い影を落とす。

(……丞が僕の事を友達だって言ってくれるのは嬉しいはずなのに──。
 どうしてこんな重い気分になるんだろう)

 丞は誰に対しても優しく、公平で──だからこそ友人も多い。

 もともと内気で、人と打ち解けるまでに時間のかかってしまう玲熙と違い、竜桜学園に編入してきてからたった1ヶ月の間で、彼はクラスどころか学校中の人気者になった。

 丞はどこに行っても、自然に人の輪の中心になる──そして、独りでも生きていけるだけの強さを持っている。

 だが自分は、丞がいなければクラスメイトと仲良くなることすらできなかった。

 そして、この暖かな居心地の良さを覚えてしまった後ではきっと、孤独になることにもう耐えられないだろう。

(丞は、多分、東京の大学に進むんだろう──でも、僕は……ここから離れられない)

 この小さな沖月島から、隠岐宮家から──絶対に逃げることなどできないのだ。

 受験の終わる2年後には、この友人関係もバラバラになって、丞はまた新しい場所で、新しい友達を作るのだろう。

 そして、そこに自分は入り込むことはできない。

 そこまで考えた瞬間、玲熙は、チリチリと胸の内を焼かれるような痛みを感じた。

 丞とアルラウドの広い背中を見つめていた玲熙は、胸に降り積もった重みを吐き出すように、ほっと深い吐息をついたのだった。



 食事の間中、アルラウドは他の3人に様々な話を語って聞かせた。

 彼の話題は多岐に渡り、機知に富んでいた。

 話術も非常に巧みであり、今まで一度も海外に行ったことの無い玲熙と融は、いつの間にか引き込まれるようにして話を聞いていた。

「……いいな〜。俺も海外旅行をしてみたい」

 融がぽつりと呟くと、アルラウドは声を立てて笑った。

「聞いただろう、タスク。
 小猿が海外に行きたいと言っている。
 ──おい、小猿、俺と一緒に日本を離れるか?」

 それを聞いた途端、融は苦虫を噛みつぶしたような渋い表情になった。

「あんたと一緒だけは、絶対に嫌だね」

「おや、そいつは残念だな──せっかく、躾をしてやろうと思ったのに」

 不穏なセリフを口にしながら、アルラウドはもう一度笑い、丞を横目で見やった。

「他に何か酒は無いのか? ビールだけじゃ、つまらん」

「ビールを出してやっただけでもありがたく思え。
 だいたい、酒が飲みたかったなら、どうして自分で持ってこない」

 呆れたように丞がアルラウドを軽く睨むと、アルラウドは皮肉っぽく唇をつり上げた。

「気の利かないホストだな、おまえは。
 ……せめて、ウィスキーくらいは置いていないのか?」

「あのなあ……一応、今の日本では、20歳以上じゃないと酒は飲んじゃいけないんだぜ。
 どれくらいの高校生が守ってるかは謎だけどさ」

 鶏肉を囓りながら融が口を挟むと、思い出したように眉をつり上げ、丞は苦笑した。

「そう言えば、そうだったな──俺もすっかり忘れていたぞ」

「そりゃあ、丞だって大酒呑みだもんな。
 いつだったか、ブランデーの飲み過ぎで、二日酔いにかかってただろ?」

「なんだ、ブランデーがあるのか。それならそうと言ってくれ」

 融の言葉を聞いた途端、アルラウドが嬉しそうな表情を浮かべた。

 丞は琥珀の双眸でアルラウドを見つめると、諦めたように嘆息をもらした。

「──判った、アルラウド。酒をやるから、おまえも一緒に来い」

「どうして、俺も一緒に行かなければならないんだ?」

 訝しげに蒼瞳をすがめたアルラウドに、丞は揶揄するような微笑を向けた。

「おまえから目を離すと、何をしでかすか判らないからな」

 その言葉にアルラウドは憮然とした。

「信用していないのか、この俺を?」

「ああ、まったくね」

 ぶつぶつと不平をこぼすアルラウドを引きつれ、丞は砂浜から道路へと上がる階段を上がると、道路の向かい側にある自宅に入った。

「……古い家だな」

 日本家屋が珍しいのか、アルラウドは興味を示したように、きょろきょろと家の構造を眺め回していた。

「ああ、父さんが気に入ったらしくてな。
 それより、ブランデーでいいのか?」

「他に無いなら仕方がない。
 それより、丞──おまえ、本当にレイキの事、ただの友達だと思っているのか?」

 畳の敷かれた和室を興味深そうに見つめていたアルラウドが、不意にそう訊ねた。

 あまりに唐突な質問に驚き、苦笑しながら、丞は氷を入れたグラスに琥珀色の液体を注ぎ込んだ。

「……いい加減にしつこいな、おまえも」

「しつこくて結構。どうなんだ、答えろ」

「──だから、友達だと何度も言っているだろう」

 大きくため息をつき、淡々とした平静な口調で答えると、アルラウドはぴたりと全ての動作を止め、そしてゆっくりと振り返って丞を見つめた。

「では、レイキは俺が貰うぞ──文句はないな?」

「……バカな事を言うな。玲熙は物じゃないぞ」

 ざわりと胸の奥で物騒な感情が揺らめいたが、それから目を逸らすように、丞はブランデーの瓶を元の棚に戻した。

 自分に背を向けた丞を睨んだアルラウドは、つかつかと丞の背後に近寄ると、その肩に手を掛けて強引に振り向かせた。

「言っておくが、俺は本気だからな」

 丞は思わずアルラウドの顔を見つめた。

 高貴で端麗なアルラウドの顔には、冗談を言っているとは思えないような真剣な表情が浮かんでいる。

「……何を考えているんだ、おまえは?」

 冷たく背筋を這い昇るような嫌な予感を感じ、丞が訝しむように問い返すと、アルラウドは紺碧の双眸を細めて優雅に微笑んだ。

「レイキは美しい──俺の傍に置くには、相応しい存在だろう?」

「玲熙をおまえの悪趣味に付き合わせる気はないぞ、アルラウド」

 冷たく、厳しい口調でそう告げ、丞は獣のように光る琥珀の双眸で、喉の奥で含み笑うアルラウドを睨みつけていた。