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舞の贄



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 海から吹きつけてくる風は、じっとりとした熱気をはらんでいた。

 まだ5月中旬であるというのに、気温はすでに真夏並みに上昇する日々が続いている。

 長いようで短いゴールデンウィークが終わり、竜桜学園には再び日常的な時間が流れ始めていた。

「うえぇ〜え、あっちぃなあ」

 ガタゴトと揺れるバスの中で、滝沢融は今にも死にそうな情け無い声を上げた。

 沖月島から竜桜学園前に通っている路線バスにはクーラーが全く効いておらず、9時前だというのに、すでに車内は蒸し風呂のような状態になっていた。

「暑い、暑いとわめくな。余計に暑くなるだろうが」

 パタパタと団扇で顔を仰いでいる融を見やり、峰月丞は不機嫌そうな低音を発した。

 ゴールデンウィーク中、屋外バスケットボールコートで融の練習に付き合わされ、もともと褐色に日焼けしていた丞は、5月の強い陽射しで赤銅色に染まっている。

 扇風機すら回っていない車内の熱気で、丞の額には汗が玉を結んでいた。

 斜め方向から射し込んでくる朝日に照り映え、黄金色に輝く髪をうるさそうにかきあげた丞は、額から落ちてくる雫をぬぐった。

「俺はとっても正直なの。
 あ〜あ、こんな事なら、玲熙んちの車に乗せてきてもらえば良かったなあ。
 あのベンツなら、極楽気分のまま学校に行けたのに。
 ここってば、本当に灼熱地獄ってカンジ〜」

 固い椅子の上からずるずるとずり落ちそうになっている融を見て、丞は皮肉めいた視線を向けると、唇の片端をつり上げた。

 琥珀のような金褐色の双眸が、その瞬間、悪戯っぽくきらりと光った。

「玲熙も、明日からはバスで通うって言ってたぞ。
 極楽に乗り損ねたな、おまえ」

「エッ!! 玲熙、明日からバスなの!?」

 その言葉を聞いた途端、融はガバッと上半身を起こした。

「普通の高校生に早く戻りたいんだとさ。
 おまえの希望を聞いたら、玲熙はさぞ悲しむだろうな」

 丞のこの一言は、融に劇薬のような効果をもたらした。

「お、俺、我慢するもんね。こんな暑さに、ま、負けるもんか!
 ──頑張るぞ、オー!!」

 椅子の上で飛び跳ねるように、一人で盛り上がっている融を見て、丞は呆れたようにため息をつき、やれやれと肩をすくめたのであった。



 私立竜桜学園は、鬼ヶ浦に面した丘の上にあった。

 日本でも有数の大企業である桜坂グループの会長が創立したこの学園は、過疎化の進む山陰側には珍しいほどの規模を誇っていた。

 幼稚舎、初等部、中等部、高等部、大学部に別れており、それぞれが広大な敷地内に存在している。

 学園の歴史はそれほど古くはなかったが、その代わりに、贅沢なほどの設備が整えられていた。

 竜桜学園高等部に通う生徒は、日本全国から集まっていた。

 彼らの父親のほとんどは桜坂グループに所属しており、それ以外でも、何らかの形で桜坂グループに関与している。

 成績優秀者には奨学金が与えられており、授業料は免除、遠距離の生徒は寮費も無料という特別待遇が設けられている一方、親のコネと多額の寄付金と共に裏口入学した生徒もまた多い。

 竜桜学園は、そんな生徒達が入り乱れている学校であった。

 灼熱の路線バスとは逆に、高等部の校舎内は寒気がするほど冷房が効いていた。

 連休明けであるため、まだ地に足が付かないようなそわそわした空気の流れる教室に入った丞と融は、席に着こうとした途端、突然クラスの女子に取り囲まれていた。

「──久しぶりー、元気にしてたぁ?」

「うわぁ、峰月クンってば、ずいぶん日焼けしたねえ」

「なんか、ますますワイルドって感じ?」

「ねえ、トオル、ゴールデンウィーク、どっか行ったの?」

「これ、あげるねぇ。海外旅行のお土産なんだー」

 息もつかせぬスピードで次々と喋りまくる女子生徒に囲まれ、丞も融も予想外の出来事に唖然としてしまう。

 そんな2人の様子を気にすることもなく、彼女たちは強引にお土産を手渡した。

「──あ、判ったぞ。
 おまえら、俺をダシにして、丞に接近するつもりだろう?」

 いち早く衝撃から立ち直った融が笑い出すと、少女たちは明るい笑い声を響かせた。

「やだ〜、トオルってば、妬いてるのぉ?」

「でも、バレバレだったかなあ」

 頭の中に突き刺さってくるような甲高い笑い声に、丞は思わず顔を引きつらせていた。

 ──と、その時。

 教室の後方の扉がカラリと開けられ、一瞬、爽やかな涼風が教室を吹き抜けた。

 導かれるようにそちらを振り返っていた丞は、驚いたように瞳を見張っている夢のように美しい少年の姿を認めていた。

 雛人形の女雛を思わせる長い黒髪を持ち、人間離れした端麗な美貌の少年は、神秘的な黒曜石の瞳を丞に向けると、少し戸惑ったような微笑を浮かべた。

「おはよう……何かあったの?」

 高くもなく、低くもない、美しく澄んだ声──隠岐宮玲熙が問いかけると、はしゃいでいた女子生徒たちは一瞬にして沈黙する。

 息を呑んで玲熙を凝視している少女たちを苦笑しながら見下ろしていた丞は、歩み寄ってくる玲熙に挨拶を返し、そして笑ってみせた。

「特に何があったわけでもないんだがな」

「……そう。
 あ、そう言えばね、今日の放課後、要が会いに来るって言ってたよ。
 明日から東京に出張だから、その前に丞に会いたいんだって。
 ──時間、空いてる?」

「──要さんが?
 時間ならあるが、何の用か、玲熙は聞いているのか?」

 訝しげに眉根を寄せた丞は、その時、いつの間にか取り巻いていた女子生徒たちが、全員いなくなっている事に気づいた。

 周囲を見渡してみると、彼女たちは遠巻きに丞と玲熙の様子をうかがいながら、興味津々といった眼差しで2人を見つめている。

「用件までは聞いてないんだけど、でも、何だか困ってるような様子だったよ。
 ──要にしては珍しいなって、僕も思ったんだけど」

 ほとんど頭1つ分は長身の丞を見上げ、玲熙は淡く微笑んだ。

「じゃあ、よろしく」

 そう言って、玲熙は窓側にある自分の席へと歩いて行き、真後ろの融に声をかけた。

「おはよう、融」

「グッモーニーン。
 なあ、明日からバスで来るんだって?
 やめといた方がいいんじゃないのか──死ぬほど暑いぞ、クーラーないから」

「でも、融と一緒に登校できるよ」

「う〜ん、それもそうだなあ」

 幼馴染み同士が会話する姿を眺めていた丞は思わず微笑を浮かべたが、玲熙の言葉を思い出すと、内心で首をひねっていた。