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舞の贄



<21>



 アルラウドの様子を表情の無い淡々とした眼差しで見つめていた志熙は、不意にすっと夜闇のような双眸を細めた。

「アルラウド・ローウェル──君の周囲には闇が取り巻いている。
 その闇に取り込まれないようにしたまえ」

 静寂の中で突然雷鳴が轟いたかのように、志熙の声にはどきりとするような迫力があった。

 玲熙と同じく玲瓏たる美しい音色を帯びた声であるにも関わらず、磨き抜かれた刀剣のような鋭利な響きがあった。

「……何だと? どういう意味だ、それは?」

 志熙の言葉でさらに不機嫌さを増幅させたアルラウドが、剣呑な低い声で問い返した。

 鮮やかな明るい紺碧の双眸に、ギラリと輝く稲妻のような閃光が走った。

 我が儘放題に優雅な生活を送っているが、アルラウドもやはりローウェル家の一員なのだと、丞は妙なところで感心した。

 ──欲しいものは力ずくで奪い、逆らう者には容赦しない。

 そうやってのし上がった覇王の血が、アルラウドの中にも流れている。

 ところが、怒りに満ちた蒼瞳で睨まれた志熙は、アルラウドをまったく恐れる様子もなく、妖艶にすら見える淡い微笑を唇に浮かべた。

「──言葉のままだ。さて、丞君、お邪魔をしたね。
 私はこれで失礼する」

 海風が吹き付けてくると、黄昏が深まった闇の中で、志熙の純白の髪が舞い上がった。

 芳しい香の薫りが、ほのかに丞の鼻をくすぐる。

 玲熙が身にまとう香とは違う、涼やかでありながら、どこか深い官能を感じさせるような、そんな薫りだった。

 志熙は丞を見上げて謎めいた微笑を浮かべると、踵を返し、ゆったりとした足どりで竜海山へと続く道を歩んでいった。

「──何なんだ、あいつは」

 アルラウドが忌々しげに舌打ちすると、丞は肩をすくめた。

「神社の宮司だからな、おまえが理解できなくても仕方がないさ。
 とにかく、彼は玲熙と同じ隠岐宮一族で、直系にかなり近い存在だ。
 ……それなりの力があるのだろうな」

 思考を巡らしつつ、丞は呟くように言った。

 それを聞いたアルラウドは、訝しげに片眉をつり上げた。

「まったく俺には理解不能だ。
 ──おい、タスク、今夜はおまえに家に泊まらせろ。
 俺の気が済むまで、とことん話を聞かせてもらうからな」

 アルラウドの顔を見返した丞は、思わず深い嘆息をもらすと、諦めたようにうなずいた。

「断ると言っても、どうせ帰らないつもりなんだろう──好きにしろ」

「そうか、じゃあ、リーファンに荷物を持ってこさせよう」

 丞が承諾した途端、アルラウドは満足そうに微笑んだ。

 その後、上機嫌になったアルラウドは、携帯電話でさっそく電話をかけ始めた。

 アルラウドを残し、丞は足早に砂浜へと下りていった。

 打ち上げ花火の笛を吹いたような高い音が、他に誰もいない海辺に響いた。

「遅いよ、何やってたんだよ。花火、もう始めちゃったぜ」

 融がロケット花火を海に向けて打ち上げながら、唇を尖らせて言った。

「ああ、悪い──ちょっと手間取ってな」

「また、あいつが何か我が儘を言い出したわけ?」

 融が不審に満ちた質問を発すると、丞は思わず笑い出してしまった。

「ああ、まあな。今日は家に泊まっていくと言い出した。
 今、ホテルに電話をして、荷物を持ってこさせるそうだ」

「タスクの家に泊まるって? あいつ、飲み明かすとか言ってんじゃないの?」

「ご名答。少しはアルの事が判り始めたみたいだな、融」

「そりゃあ、あれだけからかわれてりゃあね」

 融は少し恨めしげな声で言うと、もう一本、ロケット花火に火をつけた。

 暗くなった海上の夕空に、鋭い音を立てながら光の矢が飛んでいく。

 少し大きくなった白い子犬ナナシを脇に抱き寄せたまま、玲熙はぼんやりと花火を見つめていた。

 何故か、この平和で穏やかな時間が、夢の中の出来事のように感じられる。

 ほんの束の間の平穏──これほど安らかな時は、もう二度と来ないのではないかという悲観的な想いが、玲熙の胸に影を落としていた。

 ため息に呼ばれたように吹いてきた涼しい夜風に、白い美貌を縁取る艶やかな黒髪が煽られる。

 視線を砂浜に落とした漆黒の瞳は、深い憂いに満ちていた。

 そのうち、ナナシが退屈したのか、じたばたと暴れ始めた。

 ナナシは玲熙の腕の中から飛び出すと、花火の包装を開けている丞の足下にじゃれつき始めた。

 ふっと物思いから醒めた玲熙は、火花を散らす花火にまで飛びつこうとする子犬の姿を見つめ、くすりと微笑みを浮かべた。

(……元気に育ってくれて、本当に良かった)

 ゴミ袋に入れられ、海に捨てられていたナナシを保護した時には、助からないのではないかと心配したが、そんな悲しい出来事など忘れきってしまっているように、子犬の全身は生命力で輝いている。

 あの時からだろうか──丞の事が、本当に身近に感じられるようになったのは。

 引っ込み思案で、内気な性格の玲熙は、人と仲良くなるのが非常に苦手だったが、丞は驚くほどスムーズに心に入り込んできた。

 救いの手をいつも差し伸べ、何度も助けられた──周囲の者たちが、玲熙を冷たく拒絶しているにも関わらず。

(でも、丞は優しいから……僕だけが特別というわけじゃない)

 ナナシの頭を押さえながら、花火に火をつけている丞の姿を、玲熙は瞬きすら忘れたように見つめていた。

 玲熙の顔から微笑みが消え、問いかけるような表情が浮かぶ。

 と、その視線に気づいたのか、丞が振り返って玲熙を見下ろした。

 闇の中で丞の琥珀の双眸が金色に光ったように見え、玲熙は思わずドキリとした。

「おい、玲熙。見てるだけで、おまえはやらないのか?」

 じゃれかかってくるナナシから取り上げるように、両手に花火を持った丞が訊ねてくる。

「──うん、そうだね。……じゃあ、僕も何かやろうかな」

 砂を払って立ち上がった玲熙に、融が近寄ってきた。

「玲熙、玲熙──これにしなよ、十二連発花火」

 融から手渡された花火を受け取った玲熙は、全ての憂いを振り払うように、明るく微笑みながらうなずいた。

 花火に興じる三人の姿を、堤防の上から眺めていたアルラウドは、秀麗な顔に楽しげな微笑を浮かべていた。

 明るい南洋の碧瞳には、残酷な闇が沈んでいる。

『──首尾はいかがでございますか、アルラウド様?』

 携帯電話から、リーファンの澄んだ幼い声が聞こえてきた。

 アルラウドは潮風で乾いた唇を、濡れた舌先で舐めて湿らせると、残忍な喜悦の微笑を唇に刻んだ。

「……さあな。だが、俺の獲物はまだ迷いの中にいる……タスクもな。
 おそらく、それが弱みになるだろうよ」

 独白するように呟いた後、楽しくて仕方がないというように、アルラウドは喉の奥で低く笑い始めた。