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舞の贄



<24>



「……アルラウド──たったそれだけの理由で、こんな事を……?」

 混乱する頭では気持ちを整理できず、自分が本当に言いたい事すら判らない。

 ただ、胸の中に激しい衝撃が嵐のように吹き荒れ、玲熙の声は震えた。

「それだけの理由だけじゃ、不十分か?
 俺にとっては十分過ぎるほどの理由になるんだがな」

 狼狽している玲熙を見つめながら、アルラウドはにやりと不敵な微笑を浮かべた。

 しかし、ふと何かを感じたように視線を上げると、彼は突然表情を変えた。

 明るく、楽しげだった笑顔に、残酷なものを秘めた怒りの表情が浮かんでいる。

 不審に思い、玲熙がアルラウドの視線の先を追うように振り返ると、そこに白いワンピースを着て日傘をさしている少女が立っていた。

 強い風が吹いた時、少女の手が海風に煽られた髪を押さえた。

 日傘の陰になってしまい、彼女の顔は見えなかった。

 少女はしばらく玲熙とアルラウドの様子を眺めていたようだったが、やがてふいっと踵を返し、ホテルや繁華街が並ぶ桜坂町の方へと歩み去っていった。

 ──いつから、少女はあそこにいたのだろう?

 ふとそう思い、玲熙は強引なアルラウドのキスを思い出し、羞恥で顔を赤く染めた。

 しかし次の瞬間、端麗な顔からさっと血の気が引いた。

(──彼女が島民だったら、この噂は今日中に島全体に広がってしまう!)

 砂浜に座り込んでいた玲熙は、引きつった悲鳴をこらえるように、両手で口を押さえた。

 沖月島の中で、巫女は最も神聖な存在であり、またそうあらねばならぬと玲熙は幼い頃から教えられてきた。

 それは、ほとんどが鬼塚森神社の氏子という沖月島の島民もまた同じなのだ。

 その巫女である玲熙が、全裸の外国人と抱き合い、キスをしていたと噂になったなら、病床の父はどう思うのか──。

「おい、いつまでそこに座り込んでいるつもりだ?」

 アルラウドが青ざめたまま呆然としている玲熙の腕をつかみ、強引に引っ張り上げた。

 その途端、我に返った玲熙は、乱暴にアルラウドの腕を振り払おうとした。

 しかしアルラウドは面白がるように嘲笑いながら、その手を離さない。

 怒りを露わにした玲熙は、封じられていないもう片側の拳でアルラウドの胸を叩いた。

「──なんてことをするんだ! 彼女に見られたじゃないか!!
 また噂になってしまったら……僕はどうすればいいんだ!」

 突然怒り出した玲熙の様子に困惑し、アルラウドは何度も叩きつけられる拳を封じ、その手首を強くつかんだ。

 その顔をきつい眼差しで見下ろすと、玲熙の瞳から涙がぽろぽろとこぼれ落ちている事に気づく。

「おい、何で泣くんだ? キスをされたのが、そんなにショックだったのか?」

 呆れたようにアルラウドが問うと、涙を溜めた瞳で、玲熙が睨みつけてきた。

「そんなんじゃない!」

「……じゃあ、何だ」

 訳が分からないといったアルラウドを睨みつけながら、玲熙は涙を堪えるように唇を噛みしめた。

 その細い肩が小刻みに震えているのを見下ろし、アルラウドは大きく嘆息した。

「──とにかく、来い」

 アルラウドは強引に腕を引っ張ると、嫌がって抵抗する玲熙をつれて、防波堤の向こう側にある峰月家へと歩き出した。



 数分後、アルラウドから叩き起こされた丞は、不機嫌そのものといった顔で、ダイニングテーブルの椅子に座っていた。

 組んだ足の先が、イライラしている気分そのままに揺れる。

「──それで? どうして玲熙が泣いているんだ?」

 子犬のナナシを抱き締めたまま、一人で居間に座り込んでいる玲熙を見やり、台所にいる丞はアルラウドを問い詰めた。

「さあね。俺とキスをしているところを、誰かに見られたのがショックだったらしいぞ」

 アルラウドが悪びれもせずに言うと、丞の顔がぴくりと引きつった。

「おまえ、玲熙にキスしたのか? その格好で?」

 頽廃的にさえ見えるバスローブ姿のアルラウドに強い口調で詰問すると、黄金の髪を持つ丞の悪友は優雅に肩をすくめた。

「いや、俺は裸だったな。
 朝早く目が覚めたから、海で泳いでいたんだ」

 しれっとしてアルラウドが答えると、丞は長い腕を伸ばし、白いバスローブの胸ぐらをつかんでいた。

「……この、大バカ野郎! 何て事をしたんだ、おまえは!」

「だから、何でおまえがそんなに怒るんだ?
 たかが、キス一つぐらいで──」

「おまえは、ここの状況がまったく判っていないんだ。
 いいか、ここはアメリカでもヨーロッパでもない、この狭い日本の中でもさらに小さな島なんだぞ。
 誰かが口を開けば、それはあっという間に噂になる。
 おまえの派手な行動の犠牲になるのは、結局、玲熙なんだぞ」

 丞の琥珀色の双眸がぎらりと黄金に光り、さすがのアルラウドも気圧されたように身を引いた。

 丞はアルラウドから手を離すと、感情を抑えた冷静な声で説明した。

「たかが噂だ──おまえはそう思うだろうし、何と噂をされようと全く気にしないだろう。
 それは当然だな、おまえはここの人間じゃないんだから。
 だが、玲熙は違う、玲熙はこの島で生きていく人間だ。
 おまえのしでかした馬鹿げた行動が、ずっと玲熙を傷つけることになるんだぞ」

「つまり、レイキが冷やかしの対象になるってことか、なるほどね」

 アルラウドは納得したようにうなずくと、ちらりと玲熙の姿を見やった。

「あれだけ落ち込んでいるってことは、前にも相当苛められたってことだな」

「……おまえな、それが判るんだったら、もう少し行動を自重してくれ」

 深く嘆息した丞を、アルラウドはちらりと眺めた。

 そしてその鮮やかな紺碧の瞳を細め、唇に禍々しいほどに美しい微笑を刻んだ。

「なあ、タスク──おまえの言っている事は、見事なまでに正論だよ。
 だが、おまえの怒りの根源は、本当にそれだけか?
 おまえの意識を俺は読むことができないが、正論の影に本音が隠されているってことぐらいは判るんだぜ?
 この俺にまで本音を隠す必要は、どこにも無いと思うがね」

 丞はアルラウドを見返すと、奇妙なほど乾いた冷たい声で言った。

「おまえに本心を明かすほど、俺はバカになる気はない。
 言っただろう、玲熙は大事な友人だと──玲熙を傷つけるような真似をするなら、相手がおまえであっても許さない」

 丞の言葉に、アルラウドは面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
 そしてしばらく逡巡した後、彼は気が進まなそうな様子で口を開いた。

「恋敵のおまえに教えてやるのも馬鹿馬鹿しい事だが、そんなに心配しなくても、噂は広がらないぞ」

 その言葉に、丞は訝しげに眉をひそめた。

「──どういうことだ?」

「つまり、俺たちを見ていた人間は、この島の人間じゃないってことだ」

「どうしておまえにそれが判る」

「判るに決まっているだろう、あれはリーファンだったからな。
 どうせ、俺の行動を見張っていたんだろうよ」

 忌々しそうに呟き、片肘をついたアルラウドを見返し、丞は一瞬言葉を失った。