Rosariel.com
舞の贄



<25>



「……だったら、どうして玲熙にそれを早く言ってやらなかったんだ?」

 嘆息混じりに丞が言うと、アルラウドはふんと鼻を鳴らし、横目で丞を睨んだ。

「俺が言ったところで、レイキが素直にそれを信じると思うか?
 残念ながら、そこまでまだ信用されているわけじゃないからな」

 拗ねたように言うアルラウドを見返し、丞は呆れて思わず宙を仰いだ。

「そもそも、どうして玲熙にキスをしたんだ、おまえ?」

「決まっているだろう、先手必勝──おまえに先を越されてたまるか」

 心もち顎を反らし、傲慢な口調で言い放ったアルラウドは、もう一度玲熙の様子を眺めやると、面倒くさそうに椅子から立ち上がった。

「俺はシャワーを浴びてくる。おまえはせいぜい、優しく慰めてやるんだな」

 そう言い残し、台所から出ていったアルラウドを見送った後、丞は何度目かのため息をもらした。

 しかし玲熙を放っておくわけにもいかないと思い、丞は居間に向かった。

 どうやって慰めればよいのだろうと頭を巡らせながらも、結局、気の利いた言葉が一つも思い浮かばない。

 それ以上に、チリチリと胸を焼くような不可解な感情が、常に平静であろうとする心を掻き乱しているようだった。

「──おい、玲熙。そんなに落ち込むな」

 丞がそう言うと、ナナシが心配したように玲熙を見上げた。

 そして、ヒュンヒュン……と鼻を鳴らして、玲熙の白い顔を優しく舐める。

 それでも沈黙してうつむいている玲熙を見下ろし、内心でため息をついた丞は、絨毯の上に腰を下ろすと、淡々とした調子で事実を告げた。

「おまえたちを見ていたのは、どうやらリーファンという子だ。
 彼の事は俺もよく知らないんだが、どうやらアルラウドのお目付役らしい。
 ──だから、この島に噂が広がることは無いと思うぞ」

 その言葉を聞き、玲熙は少し顔を上げると、涙で潤んだ漆黒の瞳を丞に向けた。

「……だって、若い女の子に見えたよ」

「何というか、彼のあれは──アルラウドの悪趣味だ。
 そもそも、リーファンは女じゃない」

 玲熙は驚いたように目を見開き、その拍子に涙が一筋こぼれ落ちた。

「だから、彼の事をおまえが気に病むことはないんだ。
 アルラウドの馬鹿げた行動については、俺から謝る。
 本当にすまなかった──要さんからも頼まれていたのに、俺の監督不行届だな」

 苦く笑った丞をしばらく見つめた後、玲熙は複雑な表情で双眸をそらした。

「おまえの代わりに、ヤツを殴ってやってもいいんだがな。
 玲熙、おまえの気が済むようにしてやる──どうしてほしい?」

 そう問いかけられ、玲熙は強引なキスを受けて腫れてしまった唇を、きつく噛みしめた。

「……どうして、丞が僕に謝るの?
 丞は何もしていないのに──悪いのは、アルラウドの方でしょう?」

 丞が驚くほど、玲熙の口調は厳しく、刺々しかった。

「彼がしでかす事を、丞が全部謝るの?
 どうして丞が、そこまでして彼を庇わなきゃならないんだよ?」

「俺は、あいつを庇う気なんて無いぞ」

「彼の代わりに、僕に謝ってるじゃないか!
 丞に謝られたって、僕は全然嬉しくないよ!」

 さらにぽろぽろと大粒の涙を流し始めた玲熙を見つめ、さすがの丞も困惑した。

 どうしてこのような展開になったのか、全く理解不能であった。

 上手く慰める事はできなくても、事実を告げ、せめて安心させてやるつもりであったというのに──。

「……おい、玲熙。だったら、おまえはどうして欲しいんだ?」

 嘆息混じりで丞が問うと、玲熙が涙に濡れた瞳できつく睨みつけてきた。

「──そんな事、判らないよ!」

 そっぽ向いてしまった玲熙に、丞はなす術もなく天を仰いだ。

 自分が話しかけるほど、どんどん状況が悪化していくような気がする。

 そんな丞と玲熙の様子を、ナナシがきょとんと首を傾げながら、不思議そうな顔つきで見つめていた。

 そのうち、重苦しく黙り込んでいた玲熙が、急に立ち上がった。

「──帰る」

「玲熙、ちょっと待て」

 止めようとする丞の手を振り払って、玲熙は無言で玄関に向かった。

 そして、いつも礼儀正しい玲熙にはありえないほど乱暴な態度で扉を閉め、まるで逃げるように帰ってしまう。

 目の前で扉をぴしゃりと閉められた丞は、呆気にとられたまま、しばらく玄関で立ちつくしたまま考え込んだ。

(──いったい、俺が何をした?)

 そもそも悪いのはアルラウドであって、丞は責められるような事をした覚えは無い。

 そうだというのに、玲熙はアルラウドよりも、どうやら丞に対して怒っているように見えた。

「──ふふん、見事に撃沈されたな、おまえ」

 その時、さも楽しそうな口振りで、背後に立ったアルラウドが笑った。

 振り返った丞は、剣呑な眼差しで、諸悪の根元であるアルラウドを睨みつけた。

「──おまえのせいだろうが」

「バカを言うな、レイキの機嫌を損ねたのはおまえだぞ。
 そんな事も判らないのか、タスク?」

 アルラウドがせせら笑うと、丞は琥珀色の双眸を冷ややかに光らせた。

「おまえがバカな真似をしなければ、玲熙が落ち込むこともなかったんだぞ」

「──その通り。だから、俺は慰めてやれと言ったんだ。
 俺は、俺の代わりに謝ってくれだなんて、一言も言ってないぞ。
 そもそも、俺は謝るような事をしたつもりもない。
 俺は謝る気がないのに、おまえが勝手に謝ったんだ。
 結局、玲熙が怒ったのはそのせいだろう?
 頭にきたからって、俺のせいにしないでほしいね」

 鼻で嘲笑ったアルラウドは、次の瞬間、思わず息を呑んだ。

 丞の身体から、炎のような黄金のオーラが吹き上がったからだった。

 それはアルラウドの蒼瞳を焼くほどに激しく、陽炎のように揺らめいていた。

 その声無き怒りのオーラに目を瞠ったアルラウドは、自分の方に丞が足を踏み出したのを見て、思わず後退りそうになった。

 しかし、生来異常なまでに高い彼のプライドが、その場から退くことを許さなかった。

 殴られると思ったその時、周囲に満ちていた威圧感が、嘘のように静まった。

 訝しんで丞を凝視したアルラウドは、あれほど鮮やかに見えていた黄金のオーラが消え失せている事に気づいた。

 丞はアルラウドの横を素通りすると、そのまま無言で台所に戻っていった。

 拍子抜けしたアルラウドは、慌てて丞の後を追った。

「──おい、タスク?」

 淡々と朝食の準備をし始めた友人の背中に、アルラウドが躊躇いつつ声をかけると、振り向こうとはしなかったが、丞が低い声で応じた。

「確かにおまえの言う通りだな──玲熙を怒らせたのは、俺なんだろう」

 あっさりと認められてしまい、アルラウドは続ける言葉を失った。

 冷静に考えれば判る事だ──玲熙の刺々しい態度は、ただの八つ当たりなのだから。

 アルラウドの行為に対する反感と、不安から解放された安堵感が、丞に八つ当たりをさせたのだろう。

 玲熙が丞に八つ当たりをしたということは、それだけ心を許しているからに他ならない。

 普段の丞であれば、それに気づかないはずはないのだが──玲熙に怒鳴られ、予想以上に動揺したのかもしれない。

 アルラウドは思案を巡らせると、口許ににんまりと人の悪い微笑を浮かべた。