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舞の贄



<27>



「……そうなのかな?」

 ふうっと息を吐き出した玲熙に、融は明るく笑いながら言った。

「気にすることないって、玲熙。
 だいたい、丞がおまえの事怒ってるわけないよ。
 今度、諸悪の根元のアルラウドを、思いっきり殴ってやればいいんだ。
 ついでに俺も、一発お見舞いしてやるからさ」

「……それは…もういいよ。
 きっと冗談のつもりだったんだろうし……キスされただけだし──」

 微かに頬を染めてうつむいた玲熙を見て、融は思わず引きつった笑いを浮かべた。

「お〜い、玲熙ちゃ〜ん。
 そんな事ばっか言ってるから、あいつにカモにされるんだぜ?
 嫌な事は嫌って言う、やられたらやり返す。
 そうしないと、ああいうタイプはつけ上がるだけだぞ」

「……そうだね、今度から気をつけるよ」

「本当に判ってるのかねえ……」

 納得しているのか、していないのか──曖昧に微笑んだ玲熙を見返し、融は深々と嘆息をもらした。

 しかしふと、好奇心がムクムクと膨れあがり、融は美しい幼馴染みにすり寄った。

「それよりさ、アルラウドって、やっぱりキス上手かった?
 さすが外人って感じ?」

 興味津々といった様子で目をきらきらと輝かせている融の質問に、玲熙の白い肌が耳朶まで赤く染まった。

「……そ、そんな事、僕に判るわけないじゃないか!」

 思わず声を上擦らせた玲熙を見つめ、融はけらけらと笑った。

「ええ〜、判んなかったってことは、下手だったんじゃな〜い?
 あれだけ自信満々だから上手いかなって思ってたんだけど、それじゃあ、あいつも大した事ないね〜。
 腰が抜けるほどにキスが上手かったら、玲熙も丞の事で落ち込んでる暇なんてきっと無かったはずだしさ」

「もう……他人事だと思って、面白がらないでよ」

「いいじゃん、これも経験だと思っとけば。
 いいな〜、俺も経験したいな〜、あんな事や、こんな事……。
 要さんとかは経験豊富そうだから、今度聞いてみよっかな〜」

「融! それ以上変な事言ったら、僕、怒るからね!」

 恥ずかしさのあまり顔を覆ってしまった玲熙を見て、腹を抱えて笑い転げていた融は、涙目になった目を擦りながら身体を起こした。

「──ごめん、ごめん。とにかく朝飯、食べようぜ。冷めちまうからさ」

 羞恥に顔を染めていた玲熙は、いつの間にか気分が軽くなっている事を感じながらうなずき、「いただきます」と両手を合わせた。




 朝食の後片づけをしていた丞は、その時、ふと手を休めて耳をすました。

 島の南側──おそらく本島の方から、パトカーのサイレンの音が聞こえてくる。

 その不吉な音は次第に近づいてくるような気がした。

「……何かあったのか?」

 思わず呟いた後、その音に気づいたらしいアルラウドが顔を上げた。

「おい、タスク──あれは何の音だ?」

 どうやら畳がいたくお気に召したらしく、食事の後ずっと巨大な猫のようにごろごろと寝転がっていたアルラウドが、怪訝そうにそう訊ねてきた。

「ポリスの車だ──何かあったのかもしれないな」

「死体でも見つかったんじゃないのか?」

 それが日常茶飯事だとでも言うように、平然とした顔で言ったアルラウドを見返し、丞は大きく嘆息をもらした。

「……こんなド田舎で、そうそう殺人事件が起こってたまるか」

 とは言うものの、この沖月島では3年前と、つい先月に恐ろしい殺人事件が起こっているのだ。

 その殺人事件は全て玲熙の周囲で起こっており、そのために玲熙は深く傷ついている。

 今度また事件が起これば、ようやく平和な日常を取り戻した島民の間に動揺が走り、嫌な過去の記憶を呼び覚ましてしまうだろう。

(──何か起こったと思いたくないが……嫌な予感がするな)

 予感というよりも、それは何故か確信に近い。

 思わず眉をひそめた丞の脳裡に、低く囁きかけるような声が響いた。

(しかり……再びこの地に穢れが広がろうとしている。
 足下をすくわれないように、気をつけることだ)

 いつものごとく突然聞こえてきた声に、丞は内心で驚きつつも、すぐに問い返していた。

(──何が起こっているのか、おまえには見えているのか?)

 ところが返答は無く、そのままぷつんと遮断されてしまったかのように沈黙が下りる。

 眉間を押さえた丞は、心の中で楚良を罵りつつも、答えを引き出す事を諦めた。

 その時、しばらく畳の上に寝転がったまま、天井の木目をぼんやりと見つめていたアルラウドが、丞の方に顔を向けて呼びかけた。

「──なあ、タスク。おまえ、卒業したらアメリカに来ないか?
 このままずっと、この狭い島に留まっているつもりはないんだろう?
 日本全土を見渡したって、おまえの才能を生かし切れるとは思えないぞ」

 全く別の事に気を取られていた丞は、その突然の申し出に、思わず苦笑していた。

「いきなり何を言い出すかと思えば……」

 するとアルラウドはむくりと身体を起こし、鮮やかな碧瞳で睨むように丞を見つめた。

「いきなりじゃない──イギリスにいる間、ずっと考えていたことだ。
 俺とおまえが手を組めば、どんな事業でも必ず成功できる。
 あの因業親父でさえ、おまえの事は結構気に入ってたんだからな」

 珍しく真剣なアルラウドの口調に当惑しつつ、丞は軽く肩をすくめてみせた。

「ありがたいお言葉だが、今のところ俺は将来の事なんてまったく考えてないぞ。
 ……まあ、国文学に行くことだけはあり得ないが」

「だったら、この提案を受けて、俺と一緒に来い。
 実際問題、高校卒業まで日本にいるのも、本当は時間の無駄だ」

 畳の上であぐらをかいたアルラウドを見下ろし、丞は唇に微笑を閃かせた。

「まさか、おまえに将来の心配をされるとは思ってもいなかったな」

 何故かそれが可笑しく思えてしまい、丞がくすくすと笑い出すと、アルラウドが憮然としたように鼻を鳴らした。

「たまには俺だって真面目になる時もある……まあ、ごくたまにだが。
 そんな事より、どうなんだ?」

「そうだな、じゃあ、俺も真面目に考えてみよう。
 ──ただし、条件がある」

 顔から笑みを消した丞がそう言うと、アルラウドが訝しげに片眉をつり上げた。

「条件?」

「そうだ。玲熙に会ったら、今朝の事をきちんと謝れ。
 おまえがどう思っていようと、玲熙を傷つけたのは事実だからな」

「おまえの将来と、俺が玲熙にキスした事と、いったいどんな関係があるんだ?」

 不満そうに双眸を眇めたアルラウドを見やり、丞は部屋を横切って窓を開け放った。

 そのまま振り返ると、淡々とした口調でアルラウドに告げた。

「まったく関係ないが、この条件を呑まない限り、留学の件はおあずけだ。
 それが嫌なら、素直に玲熙に謝ることだな」

「おまえ──俺より、玲熙を取るっていうのか?
 他の誰でもないこの俺が、わざわざ日本まで誘いに来てやってるんだぞ」

 ますます不機嫌さの度合いを増したアルラウドを見下ろし、丞は皮肉っぽく笑った。

「俺の人生なんだから、選択する権利は俺にあるはずだろう?
 だいたい、そんなに深刻になることか?
 おまえが一言、玲熙に詫びを入れれば済む話だろうが」

 丞の言葉を聞き、アルラウドはむっとしたように眉根を寄せた。