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舞の贄



<28>



 丞の言葉を聞き、アルラウドは不機嫌そうに沈黙する。

 ややあってから、彼は苦々しげな口調で高飛車に言い放った。

「──卑怯だぞ、タスク。
 いいか、俺は今まで、誰かに謝ったことなど、一度も無いんだ」

「それは威張れることじゃないだろう?
 まあ、何事にも最初はあるさ」

 爽やかな微笑を浮かべ、さらっと皮肉を言ってのけた丞を、アルラウドは憎々しげに睨みつけた。

「──この悪党め」

「おまえにそう言われると愉快だな。
 それで、どうするんだ、アルラウド?」

 この件に関して圧倒的優位に立っている丞は、先刻の意趣返しもあって、かなり残酷な気分になっていた。

 人に頭を下げる事が大嫌いな、と言うより考えたことすらないアルラウドが、自分から謝罪するというのは、彼のプライドを相当に傷つける行為である。

 それを十分に理解しつつ強制しているのだから、随分と意地が悪いのかもしれない。

 アルラウドはしばらく丞を睨み上げていたが、やがて観念したようにうなずいた。

「……判った、その条件、仕方がないから呑んでやる」

 本当に渋々といったアルラウドの口調を聞き、丞はにこりと微笑みを浮かべた。

「よろしい。何事も経験というから、これは良い経験になるぞ、アルラウド」

 丞の嫌味を聞いたアルラウドはそっぽ向き、畳の上に拗ねたように寝転がった。

 アルラウドの反応に満足した丞は、そのまま家中の窓を開けて回った。

 海に近いせいか、木造の家屋は締め切っていると湿気がたまってしまう。

 全ての窓を開ければ風が通り抜け、清々しい爽やかな空気に満たされるため、晴れた日はできるだけ毎朝窓を開け放っていた。

 壁に掛けられた時計を見ると、まだ午前8時半である。

 今朝は異常なほど早く叩き起こされたためか、時がずいぶんゆっくりと流れているように感じた。

 ふと見れば、いつの間にかアルラウドは畳の上で寝息を立てている。

「……呑気なものだな、まったく」

 やや呆れて、その端整な寝顔を見下ろしていた丞は、初めて出会った頃のアルラウドを思い出した。

 英国貴族出身の母親からは全く愛されず、強気で高慢な表情の中に、いつもどこか寂しげな様子を漂わせていた美少年。

 多忙極まりない父親は、アルラウドに対してひたすら甘かったが、彼の兄に対するような期待はしていなかった。

 父親の後継者として、帝王たるべく育てられた兄もまた、腹違いの弟を溺愛していたが、アルラウドを自分のビジネスパートナーに育てる気は無いようだった。

 金で買える物は何でも与えられ、周囲の者たちはアルラウドに服従する。

 アポロンと讃えられる美貌、言わずと知れた途方もない財力と権力──誰もがアルラウドを羨んでいた。

 人々の目には、アルラウドは全てを持っているように見えたことだろう。

 アルラウドがどんな我が儘を言っても、彼らは笑いながらそれを許し、しかし陰では不平不満をぶちまける。

 昔から、アルラウドは不気味なほどに聡明で、人の心理に鋭い少年だった。

 人が笑いながら何を考えているのか、瞬時に察してしまうのだ。

 それゆえに孤独は深まり、心がどんどん闇に覆い尽くされ、いつしかアルラウドは狂気寸前へと追いつめられていた。

 猫のように丸くなって眠っているアルラウドの傍らに腰を下ろし、丞は軽く嘆息した。

(……これも巡り合わせというやつか)

 アルラウドも玲熙も、同じような孤独に苛まれている。

 アルラウドはローウェルの家名を背負っているため、そして玲熙は、その特異な一族の血ゆえに。

 そんな二人に関わってしまったのは、もはや己の宿命と諦めるしかない。

「──おい、アル。おまえ、本気で寝てるのか?」

 丞が声をかけると、アルラウドは低く呻いて、大きく寝返りを打った。

 そして、すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。

 誇り高いローウェル家の御曹司の寝顔は、何故かひどく幼く見えた。

 ため息をつきつつ立ち上がった丞は、アルラウドの寝顔をもう一度見直した。

 ただ丞に留学を薦めるためだけに、アルラウドは日本に現れたのだろうか──。

「……だったら、最初からそう言えばいいものを」

 もっとも、馬鹿馬鹿しいほど意地っ張りなアルラウドの性格を考えれば、奴隷だと侮っているリーファンの前では、口が裂けても「宜しく頼む」とは言えなかったに違いない。

 台所に戻った丞は、その時、玄関の方から微かな香りが漂ってくるのを嗅いだ。

 それは、玲熙や志熙の身体に染みこんでいるような香の匂いではなく、もっと直接的なオーデコロンの匂いだった。

 不思議に思って玄関に出た丞は、そこに白いワンピースを着た少女が立っていることに気づいた。

「……君は、確か、リーファン──」

 少女と見紛う姿ではあったが、その繊細で中性的な美貌には見覚えがあった。

「はい、リーファンでございます。
 失礼ですが、アルラウド様は、こちらにいらっしゃいますか?」

 丞に呼びかけられたリーファンは、軽く会釈をした後、淡く微笑んでそう訊ねた。

 その美しい微笑みは、雪のように淡く溶けてしまいそうなほど儚げに見えた。

「ああ、アルラウドならここにいるが……ただ、今、眠っているぞ。
 緊急の用だったら、叩き起こしてやろうか?」

 すると、リーファンは微かに怯えたような表情を浮かべてうつむいた。

「……けれど、お怒りになるでしょう──あの方の寝起きは……」

「死ぬほど機嫌が悪いんだろう?
 判っているさ、そのぐらいは──だが、アルラウドを叩き起こさなければならないほどの用事というのは何だ?
 差し支えなければ、教えてくれないか?」

 丞が問い返すと、リーファンの瞳が躊躇うように揺れる。

 しかし憂えるようにため息をついた後、女装をした美少年は静かな口調で告白した。

「ここで私が黙っていても、すぐにあなた様は事実をお知りになる。
 ならば、わたくしからお話しても差し支えないでしょう。
 ──実は、わたくしどもが泊まっているホテルで、人が亡くなったらしいのです」

 リーファンの言葉は、丞を十分過ぎるほどに驚愕させた。

「──人が死んだって? いったい、どういう事だ?」

「あまり詳しい話は、わたくしも存じません。
 ただ、今朝、ホテルの庭の茂みから死体が発見されたそうなのです。
 その後、ホテルの宿泊客全員に事情聴取が行われましたが、ご主人様はお留守だったので……」

「ああ──アルラウドに事情聴取したいと、警察が言ってきたんだな。
 それで、死亡時刻は何時頃とか言っていなかったか?」

「死亡したのは、今朝の5時頃らしいと言っていました。
 でも、その死に方がひどく不自然なので、警察も疑問を抱いているようなのです。
 聞いたところによれば、その方の死因は失血死らしいのですが……」

 小首を傾げたリーファンの説明を聞き、丞は思わず眉をひそめた。

「失血死……という事は、大量出血したってことだな。
 誰かに刺されたとか、そういう事なのか?」

 すると、リーファンは急いでかぶりを振った。

「いいえ、そうではないようです……傷があったという話は聞きませんでしたから。
 警察も、自殺か他殺か決めあぐねているようなのです。
 明らかな原因が無いから、警察も不思議がっているようですし……」

 リーファンの言葉を聞き、丞はさらに不審を募らせた。

「傷が無い? 血を失っているなら、どこかに出血口があるはずだろう。
 腹腔内出血だとすれば別だが……」

 訝しげな丞を、リーファンは深い海色の瞳で縋るように見つめた。

「私はそれ以上は何も聞いておりません。
 お願いです、タスク様──どうか、アルラウド様に、ホテルにお戻りになられるよう仰ってはいただけませんか?」

「──そうだな、あいつの寝覚めの悪さは極めつけだからな。
 リーファン、君はホテルに戻っていた方がいい。
 ヤツの仏頂面を拝みたくないだろう?」

 ため息をついた丞を見上げ、リーファンはくすりと微笑むと、丁寧にお辞儀をした。

「ありがとうございます──お電話をいただければ、すぐにお迎えに上がりますので」

 丞は少しの間考え込んでいたが、すぐに片手を振った。

「いや、いい──ホテルまでは近いし、あいつを連れて歩いていくから心配するな」

「……判りました。では、タスク様、アルラウド様をどうぞよろしくお願いいたします」

 リーファンはもう一度深くお辞儀をすると、くるりと踵を返した。

 峰月家の門の前には黒塗りのキャデラックが横付けされており、リーファンはその後部座席にするりと乗り込んだ。

「……どう見ても、深窓の令嬢にしか見えん」

 窓越しに軽く会釈をして車を出させたリーファンを見送り、ぼそりと感想を口にした丞は、不意に憂鬱な気分に駆られて嘆息した。