Rosariel.com
舞の贄



<29>



「真に申し訳ございません、ローウェル様。
 ──その、警察が少しお話をと申しておりまして……。
 ご不快であられるのは、わたくし共も重々承知しておりますが……」

 竜泉閣ホテルに戻ったアルラウドを待ち受けていたのは、事情聴取に来ていた警察だけではなかった。

 竜泉閣ホテルの総支配人や、桜坂グループの重役までもが顔を揃えている。

 アルラウドは極めて冷ややかで傲慢な表情を浮かべると、インペリアルスウィートルームに勢揃いしている面々を、軽蔑しきったように一瞥した。

 そして、いかにも眠たそうな気怠げな欠伸をすると、長い足を優雅に組んでソファに座ったまま、片肘をついて警察の捜査員を眺めた。

 アルラウドと共にホテルに来ていた丞は、そんな友人の尊大かつ無礼な態度を見やってから、今にも床に頭を擦りつけんばかりの重役たちに視線を向ける。

「──宮本さん、ちょっと、いいですか?」

 居心地悪そうにしている刑事たちの中に顔見知りを見つけ、丞はそっと呼びかけた。

 呼ばれた刑事はちらっと振り返ると、愕然としたように丞の顔を凝視する。

 そして、手招きしている丞に応じ、こっそりと部屋から抜け出した。

「──あ〜、やれやれ、たまんねえな」

 わざとらしく冷や汗を拭うような素振りをしてから、かの有名な剣豪と同じ「宮本武蔵」という名を持つ刑事は悪戯っぽく笑った。

 今年で38歳の彼は、丞の父・峰月司の高校時代の友人であり、転勤族の司が転勤するたびに顔を出す間柄だった。

 中肉中背で童顔な司とは対照的に、高校時代は陸上短距離選手としてインターハイにも出場した事がある宮本は、長身痩躯で、俊敏なチーターのようにも見える。

 鷹のように鋭い顔立ちは、一見、正反対の職業に間違われそうなほど強面であり、その容貌が災いしてか、彼はいまだに独身であった。

「──ところで、どうしておまえが、あのおぼっちゃまにくっついて来たんだ?」

 いかにも不審そうに片眉をつり上げた宮本は、幼い頃から見慣れている丞でなければ、とても正視できないような恐ろしげな顔だった。

「アルラウドは俺の友達なんだ。
 ──それより、被害者は、このホテルの客だったのか?」

 アルラウドとの関係を一言で説明した丞は、一番気に掛かっている事を質問した。

「あのなあ、丞──おまえは部外者だろうが。
 そのおまえに、刑事の俺が、説明できると思ってるのか?」

 うんざりしたように顔をしかめた宮本を見返し、丞は意地の悪い笑みを浮かべた。

「それを教えてくれる交換条件として、アルラウドの口の滑りを良くしてやろうか?
 あのままじゃ、多分、何時までたっても、ヤツは何一つ喋らないだろうからな」

 すると、宮本は嘆かわしげに宙を仰いだ。

「……ほんっとに、おまえ、司のガキなのか?
 その可愛くない性格、一体、誰に似たんだ、ええ?」

「さあね──自称・教育係の教育の成果じゃないのか?
 それより、どうする?」

 唇に薄く微笑を刻んだ丞を睨み、宮本は低い唸り声を上げた──そして、諦めたようにうなずく。

「よし、判った──いつまでもこの茶番には付き合ってられん。
 あれやこれやと、俺も忙しいからな」

「交渉成立──それで、被害者は?」

 満足げに笑い、すかさず情報を引き出そうとする丞を、宮本はもう一度強く睨む。

 その後、不承不承といった様子で、説明をし始めた。

「被害者は篠田絵里(シノダ エリ)──東京在住20歳の女子大生だ。
 どうやら学校をサボって、彼氏とこの島に遊びに来ていたらしい。
 死亡時刻は、午前4時から5時半にかけてと推測されてる。
 直接の死因は失血死だが、特に目立った外傷は無く、抵抗した痕もない。
 一緒に来ていた男が行方をくらましているから、目下、そいつを捜索中だ」

 手帳をめくりながら、宮本が現状を説明する。

「──質問。失血死が死因なら、当然どこかに流れ出た血があるはずだろう。
 現場には流血は無かったのか?」

「遺体発見現場には、血痕は全く無かった。
 というより、この事件の最大の謎は、大量の血液がいったいどこに消え失せたかってことなんだ」

「──……どういうことだ?」

 思わず眉をひそめた丞に、宮本はあっさりと答えた。

「遺体に血液が残って無かったんだ。
 内部出血なら、死後に出血斑ができるんだが、今回はそれも見当たらない。
 詳しい事は司法解剖の結果が出るまで判らんのだが、まるで生きながら血を抜き取られたようだって言ってたぞ。
 ご丁寧に、首筋に牙の痕まで残っていたからな。
 ひょっとすると、吸血鬼の仕業かもしれねえよなあ」

「──吸血鬼?」

 冗談を言うように、やや不謹慎な笑いを浮かべた宮本を見返し、思わず丞はその言葉を繰りかえしていた。

「ほら、小説や映画でよく出てくるヤツさ」

「宮本さんが、それを信じてるわけじゃないだろう?
 しかし、その牙の痕が、唯一の外傷ってわけか……」

 考え込んでしまった丞を見返し、宮本は重々しく言った。

「おい、俺は喋ったんだからな──早く、あのおぼっちゃまをどうにかしてくれ」

「もう一つ質問──この件に、アルラウドが関わっているのか?」

「そいつはまだ判らん。
 ただ、篠田絵里が、ホテルのロビーでヤツに話しかけていたのが目撃されているんだ。
 その後、彼氏と派手な喧嘩をしたみたいだしな。
 ──ま、とりあえずは、参考までにってことさ」

 丞はうなずくと、宮本と共にアルラウドがいるスウィートルームへ戻った。

 部屋にいる顔ぶれは先ほどまでと全く変わっていないし、アルラウドも相変わらずそっぽ向いたままだった。

 困惑しきったような人々の間を通り抜け、丞はアルラウドの耳元で、一言二言囁いた。

 するとアルラウドは途端に上機嫌な顔になり、初めて自分から捜査陣の方へと顔を向けたのだった。

 丞は再びアルラウドの傍から離れると、壁際に立っている宮本に近づいた。

「──これで、お喋りになると思うぞ」

 丞の顔をまじまじと見返した宮本は、ややあってから苦笑を浮かべた。

「おまえ、最初から謀っただろう、あのおぼっちゃまと共謀して」

「俺が? いったい、何の事だよ、それは?」

 さも驚いたというように、丞がしれっとした顔で応じると、宮本は鼻を鳴らした。

「──また、すっとぼけて。まったく、本当におまえは誰に似たんだかねえ」

「それはお互い様だろう? それで、他に目撃者はいなかったのか?」

「今のところはな。だが、俺はどうも、この事件、嫌な予感がするんだよなあ」

 ぼそりと呟いた宮本の精悍な横顔を、丞はちらりと横目で流し見ると、通訳を介して英語で話しているアルラウドの方に視線を向けた。

 アルラウドは相変わらず楽しげな顔であり、丞と視線が出会うと、悪戯を仕掛けている子供のような顔でウィンクを送ってきた。



 その後、ホテルの3階までエレベーターで降りた丞は、そのまま警官がうろうろしているホールを抜け、野次馬がたかっている場所まで行ってみた。

 その大きな窓からは、中庭の様子がよく見える。

 現場検証をしている刑事達の姿を見ていた丞は、遺体はそこから運び出されようとしているのを見取った。

 その時、白いシートを被せられた担架から、だらりと日焼けした腕が落ちた。

 その腕は血の気を失っているせいか、不気味な土気色になってしまっている。

 慌ただしく腕が担架に戻されると、今度は海側から強い風が吹き上げてきたため、被せられていたシートが大きく捲れ上がった。

 その瞬間、まるで眠っているような遺体の顔が露わになる。

 その顔に苦悶の表情は無く、むしろ恍惚とした表情が浮かんでいた。

 あたかもエクスタシーの絶頂に達した女の顔──その奇妙な遺体の顔を見取った丞は、ふと、背後から強い視線を感じた。