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舞の贄



<3>



 桜坂グループの顧問弁護士でもある沖守要は、沖月島の封建領主のような隠岐宮家の「守護者」なのだと自分から語っていた。

 様々な話を聞いてみると、もともと沖守家は隠岐宮家の分家であるらしく、複雑な家系図をたどると、玲熙と要は間違いなく親戚である。
 さらには融の一家である滝沢家は、沖守家から別れた分家であるらしい。

 しかしあまりにも古い時代に分かれているため、この三者の間に微かに血の繋がりはあるものの、ほとんど他人と言ってもよかった。

 しかしながら、沖月島の根強い連帯関係は、血縁というものが希薄になりつつある日本の中では、おそらく珍しいほどに強固であるに違いない。

 沖守家も滝沢家も、事ある毎に、主筋である隠岐宮家を尊重していた。

 そのせいなのか、島の住人たちは皆、隠岐宮玲熙の事を必ずといってよいほど「若さん」と呼んでいる。

 それは失踪したと言われている隠岐宮晴熙にしても同じことだったが、隠岐宮家が──否、恐らく沖守家が箝口令でも敷いたのか、ここのところ、晴熙の話題は誰の口からも聞くことはなかった。

 沖月島に住み始めてからまだ1ヶ月程度にしかならなかったが、その短期間の間に、丞はほとんどの島民に顔を知られることになっていた。

 時々それが面倒臭いと思える事もあったが、顔見知りになっておくと何かと得することも多いのも事実である。

 特に、野菜や肉や魚といった食材は、東京時代には考えられないほど安く買える。

 八百屋や魚屋のおばちゃん達に、丞が惜しみなく愛嬌を振りまいているせいなのかもしれなかったが、それはそれで、ありがたいと言えるのかもしれない。

 そして──本来は口を噤まなければならないような情報も、口の滑りが良くなったおばちゃんたちから得ることができた。

 沖守要の話を聞いた時、彼らは決まって言うのだった。

「──そりゃあね。
 沖守家の要さんといえば、お父上にも勝るエリートじゃからね。
 今は成り上がりの桜坂家に仕えておられるが、そのうち、隠岐宮家を支えるために独立なさるじゃろうよ。
 ただ、あの人は怖い人じゃから──丞君、用心してお付き合いしなければいかんよ」

 要の何が、沖月島の住人にそれほどの畏れを抱かせるのか──。

 気の良いおばちゃんたちの顔に浮かぶ心配そうな表情を見ていると、丞はそう考えずにはいられなかった。

 そして、その沖守要が、丞と話をするべく直々に会いに来ると言うのだから、どうもただ事ではないような気がした。

 転入早々に起こった凄惨な殺人事件のせいで、要とは気心の知れた間柄になってはいたが、それでも多忙な彼が時間を割いて出向いて来ることは滅多にない。

 ──それゆえであろうか。

 丞は、要が自分に会いに来るという事に、奇妙な胸騒ぎを覚えていた。


 連休明けの最初の授業としては最悪とも思える古文の授業が終わった後、教室の中がにわかに騒がしくなった。

 クラスの違う女子生徒が、授業が終わるのを待ちかねたように、弾丸のような勢いで教室に飛び込んでくる。

「ねえ、ちょっと、ちょっと!
 聞いてよ──うちのクラスにねえ、留学生が来たんだよ!」

「ええー、今の時期って、珍しくない?」

「そんな事、どうだっていいでしょ。
 それより……男? 女?」

 それが一番の重要事項だとばかりに訊ねた少女に、飛び込んできた生徒は、満面の笑みを浮かべながら叫ぶように言った。

「男よ、男! それもねえ、むっちゃくちゃ美形よ、美形!!」

 すると彼女の友達グループの一人が、欠伸をしていた丞の方にちらりと視線を送り、感動しきっている友人に問いかけた。

「──じゃあ、峰月クンと比べて、どっちがカッコいい?」

 その問いが発せられた瞬間、教室にいた全ての女子生徒が少女に注目した。

「それがね〜、タイマン張るぐらいに美形なの。
 プラチナブロンドのロンゲで、海みたいに青い瞳でねえ、見ているだけでうっとりよ。
 モデル体型だし、日本語も嘘みたいに上手。
 笑顔がとっても綺麗で、もう最高!って感じ」

 その女子生徒の言葉を真剣に聞いていた少女たちは、そのほとんどがその説明が終わるないなや、教室を駆けだしていった。

 授業の後半はほとんど仮眠状態に陥っていた丞は、騒々しい女子生徒の異様な行動に疑問を覚えた。

 しかし、眠気がすっきり去らないせいもあって、頭が正常な回転を拒んでいる。

 そのうち、いつの間にか外に出ていたらしい有馬正志が、丞の隣に着席しながら、呆れたような盛大なため息をついた。

「いやはや、女ってやつは──男の顔が、それほど大事なものかねえ」

 銀縁眼鏡を外し、丁寧にレンズを拭き始めた正志は、丞に問いかけるように呟いた。

「──何の話だ?」

「聞いてなかったのか、君は?
 女子が大騒ぎしている、留学生の話だよ」

 眼鏡をかけ直した正志が肩をすくめると、窓際の席で玲熙と喋っていた融が、興味を引かれたように近寄ってきた。

「男だって、美人を見れば大騒ぎするじゃん。それと同じことだろ?」

 悟ったような言葉を口にした融を見やった正志は、皮肉っぽく唇をつり上げた。

「ああ、そうだな。君の思考回路は、さっきの彼女たちと全く同じだ。
 ──単純で、極めて判りやすい」

「複雑だから偉いってわけじゃないだろうが」

「……我思う、ゆえに我あり。
 本能のままに生きる融には、きっと判らない事だと思うけどね」

 陰険で不毛な漫才を繰り広げはじめた融と正志を見やり、丞は欠伸を噛み殺しながら、天井を仰いでいた。

「頼むから──誰か、俺に判るように説明してくれないか」

 それを見ていた玲熙が、空席になっている丞の前の椅子に座った。

「2年A組に、留学生が来たらしいよ。
 全校の女の子が、その留学生を見に行っているんじゃないかな」

「ふーん、留学生ね。
 欧米なら新学期は9月からだろうに……それは珍しいな」

 ほとんど興味は無いと言うように頬杖をついた丞を見つめ、玲熙は淡く微笑むと、さらりと黒髪を流して優雅に首を傾げた。

「寝不足なの? さっきから、欠伸ばかりしてるけど……」

「そうじゃないが──催眠術にかけられた気分だな。
 変な寝方をしたせいで、余計に眠い」

「でも……中間テスト、もうすぐだよ。
 今の時期に眠っていると、重要な部分を聞き逃しちゃうと思うけど……」

「──後で玲熙に教えてもらうからいい」

 丞が転入してきた最初の頃は、人を拒絶して誰とも話そうとしていなかった玲熙であったが、最近では少しずつ会話に加わるようになってきた。

 しかし、父親は不治の病に冒され、実の兄である晴熙は失踪している。

 そんな辛い状況に負けまいとするように、必死で微笑んでみせる玲熙の笑顔は、胸が痛むほどに哀れに思え──そして、悲しいほどに美しかった。

「ところで、その留学生の名前、何ていうの?」

 玲熙の微笑に見惚れていた丞の意識を引き戻すかのように、融が正志にそう訊ねた。

 2年D組の学級委員長である正志は、こめかみを人差し指で押さえ、思い出そうとするように首をひねった。

「確か──アルラウド・ローウェルとかいう名前だったぞ」

 その名前を聞いた瞬間、丞はいきなり殴りつけられたような衝撃を受け、思わず椅子から立ち上がっていた。