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舞の贄



<37>



 丞が目を覚ました原因は、突然、身体にのし掛かってきた重みだった。

 真夜中にアルラウドを抱えて帰ってきたせいで、泥沼に引き込まれるような眠りに落ちていた丞は、首筋に柔らかく濡れたモノが触れた瞬間、はっと瞼を開いた。

 丞の腹部に誰かが跨り、肩を押さえつけて、首筋に顔を埋めている。

 鼻先をくすぐるプラチナブロンドの髪に気づいた丞は、昨晩見た光景を思い出し、とっさに全身のバネを使ってアルラウドを振り落としていた。

「……ひどいな──まだ何もしてないのに、そんなに嫌がらなくてもいいだろう」

 畳の上に転げ落ちたアルラウドは、憮然とした顔つきでそう言った。

 鮮やかなマリンブルーの瞳には、昨夜のような禍々しい赤光は見られず、傲慢不遜ないつもの色合いに戻っている。

 それを見取った丞は大きくため息をつき、思わず片手で顔を覆っていた。

「──まだ? いったい、何をする気だったんだ、おまえは?」

「何って、決まっているだろう──おはようのキスだ。
 それとも、もっと他のイイコトをして欲しかったか?
 苦悶するような顔で寝てたぞ、おまえ。
 こんなド田舎にきて、出すモノを出さなくて、相当溜まってるんじゃないのか?」

 片膝を立てて座ったアルラウドは、にやりと尊大で艶冶な微笑を浮かべた。

 琥珀の双眸を眇めた丞は、しかしアルラウドが昨夜の事を何も覚えていないのだと察し、緊張が緩むのを感じた。

「……朝っぱらから盛っているのはおまえの方だろう。
 それより、アル、身体の具合は?」

 丞の問いに、アルラウドは少し驚いたように蒼瞳を瞠り、ふと首を傾げた後に、パジャマ代わりに着ていたTシャツの裾をめくり上げた。

「朝起きたら、どうしてだかここに痣ができていた」

 自分の鳩尾を示したアルラウドは、丞を見返し、不審げに眉を寄せた。

「何があったのか、全然、覚えていないんだ。
 俺に何があったのか、おまえは知ってるのか、タスク?」

 常に自信に満ち溢れているアルラウドの瞳が、わずかに不安げに揺れる。

 綺麗に鍛えられたアルラウドの腹部を見つめていた丞は、薄く鬱血したように色が変わっているその部分に指先を伸ばした。

「──痛むのか?」

 触れられた瞬間、ぴくりと身体を震わせたアルラウドは、小さく首を横に振った。

「いや……ほとんど痛まないが──原因が判らないのは不気味だぞ」

「原因…ね──」

 唇に苦笑を閃かせた丞は、火傷の痕に覆われた半身に視線を向け、指先を滑らせた。

(──あの爆発に巻き込まれて、生きている方が奇跡的だというのに、たったこれだけの傷しか残ってないのは異常じゃないのか?)

 目の前で轟音を立て、崩れ落ちたペントハウス──遺体はどれも判別が不可能なほど焼け爛れており、アルラウドのものだと見せられた死体は一番破損が酷かった。

 生存者は皆無の状況だったが、何故かアルラウドだけが生き残っている。

 爆破犯が狙ったのはアルラウドだったはずだが、その標的だけが生き延び、ここにいる。

 丞は思索に没頭したまま、無惨に引きつれている皮膚を観察するように触れていた。

 すると突然、アルラウドが微かに息を喘がせ、首筋を美しく仰け反らせた。

「……あっ……おまえの指──すごく、感じる……気持ちイイ……」

 恍惚とした表情でうっとりと呟き、吐息をもらしたアルラウドの赤い舌が口の中からわずかにのぞく。

 そこに長く伸びた犬歯が見られないことに気づいた丞は、訝しむように眉根を寄せ、指先をすっと引いた。

「──ああ、悪い」

 どうやら考え込みながらアルラウドの肌を撫で回していたのだと気づき、丞は苦笑しながら謝った。

 その途端、アルラウドが不機嫌そうに丞を睨みつけた。

「……おい、どうしてそこで止める?」

「朝から盛るなって言っただろう──それより、朝飯にしよう、腹が減った」

 あっさりと突き放した丞に、アルラウドは恨めしげな視線を向けた。

「おまえのせいで、余計に勃ったんだぞ──どうしてくれるんだ?」

「俺は朝食の支度をしてくる。その間に自分でどうにかしろ」

 丞の薄情な言い様に、アルラウドは欲情に潤んだ蒼瞳を剣呑に眇め、存在を主張している股間を指差した。

「リーファンもいないんだぞ! 俺にマスターベーションしろって言うのか!?」

「その通り。それができないんだったら、我慢するんだな」

 助けを求めるように見つめてくるアルラウドに、丞はにこりと微笑みかけた。

 朝食が終わった後も、アルラウドは機嫌が悪いままだった。

 丞の言葉に相当腹を立てたのか、むすっとした表情で畳の上に寝転がっている。

 子供が拗ねているような態度に苦笑しながら、食事の後片づけを終えた丞は、アルラウドの顔を覗き込んだ。

「──おい、アル。せっかく沖月島に来てるんだから、これから出かけてみないか?」

 瞼を閉ざしていたアルラウドは、面倒くさそうに片目を開け、ふんと鼻を鳴らしてそっぽ向いた。

 どうやら、丞を無視することにしたらしい。

 やれやれと低く呟いた丞は、それ以上は構わずにその場を離れ、庭ではしゃぎ回っているナナシを呼んだ。

 名前を呼ばれた途端、転がるような勢いで、ナナシが走り寄ってくる。

「──ナナシの散歩に行ってくる。行かないんだったら、留守番、頼んだぞ」

 子犬の首輪にリードを付けながら、丞がそう告げると、アルラウドがむくりと上体を起こした。

「……俺も行く」

 機嫌を直したわけでは無さそうだったが、置いて行かれるのは嫌らしい。

 くすくすと笑いながら、丞はナナシを抱き上げてアルラウドに歩み寄り、美しい碧玉のような双眸を見つめた。

「アル──キスしてやるから、機嫌を直せ」

 一瞬、驚いたように双眸を瞠ったアルラウドは、すぐに疑わしげに瞳を細めた。

「おまえ、キスぐらいで俺を懐柔できると思ってるのか?」

「キスがしたかったんだろう? 嫌なら別にいいんだが」

 穏やかに笑う丞の双眸を見返し、アルラウドは胡散臭そうに片眉を吊り上げたが、ややあってから大きくため息をついた。

「──いいだろう、仲直りのキスだ。その代わり、真面目にやれよ」

 挑戦的な眼差しで丞を見つめたアルラウドは、長いブロンドの睫毛を伏せ、目を閉じた。

 一拍の間があった後、アルラウドの唇を生暖かい舌がぺろりと舐めた。

 その後、唇だけでなく顔中をベロベロと舐め回され、アルラウドは勢いに押されたように身を引く。

 瞼を開くと、目の前に白い子犬の顔があり、アルラウドは思わず飛び退いていた。

「タスクッ! おまえ、騙したな!」

「真面目にやったさ、なあ、ナナシ。俺は『誰が』とは言わなかったぞ」

 ナナシの頭を撫でながら笑った丞は、忌々しげに手の甲で唇を拭っているアルラウドの肩を叩いた。

「──さあ、アルラウド。顔を洗って、散歩に行くぞ」




 ナナシを連れて二人が外に出ると、晴れ渡った晴天がどこまでも広がっていた。

 白い雲が眩しいほどに輝き、深みのある青空の中をゆっくりと流れていく。

「ちょっと蒸し暑いが、いい天気じゃないか」

 丞がそう声をかけると、アルラウドはうなずいて、眩しそうに片手をかざした。

 だが、その顔に太陽に対する怖れは無く、むしろ心地よさそうな表情をしている。

──ドラキュラは、太陽を浴びて、灰になったのではなかったか。

 いつの間にかアルラウドの顔色をうかがっていたことに気づいた丞は、ふと自嘲的な微笑を浮かべた。

「それで、どこに行くんだ?」

 機嫌の悪さが完全に解消されたわけではなかったが、少し憂さが晴れたような表情で、アルラウドがそう訊いてきた。

「とりあえず、鬼塚森神社に行ってみるか。
 玲熙の実家がやっているんだが、おまえはまだ見たことなかっただろう? 
 この沖月島の、観光名所の一つだな」

 西に向かって歩きながら、丞は鬱蒼とした鎮守の森に覆われた竜海山を指差した。