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舞の贄



<4>



「──アルラウド・ローウェルだと? そんな馬鹿な……」

 宙の一点を険しく睨みすえたまま、丞は唸るように呟いた。

 自分の言葉が与えた凄まじい反応に愕然としたように、ずり落ちる眼鏡にも気づかないまま、正志は呆気にとられて丞を見上げていた。

 丞の異様な姿に驚愕したのは、傍にいた玲熙や融も同じであった。

 いつも冷静で、他者に対しては寛大である丞が、心の動揺を隠せないまま立ちすくんでいるのである。

 突然の大地震に襲われ、地中深くまで根を張った大樹が大きく揺らいだような印象を、呆然と見上げていた玲熙は抱いた。

 何をそんなに驚愕しているのかを訊ねたいと思いながら、もともと内気な玲熙はその言葉を発することができなかった。

 心の中に無断で踏み込めば、相手を傷つけてしまうのではないかという思いが、ふっと心の中を過ぎる。

 その時、玲熙の心を代弁するように、融が驚きをそのまま口にした。

「おい丞、どうしたんだよ、いったい?
 あんたがいきなり立ち上がるもんだから、みんな、びびってるじゃんか」

 訝しみながらも、冗談を交えた明るい口調でそう訊ねた融を、玲熙はかつてと同じく羨ましいと思った。

(──どうしたのって聞くことさえ、まだできないなんて……)

 ぐるぐると悩んでいる間に、いつの間にか会話から取り残されてしまう自分を情け無いと思いながら、玲熙は内心でため息をついた。

 ところが、融の質問には直接は答えず、心配している玲熙の心にも気づかぬまま、丞は厳しい口調で正志に問いただした。

「正志──そいつは、この学校にいつまで留学する予定なんだ?」

 我に返って眼鏡の位置を直していた正志は、不審そうに眉宇をひそめながらも、自分が見聞きしてきた事を説明した。

「それが、担任が言うには、この高校を卒業するまでって事らしいんだ。
 どこかの誰かと同じ理由なんだが、どうやら、仕事で日本に派遣された父親にくっついて来たらしい。
 今はまだ竜泉閣ホテル住まいだけど、そのうち本格的に家を探すそうだ。
 僕が不思議に思うのは、父親の仕事は貿易関係だっていうのに、どうしてこんな田舎に住むことになったんだろう。
 彼の国籍はイギリスらしいんだが……」

 正志の言葉を黙って聞いていた丞は、思わず額を押さえると、そのまま脱力するように椅子に座った。

 その姿に胸が小さく痛み、玲熙は目の前にあるゴールドブラウンの髪に指先を差し伸べたくなった。

 しかし、その誘惑を振り切るように顔を背けた玲熙は、怪訝そうに首を傾げている融と顔を見合わせた。

「──どうしたんだろうね」

 そっと呟くように言った玲熙を見返し、融は首を横に振った。

「さあ。もしかして、知り合いだったのかねえ?」

 融とならスムーズな会話が成り立つというのに、どうして丞に対しては声をかけることすら躊躇ってしまうのか。

(──そう……素直に悩みを聞いてあげられないほど、僕たちの距離は、まだこんなにも遠い)

 すっと心の中に入り込んできた寂寥に直面し、玲熙は内心で深い嘆息をもらした。



 二時間目の授業が終わった後、丞は同じ階にある2年A組の教室まで行ってみた。

 正志がぶつぶつと言っていた通り、教室の前には女子生徒の人垣ができている。

 彼女たちの背後から教室の中をうかがった丞は、話題の渦中にいるイギリスからの留学生を認めた。

「──アルラウド……どうして、あいつがここに──」

 目の前の光景が信じきれず、丞が思わず低く呟いた時、その人物がすっと顔を上げた。

 明るく、鮮やかな地中海を思わせる紺碧の双眸、混じりけのないプラチナブロンド、そして端麗で貴族的な美貌。

 琥珀と南洋の瞳が絡まり、視線は凍りついた。

 アルラウド・ローウェルは、丞の姿をじっと見つめたまま、秀麗な顔に微笑を浮かべた。

 楽しげに、そして心底嬉しそうに──。

 優雅な動作で彼は立ち上がると、周囲を取り巻いている女生徒たちには目もくれず、真っ直ぐに丞の方へと歩み寄ってきた。

 その途端、幾重にも重なり合った人垣が自然に左右に分かれ、あたかも王侯を通すように、一本の道が形作られる。

「──やあ、タスク。久しぶりだな。元気そうで何よりだ」

 他の者には用はないとばかりに、アルラウドは英語でそう挨拶してきた。

「……どうして、おまえがここにいる?」

 内心で何度も繰り返した問いを、丞もまた英語で告げる。

 その声には常にない峻厳な響きがあったが、周囲の生徒たちはそれに気づかず、流暢な発音に驚いて囁き合った。

「どうしてって、随分とつれない事を言うな。
 久しぶりに親友と再会したっていうのに、そんな言葉はないんじゃないのか?
 俺は、おまえがもう少し喜んでくれると思っていたのに」

「──親友? 悪友の間違いだろう。
 おまえのおかげで、どれだけ騒動に巻き込まれたか。
 質問に答えろ、アルラウド。
 いったい、おまえは何をしにきた?
 もし、ここに騒ぎを持ち込む気なら……」

 苦い表情を浮かべたまま、琥珀の瞳を光らせた丞を見返し、アルラウドは嫣然と魅惑的な微笑みを浮かべた。

「騒ぎなんて大げさだぞ、タスク。
 人聞きの悪い事を言うな。
 ──それにしても、しばらく見ないうちに、ずいぶんと穏和になったな。
 この島に来て以来、おまえの噂はいろいろと聞かせてもらったよ」

 アルラウドは、かつてを彷彿とさせるような美しくも邪悪な微笑を刻み、どこまでも優美に軽く肩をすくめて見せた。

「だが──まあ、おまえの言いたい事はだいたい判ってる。
 ここでは差し障りがあるから、学校が終わったら、ホテルに来いよ。
 おまえが聞きたがっていることに、ちゃんと答えてやるから」

「……」

 双眸に剣呑な光を宿している丞を見つめ、アルラウドは恐れる様子もなくくすくすと笑い出し、片手を振りながら踵を返した。

「俺だって聞きたい事は山ほどあるんだ。
 聞かせてもらうぞ──特に、おまえが救ったという美しい姫君の事をね」

「──アル、おまえ、何を考えている?」

 重ねられた問いに、アルラウドは立ち止まると、肩越しに丞を振り返った。

「別に何も。ただ、久しぶりに親友の顔が見たくなっただけだ」

 屈託のない朗らかな笑い声を響かせ、アルラウドは自分の席の方へと戻って行く。

 その時、驚くほど大きな音で授業開始のチャイムが鳴り始めた。

 端整でありながら、どこか野性的で精悍な顔に厳しい表情を貼り付かせ、丞は深い疑惑を払拭することができないまま、人の多い廊下を戻りだした。