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舞の贄



<40>



「タスク様──お話というのは何でしょう?」

 竜泉閣ホテルのインペリアルスウィートルームで丞を出迎えたリーファンは、緊張した硬い表情でそう訊ねた。

 瞳と同じ色合いの青いチャイナカラーのシャツを着たリーファンの細い首には、真っ白な包帯が巻かれている。

 丞がそれに眼を向けると、少年はとっさに傷口をかばおうとするように片手を当てた。

「判っているんだろう、リーファン? アルラウドの事だ」

 余分な前置きをせずに丞が告げると、リーファンは苦痛をこらえるように眉をひそめ、やがてうつむいたまま軽く頷いた。

「……はい、判っております。
 あれを見てしまったタスク様には隠すことはできません。
 私が知る限りの事を、全てお話いたします」

 そう言って丞にソファを勧めたリーファンは、自分の気持ちを落ち着かせようとするかのように丁寧に紅茶を淹れ始めた。

 急かすことなく、その様子を眺めていた丞は、改めて少年の美しさに驚いていた。

 青ざめているためか肌は透き通るように白く、ただ一つ紅く色づいた唇がひどく蠱惑的に見える。

 長い睫毛が影を落とした横顔は、憂いを帯びているせいか、幼さを残した顔立ちであるにもかかわらず、遙かに大人びて見えた。

 丞の前にティーカップを置いたリーファンは、向かい側のソファに座ると、涙で潤んでいるようにも見える瞳を細め、質問を促すように微笑んだ。

「──あいつには以前も同じような事があった。そうだな?」

 できるだけ冷静な声で丞がそう問うと、リーファンの瞳が戸惑いに揺れ、紅い唇がわななくように震えた。 

 丞から視線を逸らしたリーファンは、深い溜息をついて頷いた。

「……はい。アルラウド様の記憶が失われていた頃、ある時から夜になると、ふらりと出て行かれるようになられました。
 何人もの護衛がついていたのですが、一瞬目を離した隙にいなくなってしまうのです。
 そのため、アルラウド様は軟禁されることになりました」

 痛みに耐えようとするかのように、リーファンは一点を見つめたまま眉間に皺を寄せ、大きく息を吸い込んだ。

「私は、アルラウド様のお傍に付いておりましたが、あの頃のあの方は……本当に獣のようで──誰に対しても攻撃的で……」

「凶暴で手がつけられなかった、か?」

 声を詰まらせたリーファンの言葉を、丞が引き継ぐと、少年の瞳から涙がこぼれ落ちた。

「──はい。
 私が最初に血を吸われたのは、お見舞いに来られていたお母上に襲いかかろうとしたアルラウド様をお止めしようとしていた時でした。
 しかし私の血を吸った後、あの方は嘘のように大人しくなられ、落ち着かれたのです。
 私は一時的な貧血で済みましたが、それから時々、あの方は私の血を啜るようになられました。
 まるで、何かに飢えているかのように……」

 アルラウドが血を吸っていた現場を目撃していたにも関わらず、リーファンの口から改めて聞かされると、丞は鳩尾に鈍い衝撃を感じた。

 嘘であって欲しいと心のどこかで祈っていたのだ──。

 だが間違いなくそれが現実なのだと思い知らされ、丞は観念するように目を閉じて、額を押さえていた。

「夜に出歩いていたのは、人の生き血を求めていたということなのか?」

「そういう事なのだと思います」

「──アルラウドが血を吸い始めたのは、例の爆破事件の後からなんだな?
 昔からあいつは悪趣味だったが、俺が知っている限り、生き血を啜るような趣味は無かったはずだ。
 そうだとすれば、あの事件の後、何かきっかけになるような事があったのかもしれない」

 目を開けた丞が確認するように訊ねると、少年は躊躇いながらも同意するように頷いた。

 丞はソファから身を乗り出し、リーファンの瞳を見つめた。

「教えてくれないか、リーファン──あの爆発事件の事を。
 アルラウドに何が起こったのか、俺はそれを知る必要があるんだ。
 何故こんな事になったのか、その原因を探し出さなければならない……アルのために」

 いつ、どこで、何のために、アルラウドは邪鬼に己の魂を売り渡したのか。

 そして、誰がアルラウドを操っているのか。

 アルラウドを救うためには、何としてもそれらを探り出さなければならないのだ。

 するとリーファンは驚いたように双眸を瞠り、丞の琥珀色の瞳をじっと見返した。

 そして、意思の強い眼差しに耐えきれずに視線をそらし、物憂げに細い吐息をつくと、重い口をようやく開いた。

「……あの爆発事件の犯人は、アルラウド様の取り巻きの一人でした。
 彼は、アルラウド様の美しさを愛し、誰よりも声高に賛美をしていた。
 アルラウド様も面白がられてお傍に置かれていたのですが、その男の病的な執着を次第に厭うようになったのです」

 顔をしかめた丞は、訝しげに質問した。

「アルの取り巻きは昔から多かったが、『お気に入り』が変わるのもしょっちゅうだった。
 その男も、そんな『お気に入り』の一人だろう?
 いつかは見限られることが判っていただろうに、どうして彼は殺意を持つほどあいつを憎んだんだ?」

 丞の言葉を聞いたリーファンは悲しげに微笑み、気持ちを抑えようとするかのように自分の腕をぎゅっとつかんだ。

「彼はとりたてて取り柄の無い、平凡な男でした。
 けれどある時、アルラウド様のほんの気まぐれから、その愛人の座を手に入れた。
 その日から彼の人生は変わりました。
 アルラウド様が崇められるのと同じくらい、彼もまた人々から敬われる。
 けれど、彼がその栄華に酔いしれ、幸福の絶頂にいる時を見計らって、アルラウド様が突然彼を遠ざけたため、人々も掌を返したように冷たくなっていった。
 夢から醒めた彼に残されたのは、おそらく絶望と……憎悪だけだったのでしょう」

 苦悩に染まった蒼瞳を丞に向け、リーファンは自嘲的に微笑んだ。

「その結果、あの爆発事件が引き起こされました。
 爆風に巻き込まれたアルラウド様は重症で、生死の境をずっと彷徨っておられました。
 全身に酷い火傷を負われて、しばらく意識不明の状態が続き、生命維持装置が無ければきっと亡くなられていたでしょう。
 たとえ意識を取り戻したとしても、全身に後遺症や、醜いケロイドが残るだろうと言われていました。
 美しかったアルラウド様が、そのような状態に耐えられるのかと、誰もが心配していたのです」

 リーファンの言葉を頭の中で整理しながら聞いていた丞は、友人の姿を思い出し、はっと顔を上げた。

「──アルラウドに傷跡なんか残ってなかったぞ」

「……そうなのです。
 ある晩、アルラウド様は突然目覚められ、その時にはすでに、火傷の痕などほとんど残っておりませんでした。
 当初、全ての記憶を失われていたようなのですが、あの方が一番最初に思い出されたのはあなたの事でした」

 滲んできた涙を指先でぬぐったリーファンは、訝しげな表情を浮かべた丞に優しく微笑みかけた。

「……あの方を死の床から呼び戻したのは、タスク様なのではないでしょうか。
 アルラウド様は、誰よりもあなた様の事を信頼していらっしゃるようです。
 それは、お傍で見ていれば判ります」

 そう言って僅かにうつむいたリーファンは、寂しげな微笑を浮かべた。

「私のような者にとっては、あなた様が本当に羨ましい。
 あなた様が仰る通り、ただの『お気に入り』は、いつアルラウド様から見捨てられても不思議ではないのですから」

「いや……それは過大評価だろう」

 リーファンの言葉を聞いた途端、丞は複雑な気分に陥った。

 全身に大火傷を負い、死の淵を彷徨っていたアルラウド。

 その彼を彼岸から呼び戻したのが自分だとするなら、アルラウドが邪鬼になってまで生にしがみついた原因は丞自身にあるということになる。

 だが、二人の絆がそれほど深いものだったとは到底思えない。

 丞は常に傍観者だった──アルラウドの引き起こす騒動を苦々しく思い、時に止められない自分を情けなく感じていた。

 信頼という言葉とはほど遠い関係。

 二人の間には、厚い友情も、甘い恋愛感情も無かった。

 ただお互いの存在を認め、特に干渉もせず、一定の距離感を保ちながら付き合い続けてきただけなのだ。

「……あの爆発事件の後、アルラウドの周囲に見慣れない人物とか現れなかったか?」

 リーファンの意見に納得がゆかず、丞がそう訊ねると、少年は首を傾げた。

「あの事件の後、アルラウド様は常に厳重な監視下にありました。
 接触する人間がどこの誰なのかはすぐに特定できますし、アルラウド様も以前ほど社交的ではありません。
 どちらかと言うと、ほとんど屋敷の中に引きこもっておられましたから」

「じゃあ、アルラウドがこの時期に日本に来ようとしたのは何故なんだ?
 本当に俺に会いに来ただけってことはないだろう」

 丞が問いを重ねると、少年は戸惑ったように睫毛を伏せ、両手を組み合わせた。

「それは……わたくしの口からは申し上げられません。
 お知りになりたいのであれば、アルラウド様ご本人か、兄君のジェイラス様にお聞きください」

 きゅっと唇を引き締めたリーファンの表情を見つめ、それ以上聞き出すことはできないだろうと判断した丞は、軽くうなずいて見せた。

「なるほど、ローウェル一族の秘密というわけだな。
 ジェイルに聞いてみたいが、忙しいあの人の事だから、捕まえるのは大変だろう。
 とはいえ、ありがとう、リーファン。
 おかげで少しは情況が判ってきた」

 そのまま勢いをつけてソファから立ち上がった丞は、部屋のドアへと向かった。

 そしてふと思い出して立ち止まり、憂鬱そうな顔をしているリーファンの方を振り返った。

「最後に一つ。イギリスで血を抜かれた死体は出なかったのか?」

 すると少年は青ざめた表情で瞼を閉ざし、微かに震える声で告げた。

「死体は出ました──その後の事は、どうぞお察しください」