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舞の贄



<41>



 竜泉閣ホテルを出た丞は、その足で商店街に移動し、夕食の食材を買いそろえた。

 両手にレジ袋を吊り下げたまま、片道三十分ほどの距離をぶらぶらと歩きながら帰宅する。

 夕陽に照らされ、海風に吹かれながら歩くのは、自分の考えをまとめるのに丁度良い。

 自宅で寝ているアルラウドの様子が気に掛かっていたが、今は一人で考え事をする時間が欲しかった。

(……爆発に巻き込まれ、意識を回復した時にはすでに、アルラウドはヴァンパイア化していたってことなんだろうな)

 リーファンから得た情報を思い返しながら、丞は一つの仮定を立てた。

 爆発で受けた火傷の異常な回復、そしてその後の吸血行為が、その仮定を裏付ける。

 そうだとすれば、アルラウドを支配する「主」は、爆破事件の直後から傍にいる人物である可能性が高い。

 鬼ヶ浦に面した道沿いで足を止め、海を挟んだ向かい側に広がる鬼ヶ浦町の町並みに目を向けた丞は、溜息を一つついて空を仰いだ。

「──まったく……世話の焼けるヤツだ」

 この沖月島に引っ越してきて、ようやく平和に過ごせるようになったというのに、アルラウドが現れてからというもの、気が休まる日が無かった。

 だが、この事態を収束させなければ、結果的には玲熙にも迷惑がかかる。

 身内が引き起こした凄惨な事件に巻き込まれながらも、ようやく笑顔を取り戻しつつあるのだから、彼にはこれ以上余計な心配をかけたくはなかった。

 街路樹の若葉が西日に照らされて透き通るように輝き、海風に吹かれてさらさらと鳴る。

 こののどかで平和な島を、再び血生臭い惨劇の舞台にはしたくない。

 突風に吹かれて乱れた髪を押さえながら、黄昏れてゆく空と山並みの青いシルエットを眺めていた丞は、心の中でそう呟いていた。

 その時、本土の鬼ヶ浦町と沖月島を結ぶ鬼ヶ浦大橋を渡ってきた車が、丞の傍を通り抜けたところで、スピードを落として停まった。

 再び自宅に向かって歩き始めていた丞に、その車の後部座席に座っていた人物が、ドアを開けながら呼びかけてくる。

「──丞君、買い物の帰りかい? 家まで送っていこうか?」

 車から降り立った男を見て、丞は思わず首を傾げていた。

「あれ、要さん。東京に出張じゃなかったんですか?」

 すると沖守要は理知的な顔に苦笑を浮かべ、他の建物よりも抜きんでて高い竜泉閣ホテルに視線を向けた。

「あのホテルでまた事件が起こったと知らされて、急遽呼び戻されたんだ。
 あれは桜坂グループのシンボルのようなものだし、その事件にローウェルの御曹司が関わっているとなれば、なおさら桜坂は神経質になる。
 とは言え、明朝にはまた東京にとんぼ返りしなければならないんだが」

 深く溜息をついた要は、背後にうずくまる竜海山を振り仰いだ。

「それに、玲熙さんの様子を見ておきたかったからね。
 志熙から詳しい話も聞いておきたかったし。
 ちょうど時間が空いたから、今から隠岐宮の本家に出向くところなんだよ」

 愛おしむものを見つめるかのように双眸を細めた要の顔を眺めていた丞は、その言葉を聞いた途端、唇の片端を軽くつり上げていた。

 理由も無く、胸の中にもやもやとした不快な暗雲が立ちこめてくる。

「──要さんは、本当に玲熙の事が心配なんですね」

 丞の方を向いた要は、鷹揚に微笑んだ。

「私は隠岐宮家を守る家に生まれたし、玲熙さんは今となってはただ一人の直系──さらには巫女でもある。
 守護者である以上、心配しないわけにはいかないんだよ」

「それだけですか?」

 要は訝しげに眉をひそめ、強い眼差しで丞を見返した。

「君は何を言いたいんだ?」

 そう問い返された丞は、笑いながら肩をすくめて見せた。

「要さんは、玲熙の事を本当の弟のように心配してるんだなあと思っただけです。
 家系とか、守護者であるとか、そんな事は関係無く。
 俺は一人っ子なので、そういうのはちょっと羨ましい」

 丞の言葉を聞いた要は、緊張を解いたように肩の力を抜き、穏やかな微笑を浮かべた。

「玲熙さんの事は、生まれた時から知っているんだ。
 成長する姿をずっと見てきたし、守ってきたつもりだ。
 多分、普通の兄弟以上に、私は玲熙さんの人生に関わっていくんだろう──これまでと同じように、これからも……」

「要さんが傍にいれば、玲熙は安心ですね」

 内心を隠して社交的な微笑を浮かべた丞は、上体を屈めて、路上に置いてあった買い物袋を取り上げた。

「すみません、忙しいのに、こんな所で引き留めてしまって。
 俺は運動がてら歩いて帰りますから、どうかご心配なく。
 要さんは早く、隠岐宮の本家に戻ってください」

「じゃあ、そうさせてもらうよ。
 今度また、改めて話をしようか──気をつけて帰るんだよ」

 バックシートに乗り込んだ要は、車が発進する時、爽やかな笑顔で丞に片手を挙げて見せた。

 走り去っていく車を見送った丞は、表情を崩して眉間に深い皺を寄せると、胸の中の不快感を吐き出すように大きく溜息をついた。

 だが、その不愉快な感覚は、一向に消える気配が無い。

 思わず舌打ちをした丞は、胸の中の不可解な敗北感を忌々しく感じながら、足早に家路を急いだ。



「──遅い。いったい、買い物に何時間かかるんだ?」

 帰宅した丞がテーブルの上に買い物袋を置くと、書き置きのメモを読んだらしいアルラウドが、居間でごろごろしながら不満そうに文句を言った。

 神経がささくれたように不機嫌になっていた丞は、その言葉でさらに苛立ちを募らせ、厳しい顔でアルラウドを睨み付けていた。

「なんだ、その顔は? ケンカに負けたチンピラみたいな顔してるぞ」

 ぎらついた琥珀の瞳を真正面から見返し、アルラウドは呆れたように嘲笑うと、寝ころんだまま組んでいた長い足をぶらぶらと揺らした。

「随分、どす黒いオーラになってるな──嫉妬? 敗北感? そんなところか?」

 胸の裡をアルラウドに見透かされ、ひどくきまりの悪い思いを味わった丞は、何度目かの溜息を吐き出して黙々と片付けを始めた。

 そんな丞の様子をしばらく眺めていたアルラウドは、身体を起こしてあぐらをかいた。

「何があった、タスク? 何だったら、俺がリベンジしてきてやるぞ」

 好奇心にきらめく蒼瞳を見下ろし、丞は思わず天井を仰ぐと、気分を落ち着かせるように冷蔵庫から麦茶を取り出した。

「特に何があったわけじゃない。
 ただ、新参者には判らない歴史のようなものを見せつけられただけだ」

 アルラウドには嘘が通用しないため、丞は本音を織り交ぜてそう答えた。

 するとアルラウドは首を傾げ、訝しげな表情を浮かべた。

「意味不明だな──そんなもの、お前は気にも留めないだろうに。
 それとも、こんな田舎に長居するつもりにでもなったか?」

 返答をごまかすように肩をすくめた丞は、食器棚からグラスを二つ取り出した。

「お前も飲むか?」

 そう問いかけると、アルラウドは当然のようにうなずき、「持ってこい」と言わんばかりに片手で手招きをする。

「まったく……自分じゃ何一つしようとしないんだからな、お前は」

 グラスに入った麦茶をあおったアルラウドは、戸口に寄りかかっている丞を見上げ、悪戯っぽくにやりと笑った。

「何もかも一人でやってるタスクを見てると、驚きのあまり心臓麻痺が起きそうだ」

「お前と違って、俺はただの小市民なんだ」

 そう応じた丞は、ようやく胸の中の嵐が引いていくのを感じながら、くつくつと笑っているアルラウドに問いかけた。

「──ところで、気分はどうだ?」

「悪くない。この俺が日射病にかかるなんて、いまだに信じられんが、ともあれ、気分は悪くない」

 冷たい麦茶を飲み干したアルラウドは、白い額を拳で軽く叩いて見せた。

「前より、頭の中がすっきりしたような気分だな」

 アルラウドの仕草を見てぎょっとした丞は、だが驚きを表面には出さず、その代わりに安堵の溜息をついた。

「それなら良かった。
 重かったぞ、お前を神社からこの家まで運ぶのは」

 するとアルラウドは、いかにも楽しげに声を上げて笑った。

「奇跡的な体力だぞ、おい。腰を痛めたんじゃないのか?」

「本当にそうなったら、たっぷりと慰謝料を払わせてやる」

 冗談を返した丞は、くつろいだ様子のアルラウドをさり気なく観察しながら、気になっていたことを訊ねた。

「もし今度またお前がぶっ倒れたら、俺はリーファンに連絡すればいいのか?
 前に、あの子はお前の行動を見張ってるとか言ってただろう?
 あの子は、お前の事を誰かに報告してるのか?
 ジェイルとか、お前の親父殿とかに?」

 その途端、上機嫌だったアルラウドの表情が強ばり、蒼瞳が怒りを帯びた冷ややかな色合いに変わった。