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舞の贄



<42>



「リーファンは、俺の伯父が押しつけてきた見張り役だ。
 あいつは、俺の行く所にはどこにでもついてくる。
 ここには絶対に来るなと言ってあるが、どこかで見張っている可能性は高いな」

 双眸を眇めたアルラウドの美貌に、一瞬、残酷な表情が過ぎる。

「あの子は、お前が拾ってきた『お気に入り』じゃないのか?」

 意外な答えに驚きつつ、丞がそう訊ねると、アルラウドはふんと忌々しげに鼻を鳴らした。

「……意識が戻ったら、あいつが傍にいた。
 俺の世話係として伯父貴があてがってきたわけだが、なかなかの美形だったから食指が動いた──当然だろ?
 ところがあいつを抱いた時、伯父貴に抱かれているイメージが頭に飛び込んできた。
 リーファンは伯父貴の愛人で、スパイだったというわけだ。
 とは言え、あいつを追い出したところで、別の誰かが送られてくるだけだから、せいぜい俺の気が済むまでいたぶってやろうとは思ってる」

 形の良い唇を禍々しくつり上げたアルラウドは、生々しい話を聞いて目元を引きつらせた丞に皮肉げな流し目を向けた。

「伯父貴に仕込まれただけあって、リーファンの尻の具合はいい。
 どんなにひどく嬲っても感じる淫乱だしな。
 今は俺が主人だから、命じれば何でもするだろうよ。
 リーファンが気に入ったなら貸してやろうか、タスク?
 こんな田舎じゃ女もいなくて、どうせ溜まってるんだろう?」

「──遠慮する。話がずれてるぞ、アル。元に戻せ」

 うんざりした丞が片手を振って素っ気なく断ると、アルラウドは途端につまらなさそうな表情を浮かべ、大きな溜息を吐き出した。

「とにかく……俺に何かあれば、リーファンはすぐに伯父貴に伝え、そこからさらにジェイルや親父にも伝わるようになっている。
 伯父貴は俺の行動を常に把握しておきたいようだからな。
 つまり、どれだけ勝手気ままに振る舞っているように見えても、俺の首にはしっかりと鎖が巻きついているというわけだ」

 アルラウドは怒りに満ちた低い声でそう語り、苛立たしげに首筋を叩いた。

 丞はアルラウドの家族の事をさほど詳しく知っているわけではなかったが、その伯父の話題を今まで一度も耳にしたことがなかっただけに、頭の中の情報を整理するのにやや時間がかかった。

「──もしかして、お前の今の保護者は、その伯父さんなのか?
 どんな人だ、その伯父さんは?」

 丞がそう訊ねると、アルラウドは眉間に深い皺を寄せた。

「……ハルファイド・ドーンデイル卿は、母の実の兄なんだ。
 成り上がりの親父なんかとは違って、先祖代々、生粋の貴族ってやつさ。
 見かけは完璧な紳士だが、俺は大嫌いだよ。
 ヤツと同じ血が流れているかと思うと、ぞっとするね」

 アルラウドは嘆かわしげに両手を挙げると、ごろりと畳の上に横になり、天井を見上げながらぽつりと呟いた。

「それなのに、俺はこのドーンデイル家に養子にやられそうなんだ。
 冗談じゃないぜ、まったく。
 これに関して、親父は耳を貸そうとしないし、ジェイルもあてにならない。
 二人とも、それが俺のためになるって信じ込んでいるみたいだからな」

 思いがけない話の展開に唖然とした丞は、アルラウドの傍に歩み寄って、真上から顔を見下ろした。

「──それで、日本まで逃げ出してきたわけか、お前らしくもなく?」

 本能的な直感でそう問い質すと、アルラウドはきつい眼差しで丞を睨み付け、反動をつけて上半身を起こした。

「逃げて悪いのか? 俺は親父に抗議をしたが、全く取り合ってくれない。
 そもそもこの話は、俺が生まれた時から決められていたらしいが、赤ん坊だった俺を見た途端、親父はしばらく手元に置いておくことにした。
 母は腹を立ててドーンデイル家に戻ったが、この件はしばらく保留になっていたんだ。
 だが、あの事件が起こった事で、親父と兄貴は突然この約束を思い出し、約束を果たす気になったらしい」

 混じりけのないプラチナブロンドをイライラしたように片手で掻きむしったアルラウドは、困惑して眉をひそめている丞を見上げた。

「……小市民な方が幸せな場合もあるぞ。
 好き勝手やっているように見える俺でさえ、こと家の問題となると、どうしようもないんだからな」

 皮肉げなアルラウドの蒼瞳を見下ろした丞は、軽く肩をすくめて見せた。

「確かに理解の範疇を超えているからな、お前の家は。
 それより、ドーンデイル家の当主は、その伯父さんなんだろう?
 お前を養子に迎えるってことは、他に後継ぎが誰もいないってことなのか?」

 そう訊ねた途端、アルラウドはさも嫌そうに顔をしかめた。

「あいつは結婚をしていないし、するつもりも無いんだろう。
 伯父貴が何を考えているかなんて、一目瞭然だ。
 秘密にしているようだが、あいつは女が愛せない。
 たとえ形式的に結婚したとしても、子供は作れないし、作る気もない。
 だとすれば、手っ取り早いのは、妹の子供である俺を養子にすることだ。
 同時にローウェルの後ろ盾も手に入るんだから、一石二鳥というやつだな」

 アルラウドの口から飛び出した言葉を聞いて、丞は思わず額を押さえていた。

 似たもの同士と言おうか、血は争えないと言おうか──。

 ローウェル家は凶悪な変態集団だと認識していた丞だったが、アルラウドの母方の血筋も相当なものだと思い、ただただ呆れるしかなかった。

「まったく……小市民であることに感謝するよ。
 複雑怪奇すぎて、頭が痛くなりそうだ」

 嘆息をもらす丞の姿を見上げたアルラウドは、急に楽しげな顔つきになり、にんまりと唇をつり上げた。

「この程度で驚くなよ、タスク。
 これはローウェル家の極秘事項だが、この日本にもう一人、俺の兄貴がいるんだ。
 もし俺に何かあって、お前の手に負えない事態になったら、そいつに連絡すればいい。
 親友のお前にだけは、特別に連絡先を教えておいてやるよ」

「呆れるな。いったい、どこまで家族が広がっていくんだ、お前の家は?」

 天を仰いだ丞に、アルラウドは「紙とペンをよこせ」と要求する。

 丞がボールペンとメモ用紙を渡すと、アルラウドはその紙にとカタカナで氏名を書き込み、その下に携帯電話番号を書き加えた。

「──ワシヅカ カイル? どこに住んでるんだ?」

 手渡されたメモを見て、丞が訊ねると、アルラウドは「東京だ」とあっさり答えた。

「まだカイルと連絡は取ってないんだが、俺がここにいる事は、ジェイルを通して知ってるはずだぞ。
 俺の友人だって名乗れば、力を貸してくれるかもしれない」

 アルラウドの隣に腰を下ろした丞は、メモに書かれた名前をしばらく見下ろしていたが、ふと思いついて訊ねた。

「……頼りになるのか、この人?」

 するとアルラウドは首を傾げ、やや間をおいてから頷いた。

「多分な──マフィアのドンらしいし、少しは役に立つだろ?」

 その言葉を聞いた瞬間、丞の動きが止まり、指先からメモがぽろりと落ちた。

「日本でマフィアって……まさか、この人、ヤクザなのか?」

「ああ、そうだった。ヤクザだ、ヤクザ。
 確か、コージンカイとか言ってたな」

 動揺した丞の心中に気づく様子もなく、アルラウドは笑いながらそう付け加えた。

「……コージンカイって、こういう漢字?」

 畳に落としたメモを拾い上げ、丞が「荒神会」と書いて見せると、それを見てアルラウドは頷いて見せる。

 愕然としながら、丞は東京時代に拾い聞いていた情報を頭の中から引っ張り出し、カタカナで書かれた名前の下に、漢字を振った。

「ワシヅカカイルというのは、こういう漢字だろ?」

「そう、それだ。あまりに形が難しすぎて、さすがの俺も覚えられないんだ」

 素直に同意したアルラウドの顔をしばらく凝視していた丞は、「荒神会 鷲塚海琉」と書いたメモにちらりと視線を送り、天を仰いで長々とした溜息をついた。

「勘弁してくれ──小市民の平和な生活を、これ以上ぶち壊したくない。
 ただでさえ厄介事だらけなのに、さらにトラブルを増やしてどうするんだ」

「大げさなヤツだな。
 お前は俺の友人なんだから、取って喰われるようなことはないと思うぞ……多分な」

 苦悩する丞を愉快そうに眺め、アルラウドはにやつきながら友人の肩を叩く。

 そんなアルラウドをじろりと睨んだ丞は、メモの名前を指先で叩き、できるだけ冷静に説明することにした。

「この荒神会というのは、関東では有名な暴力団なんだ。
 そんな危険団体に属する人間に、高校生の俺が連絡をして、取り合ってもらえるわけがないだろう」

「だったら、カイルにお前の事を知らせておいてやろうか?」

「言わなくていい──と言うか、ヤクザとは関わり合いになりたくない。
 俺の親父は建築家だが、親父の実家の方は、警察官僚が何人もいるような家だ。
 俺がヤクザと関わったら、それこそ親戚中から攻撃されるし、大問題になる」

 顔の前で片手を振り、渋い表情をして見せた丞を、アルラウドは皮肉っぽい眼差しで見返して、くすくすと笑い始めた。

「面白くもない常識的な答えだな。
 だいたい、俺と関わっている時点で大問題なんだぞ──判ってるのか?」

 アルラウドの言葉を聞いて、丞は額を押さえて頷いた。

「だから、地雷を踏んだつけを、こうして今、払わされているんだ」

 アルラウドは憮然とした表情になり、拗ねたように反論した。

「地雷とはひどいな。もっと他に言いようがあるだろう」

「地雷がだめなら、核ミサイルだ。
 ただでさえトラブルが重なって大騒ぎだったのに、お前が絡んできてから、さらに壊滅的になった。
 俺の平和な日常を返してもらいたいね」

「刺激的な方が人生楽しいに決まってるだろうが。
 そういう保守的な事ばっかり言ってると、早く枯れるぞ、タスク。
 だいたいお前は、高校生のくせに、言うことがいちいち年寄り臭い」

「大きなお世話だ──この若さで枯れるわけないだろうが、まったく……」

 結局、いつもと同じバカな口喧嘩に陥ってしまったと落胆していた丞は、機嫌を直して明るく笑っているアルラウドの顔を眺めやり、ふとリーファンの言葉を思い出した。

 アルラウドから信頼されているとは思えなかったが、丞は彼の機嫌を取った事など無かったし、自分の感じたまま言いたい事を言ってきた。

 人の心に敏いアルラウドだからこそ、そんな関係がむしろ快適で、居心地の良さを感じていたのかもしれない。

(本音が見え透いているのに気を遣われても、腹立たしいだけかもしれないな)

 それぐらいならいっそ、言いたい放題に言われる方が気楽なのだろう。

 いつの間にか畳の上で寝入ってしまったアルラウドを見下ろしていた丞は、悪友を起こさないように注意しながら、夕食の準備をするため台所に戻った。