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舞の贄



<5>



 放課後になっても、女子生徒たちの興奮はなかなか静まる気配がなかった。

 それどころか、時間制限が無くなったため、高等部の女子生徒全員が2年A組に集合したような騒ぎとなっている。

 少し離れたD組まで歓声が聞こえてくるのだから、A組前の廊下は耳を塞ぎたくなるような状態に違いなかった。

「──いやはや、もの凄い人気だねえ、あの留学生」

 呆れを通り越して、むしろ感心するかのような口調で融が呟いた。

 ほとんどサボった事のない部活にも、今日は何故だか行く気にならない。

 何だか調子が狂うなと思いつつ、融は厳しい表情のまま考え込んでいる丞を見つめ、不思議そうに首を傾げた。

 もともと彫刻のように整った顔立ちであるだけに、微笑みの失せた丞の顔は、気後れがしてしまうほど迫力がある。

 どうやら玲熙も同じように感じているらしく、幼馴染みの心配そうな表情を見とった融は、会話の糸口を探すように丞に話しかけた。

「でもさ、あんたがあの留学生と知り合いだったなんて驚きだよな。
 ものすっごい偶然だ。
 世界って、案外狭いものなんだな」

 その途端、野生の猛獣のような琥珀色の瞳に、苦い表情が浮かんだ。

「──偶然? こんな奇妙な事態が、本当に偶然だと思うのか?」

 皮肉の混ざり込んだ丞の声音に、融はへの字に唇をねじ曲げた。

「偶然じゃないとしたら、あの留学生があんたを訊ねてきたとでも言うのか?
 わざわざ、イギリスから?
 どうしてそんな事をする必要があるんだよ。
 ──なあ、玲熙、おまえもそう思うだろう?」

 校門の前に横付けされたリムジンに向かって歩いてゆくアルラウド・ローウェルと、その後に付き従うように続く少女たちの群を、窓からぼんやりと見つめていた玲熙は、融の声ではっと振り返った。

「うん……でも、丞の事情も判らないから、僕にはよく判らないよ。
 ただ、もともと日本に留学する気があったのなら、この学園に丞がいることを知って、ここに決めたのかもしれないし。
 丞が考えているような悪意は無かったのかもしれないよ」

 清涼な風のように澄んだ声で、できるだけ平静に淡々と語った玲熙は、しかし不意にひたりと琥珀の双眸を向けられ、思わず息を呑んでいた。

「玲熙──おまえは、アルラウドの本性を知らない。
 あいつは、いつだって自分の感情のおもむくままに動く。
 この世の常識なんてものは、あいつには全く関係ないんだ」

 いつもは優しい微笑みや、朗らかな笑顔を向けてくる丞の瞳が、まるで別人のように恐ろしく見え、その強い眼差しに射すくめられたように、玲熙は身動きができなくなった。

 しかし玲熙を怯えさせてしまった事を察したのか、丞はすっと一度視線をそらし、そして物憂げで自嘲的な笑みを浮かべた。

「──だいたい、あいつ以上に非常識な人間には、俺は今まで一度も出会った事がないんだからな」

 緊迫した空気を解きほぐすように、丞はわずかに口調を和らげて言った。

 その言葉を聞き、融が大げさなほど驚きに満ちた声を上げた。

「へ〜え、いっつも余裕かましてる丞が非常識だって言うんだから、そいつは相当な非常識人間だよなあ。
 でもさ、俺、ちょっとお話してみたいかも」

「やめとけ。あいつがマジにキレると、おまえ、殺されるぞ」

「──またまたあ。冗談がすぎますわよ、タスクちゃん」

「こんな状態で冗談が言えるほど、俺はお笑い道を極めてないもんでね」

「えっ、冗談じゃなかったの?」

 二人の会話がどんどん低次元に陥りつつあるのを耳にしながら、玲熙は再び窓の外に視線を向けた。

 アルラウド・ローウェルが立ち去った事で、少女たちの気も済んだのか、ようや校内に静けさが戻ったようである。

(……僕はいつもびくびくしてるから──みんなに気を使わせちゃうんだ)

 それが何故か悲しく思え、玲熙は夕陽を浴びる鬼ヶ浦に視線を向けたまま、二人には聞こえないようにそっとため息をついたのだった。

 その後、ようやく静かになった廊下に出た3人は、玄関ホールへと続く中央階段を下り始めた。

 がらんと広い階段に他の生徒は見当たらず、丞は冷静に説明を続けた。

「──アルラウドはイギリス国籍と言っているらしいが、本当はアメリカ国籍で、ローウェル財閥会長の次男坊だ。
 幼少時から後継者になるべくして育てられた長男と違い、勝手気ままな生活を送ってきたものだから、この世で自分の思い通りにならないものはないと思ってる。
 この学園のお坊ちゃん方なんかとは比べものにならないくらい、我が儘だぞ」

 丞の言葉に、「げっ」と奇声を上げて融は目を剥き、幼馴染みの清楚な美貌を見つめた。

「──ローウェルって、どっかで聞いたことあると思ってたんだよなあ。
 せいぜい親戚って程度ならまだしも、ご子息様とは恐れ入ったねえ。
 やだな、怒らせると後がやばそうで……」

 自分の前方を歩いている融の秘かな呟きを聞き、玲熙はくすりと微笑んだ。

「でも……だからといって、彼におもねる必要はないと思うよ」

「玲熙ってば、プライド高いんだからあ」

「別にプライドが高いわけじゃないよ。
 相手が誰であっても、変に卑屈になることはないって言いたいだけ」

「そーなんだけどぉ、それってやっぱり理想じゃなーい?
 現実はそんなに甘くなくってさ、みんな長いものには巻かれろって感じで、権力者にはついつい従っちゃうじゃん。
 現に、うちの学校だって、生徒会長やら、桜姫やら、その取り巻きやらが威張り散らしてるじゃないか。
 あいつらが横暴な事しても、みんな、見て見ぬふりしてるもんねえ」

 融の言葉に、玲熙は考え込むように眉をひそめた。

「……そう言えば、そうだね」

「だろぉ? 世間なんて、結局そんなもんさ」

 融がそう言った途端、それまで必死で笑いを堪えていた丞は、ついに耐えきれなくなって声を押し殺して笑い始めた。

「あーっ、何笑ってるんだよ、丞! せっかく俺が珍しく真剣に話していたのに」

 まさしくあまりに珍しすぎたために笑いが出てしまったのだが、くるりと振り返って唇を尖らせている融の顔を見た途端、丞は吹き出してしまう。

「……あ、すまん。つい、面白くて」

 どうにも笑いが止まらず、目に涙さえ滲んで苦しくなってきたが、やっとの思いで丞が謝ると、ふてくされた融はぎゃいぎゃいと喚き始めた。

 淡い羨望を胸に抱きながらその光景を見守っていた玲熙は、校門に黒塗りのベンツが止まっていることに気づき、ふと歩みを止めた。

 白い門柱の横に、すきなくスーツを着こなした長身の男が立っていたが、彼は数人の少女に取り囲まれているようだった。

「──どうした、玲熙?」

 ようやく笑いを収めた丞は、急に立ち止まってしまった玲熙に問いかけた。

「……要が来てるみたいなんだけど──」

 校門を指差した玲熙は、困惑したように丞の顔を振り仰いだ。

「ありゃりゃ、要さん、噂をすれば桜姫と親衛隊に取り巻かれちゃってるな。
 やばいよなあ……桜姫は要さんの大ファンだし、玲熙の事目の敵にしてるし」

 ほっそりとした指先の示す方を見やった融がそう言うと、玲熙はため息をついた。