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舞の贄



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 要の説明を黙って聞いていた丞は、表情を全く変えずにテーブルに置かれたコーヒーカップを見据えていた。

 過去の記憶が頭の中を過ぎり、やがて二人の人物の姿がくっきりと浮かび上がる。

 ローウェルグループの総帥サイラス・ローウェルと、間違いなく次期総帥とみなされているサイラスの長男ジェイラス・ローウェル。

 大部分が灰色になった髪と冷たいグレイの瞳を持つサイラスは、実年齢よりも遙かに若々しく見えたが、ひどく冷酷で厳格な雰囲気のある人物だった。

 目的のためなら、彼の野望のためなら、どんな残虐な事でも平気で実行すると悪評判の高い男ではあったが、その凄まじい野心と実行力があればこそ、ローウェルグループは現在のような世界に名だたる大財閥になったのだろう。

 一方のジェイラスは、父親に比べると温厚であり、ずいぶんと気さくに見えたが、仕事になると次期帝王に相応しく豹変するというのだから、やはり血は争えない。

 年齢の離れた異母弟であるアルラウドを溺愛し、甘やかし放題に甘やかしていたジェイラスは、アルラウドの葬儀の時、彼には珍しいほど冷ややかな無表情を浮かべていた。

 悲しんでいるというよりは、復讐を誓った──そんな怖いものを秘めたダークブラウンの瞳は、豊穣の大地が永久凍土に様変わりしたような印象さえあった。

 根本的な所で似通っているあの父子ならば、殺害未遂事件の情報操作を行っていても全く不思議ではない。

 真犯人をあぶり出すためなら、アルラウドの生存を世間から隠蔽し、死亡説を流すことぐらいは平気でやるであろうし、その程度の事に抵抗を感じるような人物ではなかった。

 奇妙なほどすんなりと納得した丞は、ふっと唇に苦笑を浮かべた。

「──要さんは、アルラウドがイギリスで実は何らかの問題を起こしていて、それを隠すために日本へ留学させられたと思っているんですか?」

「そう思ってくれていい。
 だからこそ、私は君と話しておきたかったんだ。
 アルラウドの本当の目的が何であるのか、それは私にも判らない。
 トラブルメーカーの彼の事だから、目的が何であるにしても、周囲にとんでもない影響を与えてしまうだろう。
 だが、玲熙さんにだけは、彼を近づけないで欲しいんだ。
 さすがの私も、学校の中まではあの人を護ることができない。
 だから、私は君に頼もうと思った──アルラウドの事を誰よりも一番知っているのは、おそらく君だけなのだから」

 心の中を現さない要の瞳の中に、一瞬だけ思い煩うような影が過ぎる。

 丞は、端整な要の顔をまじまじと見返すと、以前から思っていた事を口に出した。

「アルラウドに関して言えば、要さんが心配する気持ちも判るんですが──。
 でも、誰かにずっと保護されるのを、玲熙は良しとしないんじゃないですか?」

 その言葉を聞いた要は、一瞬驚愕したように丞を見返したが、やがて自嘲するように淡く微笑んだ。

「それと似たようなセリフを、つい最近、友人から言われたばかりだ。
 玲熙さんは誇り高い人だよ……だが、ひどく脆いところがある。
 晴熙さんに傷つけられた心は、多分、まだ癒えていないだろう。
 お父さんの病気の事でも、ずいぶんと思い悩んでいる。
 そんな状態で、アルラウドの毒気に当てられたら、彼は深く傷ついてしまうかもしれない。
 私が恐れているのは、それなんだ。
 アルラウドが何を企もうと気にはしないが、玲熙さんだけは傷つけたくない」

「毒気……か」

 要の言葉に思わず苦笑を誘われ、丞は高い天井を仰いだ。

「昔から、アルラウドと関わっていくと、何故か狂ってゆく人間が多い。
 それでも、何故か人はあいつに惹きつけられる。
 まるで、自分から火に飛び込んでいく蛾みたいにね」

 皮肉っぽく唇をつり上げた丞に、不意に要は鋭い眼差しを向けた。

「君は、アルラウドと関わっていても狂わなかった。
 毒気に当てられなかったと言ってもいい。
 ──君なら、彼から玲熙さんを守れるだろう」

「どこまで要さんのご期待に添えるか判りませんよ。
 まあ、注意はしておきますが。
 俺があいつを玲熙から引き離そうとすればするほど、アルラウドは玲熙にちょっかいをかけるでしょう。
 昔から、アルは他人のものを欲しがる傾向がありましたからね」

 深く考え込んでいた丞は気づかなかったが、その言葉を聞いた要は一瞬だけ剣呑に双眸を細めた。

「──君が注意を払ってさえいてくれれば十分だ……今のところはね。
 私としては、アルラウドが大人しくしていてくれることを、遠くから祈るしかないんだが」

 事務的な平淡な口調でそう告げた要は、高校生と言うにはひどく大人びているが、まだ完全には成熟していないであろう丞の秀麗な顔を見つめた。

 輝くようなゴールドブラウンの髪、光の加減によってはゴールドにさえ見える琥珀色の双瞳、そして日に焼けた褐色の肌──東京のような大都会でさえ派手に目立ってしまうような容貌は、完成すれば万人の目を惹く美丈夫になるだろう。

 明るい真夏の太陽を思わせる風貌でありながら、その血は遙か北の大地からもたらされたものなのだという。

 閉鎖的な沖月島の中では明らかな異端者でありながら、不思議な事に、いつの間にか丞は地元民の間にすんなりと溶け込んでしまっていた。

 親しげな噂は山ほど聞かされたが、そこに悪い噂は混ざり込んでいない──だが、それが異常であることに誰も気づかない。

 さも当然と思っている島民の反応に、要は異様な違和感を覚えていた。

 丞の性格のせいだけとは割り切れないと思いながら、要は腕時計に視線を落とした。

「──ああ、そろそろ本家に戻らなければならないな」

 話を切り上げるように言った要は、伝票を持って立ち上がろうとした。

「今日は朝から予定が立て込んでいて、目が回りそうだ。
 学生だった頃は、社会人がこれほど忙しいものだとは考えもしなかったよ」

「その言葉、忠告として受け取っておきます。
 ところで、さっき玲熙に話してましたが、新しい宮司さんが来ることになったんですか?」

「ああ、鬼塚森神社はそれなりに大きな社(ヤシロ)だから、重病の泰熙さんが取り仕切ることはもう不可能なんだ。
 玲熙さんにはまだ荷が重すぎるし、私は弁護士の仕事が忙しい。
 一族を見渡してみて宮司になれる者は、結局、彼しかいなかった」

「……本当なら、晴熙さんが後を継ぐはずだったわけですね。
 新しい宮司さんは、榊志熙さんという名前なんですか?」

 なおも丞が問いを重ねると、要はややあってからうなずいた。

 丞は怜悧な要の顔を見返し、わずかに双眸を細めた。

「玲熙から教えてもらったのですが、名前の『熙』という漢字は隠岐宮家の男子に代々受け継がれるものらしいですね。
 鬼の血を引くという隠岐宮家の『キ』と名前の『キ』が意味するところが同じなら、どうして榊家の志熙さんにも『キ』が受け継がれているんです?
 そして──融はともかく、どうしてあなたには『キ』という字が受け継がれていないんですか、要さん?」

 隠岐宮家の男子のものであるはずの『熙』という音が新たに現れたことに、丞は疑惑を覚えていた。

 榊家が隠岐宮家から分かれた家であるにしても、主家と同系の名前をつけたことに、何か深い思惑と意味があるような気がする。

 鬼塚森神社の宮司になれるほどの人物、その名前、そこから推理すればするほど、丞は疑念に捕らわれるのだった。

 気の弱い者ならたじろぐほど鋭利な眼差しを丞に向けた要は、すぐにふっと穏やかな微笑を唇に浮かべた。

「君の推理通り、一族にとって『熙』という字は特別なものだよ。
 隠岐宮家にのみ伝わる字だけど、例外として、一族の中で生まれた特別な子にもその字が授けられる。
 会えばすぐに理解できると思うけど、榊志熙は私とは比べものにならないほど、特別な存在なんだ。
 だからこそ、彼は鬼塚森神社の宮司として選ばれたんだからね」

 慌ただしく要が立ち去ってからも、丞はしばらくラウンジに残っていた。

 天井まで届くガラス張りの窓からは美しい庭園を眺めることができたが、丞はそちらに琥珀の視線を向けながらも、頭では全く別の事を考え込んでいた。