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舞の贄



<9>



(──新しい宮司の榊志熙か……そうどこにでもある名前じゃないな)

 玲熙が言うように名前に力が宿るというなら、隠岐宮家だけに付けられる『熙』という字には相応の深い意味があるはずだった。

 そうだとするなら、特別に名付けられた榊志熙もまた、その名を継ぐに相応しい素質を持って生まれたのだろう。

 同族であるはずの要や融には無いモノ、隠岐宮家と榊志熙が持つモノとは果たして何なのか──。

(……少しはそなたも賢くなったようだな)

 その時、突如として頭の中で笑うような声が響いた。

(──まだいたのか。何も聞こえなくなったから、てっきりおまえはいなくなったのだとばかり思っていたぞ)

 眉間に皺を寄せ、丞は反射的に片手で額を押さえていた。

(違うとも、我はそなたの中で眠っておっただけのこと。
 懐かしい気を感じて、我は目覚めた。
 それともう一つ、何やら不愉快な気配を感じる──微かではあるがな)

(それが何かの前触れなら、騒動になる前に教えてほしいものだ。
 それより、隠岐宮家の『熙』という字にどういう意味が込められているのか、おまえは知っているか?)

 丞の問いを聞き、楚良(ソラ)は──それが彼の名であるらしかったが──微かなため息混じりの声で応じた。

(もちろん知っているが、それをそなたに教えるわけにはいかない。
 少なくとも、今はまだ。
 だが、それは……主上が雪姫に与えたものだ──己の血を分け与えた者として)

(……血を分け与えた?)

 丞は耳を疑ったが、楚良は淡々とした調子で言った。

(そうだ。……とにかく、この島の気の流れは変わる──注意するがいい。
 新たに流れ込む気は、時に事象を揺るがすゆえ)

(相変わらず判りにくい説明だな)

 丞は思わず苦笑したが、しかし声はまた突如として消え失せていた。

 やがて、コーヒーカップが空になると、丞は時間を確かめた。

 ガラス張りになっているエレベーターに乗り込んだ丞は、客室最上階のボタンを押した。

 夕陽に照り映える日本海を見つめながら、丞は突然現れたアルラウドの事を考えた。

 アルラウド・ローウェルは、尊大極まりなく、生まれながら命じる事に慣れきった傲慢な性格をしていた。

 弱い者を蔑み、踏みにじる事を好む凶悪な性癖は、出会った頃から嫌というほど見せつけられてきていた。

 それでも、アルラウドには人を惹きつける何かがあり、そのカリスマ性が彼の行動を正当化させ、誰も彼を批判できなかったのだ。

 アルラウドがその場にいるだけで、そこは華やかな宮廷に変わる。

 玉座の王に跪く臣下たち──そこがどんなにみすぼらしい下町であっても、一瞬にして空気が変わった。

 そして、その鮮やかなかりそめの変化を見るのは──丞は決して嫌いではなかった。

 エレベーターから降りた丞は、フロントで教えてもらった通り、アルラウドが宿泊しているインペリアルスウィートルームへと向かった。

 ドアの傍に設置されたチャイムを鳴らすと、中からすぐに返答があった。

 答えたのは、澄んだ高い声──まだ幼くさえある少年の声だった。

「アルラウドに、丞が来たと伝えてくれ」

 丞がそう告げると、その澄んだ声は了解の意を伝えてきた。

 そしてしばらくすると、観音開きになっている大きな扉が開かれた。

「どうぞ、お入りください──タスク様」

 重厚な木製の扉を開けたのは、深いスリットの入った水色のチャイナドレスを纏った少年だった。

 まるで少女のように美しい面立ちをしており、唇も淡い薔薇色に色づいている。

 肩を少し越えるほどの長い黒髪は艶やかで、白い肌は上質の白磁のようだった。

 双眸は深い海の色合いを帯び、繊細で清楚な美貌は人形のようでもある。

 贅を尽くしたスウィートルームに入った丞は、その美しい少年に導かれ、リビングでくつろいでいるアルラウドの前まで連れて行かれた。

 片手にレモンを持ち、ソファに上半身を預けていたアルラウドは、丞を見上げると唇をつり上げて笑った。

 バスローブを身につけただけ怠惰な姿でありながら、その姿は優雅ですらある。

「ああ、やっと来たか、丞。──まあ、一杯やれよ」

 半分に切ったレモンを白い歯で囓ったアルラウドは、テーブルに置いてあったグラスを取り上げ、微笑みながら唇をつけた。

 その言葉に従うように、チャイナドレス姿の少年が、別のグラスに淡黄色の液体を注ぐ。

 そっと差し出されたグラスを見下ろし、丞は眉をひそめた。

 その顔を見上げ、アルラウドはくすくすと笑い出した。

「おいおい、まさか法律がどうのとかって言い出すんじゃないだろうな」

「──アルラウド。俺はここに酒を飲みに来たわけじゃない」

 素っ気なく丞が告げると、アルラウドは首を傾げ、傍に盛られていた塩を舐めた。

「ふふん……じゃあ、これを飲んだら、おまえと話をしてやるさ」

 自分のグラスを揺らして見せ、アルラウドは挑戦的な笑みを浮かべた。

 言い出したら聞かないアルラウドの強情さを知り抜いていた丞は、大きく嘆息すると、少年に差し出されたグラスを受け取った。

「これは?」

「エラドゥーラ・テキーラだ……5年ものだから美味いぞ」

 ラベルに馬蹄がデザインされたボトルを見つめ、丞は納得したようにうなずいた。

 竜舌蘭を原料として作られるテキーラは、アルコール度数が40度というメキシコ特産の蒸留酒だった。

 アルラウドは少年を呼び寄せると、空になったグラスにゴールド・テキーラを注がせた。

「まずは乾杯というこうか、丞──俺たちの再会を祝ってね」

 厳しい眼差しをアルラウドに向けたまま、丞は応じるようにグラスを掲げた。

 そしてブランデーのように樽香の強い、コクのあるゴールド・テキーラをストレートで飲み干す。

「お見事……まあ、座れ」

 傲慢な物言いであっても、貴族のように典雅なアルラウドは、自分の傍らには東洋の血を明らかに引いた美少年を侍らせた。

 そして黒絹のような髪に、戯れるように指を絡ませる。

「これはリーファン。ここ数年、俺に仕えている奴隷だ」

 躊躇う様子もなく、アルラウドは嫣然と笑いながらそう言った。

 奴隷という言葉に、リーファンと呼ばれた美しい少年は、憂えるように眉宇を曇らせた。

 それを見取った丞は、唇に微笑を貼り付かせているアルラウドを見返し、ため息を入り混ぜたような口調で告げた。

「おまえの趣味を今さらとやかく言う気はないが、女装させるのはどうかと思うがな」

 すると、アルラウドはプラチナブロンドの前髪をかきあげながら、くつくつと笑い出した。