Rosariel.com
今夜、あなたの猫になる



<10>



 そして七日目の夜。

 来なければいいと願う大貴の思いも虚しく、庄領千晴は、倶楽部『ファロス』に現れた。

 スリーピースのスーツを身につけた庄領は、若きリアルリッチを体現していて、反感を抱く大貴の目から見ても、惚れ惚れしてしまうような男振りだった。

 日本人離れした風貌がそう思わせるのか、「貴族」という現代日本には存在しないモノのようにも見える。

 それに引き替え、自分は──。

(どうやって慎一さんは、こういう変な服を探し出してくるんだ?)

 昨夜の着ぐるみに比べれば、着心地は随分マシなのだが、もう少し普通の服を着させてほしいと、大貴は心底思った。

 古代ローマの人々が着ていたような白いトガ。

 半袖のアンダーシャツの上から、長いシーツをぐるぐる巻き付けたような衣裳は、どうやって着せられたのかも判らない複雑なシロモノだった。

 そして、顔には金色の猫仮面──どう見ても、仮装パーティのようでしかない。

「猫神様みたいだねえ」と嶺村は笑っていたが、彼の複雑怪奇な思考回路は、半年間傍にいても理解できなかった。

 昨夜飲めなかった分を取り戻すように、半ば自棄になりながら、大貴はチーズをつまみに赤ワインを飲んでいた。

 ロマネ・コンティとか何とか……以前、合コンで耳にした噂によれば、結構高いらしい。

(だいたい、どうして俺が、あいつと食事に行かなきゃならねーんだよ?)

 散々嫌がらせをしてやったというのに、そんな自分と一緒に食事をしたいと思う男の気が知れない。

 さっさと自分に見切りをつけてくれれば、こんなバカげた事にはならなかったのだ。

 そもそも、これまでは『猫』の仮面があったが、クラブハウスの外に行く時には、素顔をさらさねばならない。

(求愛していた『猫』が俺だって判ったら……あいつ、どうするんだ?)

 失望のあまり、また、嫌味な言葉を浴びせてくるのだろうか?

 そう考えた途端、一気に憂鬱になり、大貴は深い嘆息をもらした。

 その時、『猫』の特等席で一人静かに酒を飲んでいた庄領が立ち上がり、ガラスの檻に近づいてきた。

 大貴が胡乱な眼差しを向けると、男は軽く手招き、壁際に呼び寄せようとする。

「……何だよ?」

 渋々とベッドから降りた大貴は、きつい眼差しを庄領に向けたまま、腰に両手を当てて仁王立ちになった。

 何を言われても聞こえるはずはないが、対決姿勢だけは崩したくない。

 手淫でイカされた事は、恥辱になりこそすれ、親密になれるような行為ではなかった。

 ところが庄領は、威嚇を剥き出しにする大貴を、ただ静かに見つめているだけだった。

 目は口ほどに物を言うというが、男の双眸は何を考えているのかまるで判らない。

 だが、心の奥まで見透かされそうな気がして、大貴は戸惑った。

 恐らく、観察しているのだろう──求愛していた『猫』が、その仮面の裏に、どういう顔を隠しているのか……。

 ふとそんな事を想像し、強い視線の圧力に耐えきれなくなった大貴は、憮然とした表情で瞳をそらした。

 値踏みをされるのは、あまり良い気分ではない。

 庄領のような男から見れば、自分は面白味の無い平凡な学生だった。

「だけど……文句があるなら、慎一さんに言えよな」

 一度は断った大貴を、しつこく『猫』にスカウトしたのは嶺村なのだ。

 口の中でぼそりと呟き、もう一度視線を上げた大貴は、庄領の瞳に浮かんだ表情を見て、心臓がびくんと跳ねるのを感じた。

 先ほどまでが冷厳な観察眼だったなら、このミステリアスな眼差しは、視姦とでも言えるようなみだりがわしさだった。

 同じ顔形であるにも関わらず、一瞬にして中身が入れ替わったかのように、淫靡な雰囲気に変わっている。

 魅入られたように、男の黒瞳を見つめていた大貴は、頭の隅で微かに警鐘が鳴り響くのを聞いた。

 だが、瞳をそらそうとしても、強い引力に絡め取られたように動けない。

 談話室で話をした時も、同じような状態に陥った。

 そして、抵抗もできずに男の腕に捕らわれ、浅ましく淫悦を極めてしまったのだ。

 急に顔が赤くなるのを感じ、大貴は庄領の双眸から、強引に視線を引きはがそうとした。

 躰の中心に奇妙なほど熱が集まり始めている。

 ガラスの壁で遮られているから良いものの、万が一触れられでもしたら、どうなるか判らない。

 その時、庄領の片手がすいと上がり、大貴の顔の前で止まった。

 そのジェスチャーは、先日、大貴が彼を挑発して見せつけたものと同じ。

 拳の中指だけを立てた、ファックサインだった。

 大貴がぎょっとした途端、にやりと笑った庄領は、立てた中指に舌を這わせた。

 そのまま唇で指を咥え、唖然としている大貴の口許に、濡れた中指を押しつける。

 それが、「くたばれ」などという侮辱でないことは、瞬時に理解できた。

 だが、もっと露骨で淫猥なメッセージを、庄領は伝えようとしている。

 仮面の下で、大貴の顔は発火したように熱くなっていた。

 談話室での出来事を揶揄されているのは、言葉で言われなくても伝わってくる。

(……この野郎……ふざけやがって!)

 ショックが薄れてくると、怒りがふつふつと湧き上がってきた。

 世にも稀な美形なだけに、憎らしいほど性悪に見える男の顔に、渾身の鉄拳を食らわしたくなる。

 握り締めた拳をぶるぶると震わせていた大貴は、怒りをつのらせながら、「覚えてろよ」と呟いた。

 この傲慢で恥知らずな男に、何としても仕返しをしてやらなければならない。

 何でも自分の思い通りにできると考えているなら、その思い上がりをぺしゃんこに叩き潰してやらなければ。

(──上等じゃねえか……あんたのプライドを、ずたずたに切り裂いてやる)

 考えてみると、二人きりで食事というのは、絶好の機会だった。

 瞳の中にほの暗い復讐の炎を閉じ込めた大貴は、唇の両端を無理矢理つり上げ、平然と笑って見せた。


 倶楽部『ファロス』でのゲームが始まってから七日間、ルール通り毎日通い詰めた『求愛者』の誘いを、『猫』は断ることができない。

 それまでは、ガラスの壁に守られ、気に入らない相手なら無理難題を吹っ掛けて遠ざけることもできたが、クラブハウスの外に出てしまえば、倶楽部内のルールは通用しなくなる。

 二人きりで会うとなれば、自分を守るのは自分自身だけだった。

 子供じみた復讐を誓いつつも、何が起こるか判らない不安にも苛まれていた大貴は、思わず鬱々とした溜息をついていた。

 すると、大きな鏡の前に大貴を座らせ、鼻歌を歌いながらヘアセットを整えていた嶺村が、吹き出すように笑った。

「そんなに暗い顔しないで。
 きっと美味しいご飯、お腹一杯食べさせてくれるから」

「……そういう問題じゃないんです」

 冷静になって考えてみると、やはり庄領を相手にするのは、自分には荷が重すぎるのではないかと、心に迷いが生じていた。

 彼は嶺村と同じ三十三歳だということだが、年齢だけを考えてみても、十二歳もの年の差がある。

 その年月の隔たりが、社会経験などの差となって、二人の間に歴然と横たわっているように感じた。

「心配しなくても、千晴は、君を強姦したりはしないよ。
 だから、気を楽にして……ね」

 嶺村が、恐ろしい事をさらっと言う。

 思わず顔をひきつらせた大貴は、無意識に首筋を撫でながら、鏡から視線をそらした。

 おそらく、嶺村の言葉は当てにはならない。

 確かに強姦こそされていないが、倶楽部内であってはならないような、破廉恥な悪戯をされたのだ。

 最後は自分から刺激を求めてしまったから、嶺村にも言えなかっただけで──。

「──さてと。まあ、こんなものかな。
 そろそろ、千晴も迎えに来てる頃だね」

 どんな場所に行っても大貴が気後れしないよう、見るからに値の張りそうなスーツを準備していた嶺村は、最後に手ずからネクタイを締めた。

「ここまでめかし込まなきゃ、ダメなんですか?」

 うんざりして大貴がぼやくと、嶺村は面白がるように言った。

「最初のデートくらいは、オシャレしとかないと」

「──最初で最後ですから。
 どう考えたって、あの人とは気が合いません」

 他人にネクタイを締めてもらう気恥ずかしさに、大貴がそっぽ向いていると、嶺村はくすくす笑った。

「そうかなあ? 意外に気が合いそうだけどねえ、君たち」

「そんなわけないじゃないですか!」

 大貴がむきになって抗議すると、嶺村は双眸を細めて微笑み、締めたばかりのネクタイを自分の方へ引き寄せた。

「僕は、大ちゃんの事を気に入っているから、このままずっと『猫』でいてほしいんだけどね」

 視界一杯に広がった嶺村の顔にたじろぎ、大貴は思わず後退りしそうになった。

「こんな事で、辞めたりしませんよ。
 俺だって、生活かかってるんですから」

 嶺村の謎めいた言葉に、内心で首を傾げつつ、大貴はそう言い返した。

「──そう? なら良いけど。大変なんだよ、『猫』を探すのって。
 みんな、すぐに辞めちゃうからねえ」

 これほど割の良いアルバイトを、すぐに辞めてしまうというのは信じがたいが、もしかすると前任者たちは、余程酷い目に遭ったのかもしれない。

(……確かに、セクハラとか、ありそうだもんな)

 ガラスの檻から出た『猫』たちが、どういう被害を受けたのか、考えるだけでぞっとした。

 セクシャルな雰囲気に流されて許してしまったが、庄領が仕掛けてきたアレも、立派なわいせつ行為だった。

(だけど、俺は……あいつには絶対、負けねえからな。
 ギャフンと言わせてやる!)

 気を取り直した大貴は、拳を固め、心の中で高々と宣言した。