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今夜、あなたの猫になる



<12>



 大邸宅の駐車場に置かれた何台もの高級外車や、立派な門構えにいちいち大げさに驚きながら、大貴はおのぼりさんよろしく、きょろきょろしながら歩いていた。

 そうするうちに、庭木に囲まれたレトロな洋館にたどり着き、あんぐりと口を開けた。

「──ここ……ですか?」

 近代的というよりは、大正ロマン風な建物ではあるが、普通に人が住んでいる家にも見える。

「自宅を改装してあるんだ。
 と言っても名前は無くて、我々は『矢萩屋(やはぎや)』と呼んでいるがね」

 洋風な雰囲気に似つかわしくない、蕎麦屋のような名前だと思いながらエントランスに入ると、真っ白なシェフ姿の男がにこやかに出迎えた。

「千晴様、お待ちしておりました」

 親しい友人を招き入れるような笑顔で、シェフは大貴にも向き直った。

「はじめまして。我が家へようこそ。オーナーシェフの矢萩(やはぎ)と申します」

 驚きつつも、何とか挨拶を返した大貴は、どうしてこのレストランに名前が無いのか、何となく察しをつけた。

 退職したサラリーマンが、趣味で始めたレストラン──おそらく、そういう店なのだろう。

 テーブルに案内された大貴は、外観から想像していたよりも、明るくカジュアルな雰囲気にほっとした。

 椅子は籐でできており、テーブルもシンプルな物が置かれている。

 サンルームを改装したという部屋からは、ライトアップされた美しいイングリッシュ・ガーデンを見渡すことができた。

 だが、店内には他に客がおらず、そもそもテーブルが一つしか置かれていない。

 まるで、個人的な来客をもてなすような、家庭的な雰囲気だった。

「……何か、ちょっと驚きました。
 こういう所だって、思わなかったから」

 大貴がぼそりと呟くと、庄領は心の中を見透かすような黒瞳を細めた。

「どうして、そう思う?」

 穏やかに聞き返され、戸惑った大貴は、しどろもどろになりながら答えた。

「何というか……庄領さんは、有名な三つ星レストランとかに通ってそうな感じだったんで。
 まさか、こういう家庭的な場所を選ぶとは、想像できなかったというか──」

 すると庄領はくすりと微笑み、アンティークの食器棚やピアノが置かれた店内に視線を向けた。

「矢萩は、もともと本家の料理長をしていた男だ。
 私の好みをよく知っているし、そこらのレストランに比べればずっと信用できるから、安心して任せられる。
 独立したいと言い出した時、祖父は泣く泣く彼を手放したが、お陰で私も、気楽にここを利用できるようになった」

 庄領の言葉を黙って聞いていた大貴は、思わず顔を引きつらせそうになった。

(──……本家に……料理長?)

 それはどんな家なんだと、心の中で突っ込んでしまう。

「だが、君は三つ星レストランの方が良かったかな?
 次は、君の行きたい店を予約しよう」

 悪戯っぽく微笑んだ庄領を見返し、大貴は慌てて首を横に振った。

「そういうわけじゃありません。
 ただ単に……何か、意外だなあと……」

 この会話の中で、はっきり「次は無い」と言い出せず、そんな自分が少し情けない。

 男の眼差しから逃れるように、大貴は視線を美しい庭に向けた。

「ここは、私にとっては憩いの場所だ。
 仕事柄、有名なレストランや料亭に行くことも多いが、落ち着ける場所というのは滅多にない」

 会話の邪魔にならない、心地良いBGMが流れる中で、庄領の声は驚くほど柔らかく、豊かに響いた。

 気がつくと、その秀麗な顔の上に視線を戻していた大貴に、男は切れ長の双眸を細めて笑って見せた。

「我が儘なんだよ、私は。
 だから、足を運ぶ店も自然に限られてくる。
 ただ一流と言われるサービスを求めているわけじゃない。
 だが、矢萩なら、私の声や足音を聞いただけで、味付けや量を変えてくれる。
 元気な時と疲れている時では、食べたい物も変わるだろう?」

「……ええ、まあ」

 そもそも、そんな贅沢を言える身分でもないため、大貴の答えは曖昧になった。

 せいぜい、牛丼やラーメンで「大盛り」を頼むくらいが、一般庶民に許されたささやかな贅沢だろう。

 結局、庄領が求めているのは、一流以上の、最高級の「おもてなし」というわけなのだ。

 三つ星レストランの常連だと吹聴しているような輩とは、最初から格が違う。

(……金持ちの御曹司、か。確かになあ)

 嶺村の言葉を思い出し、つくづく納得していた大貴は、それでもこのアットホームな空間の快適さを実感していた。

「矢萩屋」はメニューの無いレストランだったが、「シェフお任せ」で饗される料理はどれもこれも本当に美味で、食欲旺盛な大学生でも満足できる量だった。

 さらに、料理が出されるタイミングが絶妙で、ワインを注ぐソムリエの立ち振る舞いも、空気のように自然なのだ。

 そんな居心地の良い空間が、緊張や警戒心を和らげたのか、いつしか大貴はすっかりくつろいでしまい、満たされた気持ちになっていた。

 何よりも、庄領が別人のように紳士的で優しく、嫌味の一つも言ってこない。

「……でも、何だかもったいないですね。
 庄領さんなら、俺なんかより、綺麗な女の人とここに来た方が似合います」

 料理にぴったりのワインのお陰で口の滑りが良くなっていた大貴は、メインディッシュの特大和牛ステーキを切り分けながら、そんな事を言っていた。

 ワイングラスをテーブルに置いた庄領は、一心不乱に肉を口に運んでいる大貴を見つめ、謎めいた微笑を浮かべた。

「ここには滅多に人を連れて来ない。
 自分一人の秘密基地のようなものだから。
 矢萩屋があまり有名になってしまうと、私自身が困るんだ。
 基本的に予約客専用の店だからな」

 蕩けるように柔らかい牛肉に、束の間恍惚となっていた大貴は、それでも何故か答えをはぐらかされたように感じた。

「──じゃあ、何で俺を……ここへ?」

 口の中の肉を飲み込み、思い切ってそう聞き返すと、庄領はゆったりとくつろぎながら、怜悧な眼差しを庭園へと向けた。

「……さあ、何故だろうな。
 ただ、君を連れて来るなら、ここにしようと思っていた。
 君が好きなものや、嫌いなもの……そういう事さえ、私はまだ知らない。
 それでも君を喜ばせようとすれば、矢萩の力を借りるのが確実だった。
 食に関しては、彼は間違いなくプロフェッショナルだ」

 視線を戻した庄領に見つめられると、大貴は急に居心地の悪さを感じて、椅子の上でもじもじした。

 お互いに喧嘩腰の方が、言いたい事を遠慮無く言い合えるような気がする。

 こんな快適な空気に包み込まれ、優しい言葉をかけられると、復讐に燃えていたはずの心が、おかしな風にドキドキし始めた。

(……の、飲み過ぎたのか、俺?)

 そんな事は無い、と思う。

 今夜はワインを飲むよりも、目の前に並ぶ料理に夢中になっていたのだ。

 その後、庄領は大貴に様々な質問を投げかけ、それに答えているうちに、胸の動悸は少しずつ鎮まっていった。



 矢萩屋を出た二人が次に向かった先は、東京屈指の高層ホテルに入っているお洒落なバーだった。

「次はどこに行きたい?」と問うた庄領に、大貴は思いつきで答えていたのだが、よくよく考えてみると、そこは別れた彼女が「行ってみたい」と言っていたバーだった。

 会社の同僚の間で話題になっているとか何とか──。

 それを思い出した時、大貴は複雑な気持ちになった。

 高層階に入っているそのバーは満席となっていたが、さほど待たされることなく席に案内された。

 やはりOLに人気があるのか、客層のほとんどが女性グループで、他は若いビジネスマンやカップルらしき人が多い。

 きらびやかな夜景を望む窓際の席に案内されながら、大貴は、小声ながらキャアキャアとはしゃぐ女たちの声を耳にした。

 彼女たちの目は皆、大貴の傍らにいる庄領に釘付けになっている。

 そこは生バンドの演奏が流れるシックなバーだったが、何となくざわついた空気が生まれるのを感じ取り、大貴は溜息をついた。

(確かに……黙ってればイイ男だからな)

 隣に座った男の横顔をちらりと一瞥し、大貴は心の中でこっそりと呟いた。

──いや、違う。

 この顔で、あの声で囁かれたら、きっと女性はメロメロになってしまうだろう。

 そう思った途端、このバーに来たことを、大貴はすぐに後悔し始めた。

 倶楽部『ファロス』にしろ、先ほどまでいた矢萩屋にしろ、男だけの空間だったのだ。

 ミステリアスな庄領の雰囲気に呑み込まれて、すっかり忘れていたが、女性を意識した途端、大貴は自分のアレルギーを思い出した。

 急激に鼻がムズムズし始め、両目もだんだん痒くなってくる。

「うーっ……まいった」

 ぼそりと独白し、念のためにと持ってきておいた薬を、水で喉に流し込む。

「それは何の薬なんだ?」

 訝しげに問うた庄領に、大貴は「アレルギーの薬」と素直に答えていた。

 紳士的な態度の庄領は、自分を理解してくれる優しい大学教授のようにも感じられ、今はさほど警戒心も起こらない。

「酒と一緒に飲んでも大丈夫なのか?」

 ますます怪訝な顔をする庄領に、大貴はひらひらと片手を振って見せた。

「──大丈夫、大丈夫。
 今までも時々薬飲んでるし、その後『ファロス』でも普通に酒飲んでるから」

 それでも不審げな表情を崩さず、庄領は冷静に忠告した。

「悪酔いするかもしれない。
 矢萩屋でもかなりワインを飲んでいるんだ。
 これ以上、アルコールは控えた方がいい」

 予想外に生真面目な言葉に驚き、大貴は目を丸くしたが、急に笑いがこみ上げてきた。

「だから、平気だって。
 そんなに心配すんなよ──あんたらしくないぞ、千晴サマ」

 すると庄領は呆れたような溜息をつき、カウンターテーブルに頬杖を突いた。

「言っておくが、君のためだぞ。警告はしたからな」

「はいはい、判ってますって。
 だから、飲み直しましょうよ、千晴サマ」

 冷静な庄領の警告もまったく耳に入らず、大貴はくすくすと笑い続けていた。