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今夜、あなたの猫になる



<16>



「──とにかく、人の生活に口出しすんな。
 これはこれで、快適な生活なんだから」

 びしっと男らしく口止めし、大貴は常々狭苦しいと感じていたキッチンに入った。

 アンズの事を思い出し、ホテルから大急ぎで帰ってきたため、昨夜から何も食べていないのだ。

 家に帰ったら安心したせいか、急に胃袋が空腹を訴え始めた。

「あーあ。何にもねーな。
 冷凍チャーハンしか無いけど、あんたも食うか?」

 冷蔵庫の中をあさり、買い置きしていた冷凍食品を見つけ出した大貴は、なおも部屋の様子を観察している庄領に声をかけた。

 その途端、男は驚いたように振り向き、大貴の顔をまじまじと凝視した。

 聞こえなかったのかと思い、大貴は冷凍チャーハンの袋を振って見せた。

「だから、チャーハン食う?
 あんたも腹減ってるんじゃないのかよ?」

「アンズが待ってるから、早く帰りたい」と散々せっついたため、朝食──もしくは昼食を取っていなのは、庄領も同じだった。

「──ありがたくいただこう」

 珍しいことに、男はどことなく困惑しているような、神妙な顔つきでそう答えた。

 不思議なものを見るような目つきで見られると、何やらくすぐったい気分になる。

 電子レンジで二袋分の冷凍チャーハンを温めながら、適当な取り皿やスプーンを探していると、目を離した隙に、アンズが庄領の傍に近づいていた。

 ふと気づいた時には、顎の下を撫でられてグルグルと喉を鳴らしながら、アンズは男の膝の上によじ上っていた。

「──アンズ! あんまり、そいつに近寄るな。妊娠させられるぞ」

 人見知りをしないアンズにヒヤヒヤしながら、大貴が声を上げると、庄領はくくっと笑った。

「酷い言いぐさだ。さすがに、獣姦の趣味はないぞ」

「ツッコミはそっちかよ!」

 思わずずっこけそうになりながら、大貴がローテーブルの上に皿を並べると、庄領が艶然と微笑んだ。

「突っ込むなら、大貴の中がいい。
 口でも尻でも、君の好きな方を選べばいいが」

「──……あのさ。黙っててくれる?
 隣の人に聞かれたら、俺、ここにいられなくなるから」

 顔をひきつらせた大貴は、怒る気力も失せ、深々と溜息をついた。

 さすがは嶺村の友人──下ネタ好きなところも、似た者同士というわけだ。

 ところがアンズは、庄領の膝の上が気に入ったのか、丸くなって寝てしまう。

 満足げに喉を鳴らしているところを見ると、本当に気持ちいいのだろう。

 一人娘を取られた寂しい父親の気分を味わいながら、電子レンジから熱々の皿を取り出した大貴は、少々乱暴にスプーンを押しつけた。

「ほら、食え! 味の保証はしないけどな。
 文句があるなら、食品会社に言ってくれ」

「……『食え』と言われても、このままでは動けないんだが」

 アンズが膝を占領してしまったため、身動きが取れないらしい。

 その気になれば、小さな猫など簡単に振り払うことができるのだが、そうしないところに、大貴はほんの少し好感を抱いた。

「ああ、もう……めんどくせーな。
 ほら! アンズの上にこぼすなよ」

 ほんのりと温まった心から目をそらし、大貴は偉そうな態度で、チャーハンを取り分けた皿を押しつけた。

 すると庄領は律儀に「ありがとう」と礼を言い、柔和な表情で微笑んだ。

 育ちの良さというのは、こういう所に現れるのかもしれない──傲慢なだけでは無いのだと感じ取り、庄領の株がほんのちょっとだけ上がる。

「──で、どうよ?」

 ぶっきらぼうな口調で大貴が問うと、優雅な所作でチャーハンを口に運んでいた庄領が、訝しげに聞き返した。

「『どう』とは?」

「チャーハンの味に決まってんだろ」

 思わず憮然とすると、男は「ああ」と一言呟いて、考えるように視線だけを天井に向けた。

「……冷凍食品のチャーハンだな」

「考えてそれかよ? 他に感想とか無いわけ?」

「何か、いろいろもの足りない」

 美食家のひどく曖昧な感想に、少しだけ上がっていたはずの株がまた急落する。

「せっかく作ってやったんだから、少しは美味いとか言えないのかよ」

 ぶつぶつと不満をこぼしつつも、山盛りになったチャーハンはあっという間に減っていく。

 やはり、空腹は最高の調味料なのだった。

「作ったと言っても、レンジで温めただけだろう」

「皿に盛ったのは俺なんだから、一手間加わってるんだよ。不味いなら、食うな」

 大貴がフンとそっぽ向くと、綺麗に最後まで食べ終えた男がくすりと笑った。

「不味いとは言ってない」

 空になった皿を受け取った大貴は、そのまま無言で、残りのチャーハンを口の中に掻きこんだ。

 その間、庄領はアンズの頭や背中を撫でながら、穏やかにくつろいでいる。

 嫌がる様子のない一人娘の姿に、何やら複雑な心境を味わいながら、大貴は食べ終わった食器をキッチンへと運んだ。

 その後、手早く、大ざっぱに食器を片付けた大貴は、暢気に猫と戯れている庄領に声をかけた。

「──ところで、あんた、いつまでここにいる気?
 帰らなくていいのかよ?」

「帰れと言われなかったからな」

「じゃあ、もう帰れ。俺は疲れたから、寝る。
 あんたに散々やられたせいで、腰も痛いんだ」

 最後の言葉は、やや恨み節になってしまう。

 とはいえ、空腹が満たされたからなのか、急激に疲労と眠気が押し寄せてきているのは事実だった。

 バタバタしていたせいで気に留めていなかったが、下半身に鈍い痛みが広がっているし、口にするのも恥ずかしい場所が、熱を持ったようにジクジクと疼いていた。

 シャワーを浴びた後、庄領がそこに炎症止めのクリームを塗ってくれたが、その時の状況たるや、顔から火が出るほど恥ずかしいものだった。

 すると、飼い主の少し荒っぽい語気に気づいたアンズが、ぴょいと庄領の膝から軽やかに飛び降りた。

 大貴の足許に躰をこすりつける姿は、まるで「機嫌を直せ」と言っているようでもある。

 大貴がアンズを抱き上げると、庄領はベッドから立ち上がった。

 そして、狭い部屋の中で擦れ違い様、足を止めて名前を呼んだ。

「──大貴」

 反射的に顔を上げた途端、軽く肩を引かれ、その勢いでクローゼットの壁まで押し流されていた。

「……ぅんんッ……ふぅっ……」

 首を捻られ、真横を向くような形でキスをされた大貴は、口の中を舐られる快感にきつく眉根を寄せた。

 アンズを抱いたまま唇を奪われると、男を押しのけることすらできなかった。

「ごちそうさま。君のチャーハン、美味しかったよ」

 チュッと音を立てて唇を吸われると、顔が一気に赤くなる。

 全く油断しきっていた突然のキスに、言葉も出なかった。

 そんな大貴の顔を、笑いながら見つめていた庄領は、最後に耳元で囁いた。

「おやすみ、大貴。私との約束を忘れるなよ」

 玄関のドアが閉まり、庄領がいなくなっても、しばらくは彼の気配が部屋の中に漂っているように感じた。

 口づけられた時の残り香が、いつまでも大貴の周りにつきまとう。

 腕の中からアンズが飛び降りた事にも気づかないまま、大貴はしばらく茫然と立ち尽くしていた。



 翌朝、ザラザラした舌で寝顔を舐められ、爆睡していた大貴は目を覚ました。

 朝食を催促する愛猫の顔を見ているうちに、意識がはっきりする。

 昨日は夕方に一度起きた後、朦朧としたままアンズに餌をやり、夕食にカップ麺を食べて、その後また昏々と眠り続けていたのだ。

 散々眠ったお陰で疲労は抜けていたが、精神的なショックは、後から遅れてやって来た。

「──……ヤバい。マジでヤバいだろ、俺!」

 朝のコーヒーを飲んで、いつもの日常に戻った途端、大貴は半分パニックに陥っていた。

 何が何だか判らないうちに、庄領とヤってしまったのだ。

 泥酔していたなら、まだ言い訳もできるが、意識はしっかりしていた。

 それにも関わらず、妙な雰囲気に押し流されて、あんな事になったのだ。

 その上、あの男を家の中にまで招き入れて、飯まで食わせてやるとは──!?

(……っていうか、何やってんだよ?
 仕返しするんじゃなかったのか?)

 冷静で理性的なもう一人の自分が、落ち込んでいる自分をチクチクと責め立てる。

(いや、ほら……そのつもりだったんだけど、流れで、そうなっちゃったって感じ?)

(何言ってんだよ! 相手は男だぞ。簡単に流されんなよ。
 だいたい、庄領を嫌ってたんじゃねーのかよ?
 あっさり許してんじゃねーよ!)

 頭の中での言い合いは、理性的で男らしい自分に軍配が上がった。

 こてんぱんに打ち負かされた大貴は、頭を抱え込んで溜息をつくしかなかった。

 男におかまを掘られたのは、実際に起きてしまった事だし、これはもう事故だと思っておくしかない。

 むしろ、長い人生の中の、貴重な経験の一つだと考えよう。

 だが問題なのは、その後の行動──本来は屈辱的な行為の後で、どうしてその相手と、いがみ合いもせず、和気藹々と過ごしてしまったのか。

(……とにかく、相手が庄領じゃなきゃ、俺はまだ納得できる。あいつだけはマズい)

 アレルギーの薬を飲んで、無理にでも「女」と付き合うか、それとも、他に気の合う「男」を見つけるか。

 庄領と次に約束した日までには、何としてでも別の相手を見つけて、あの男との関係を断ち切らなければ──。

 大貴はそう決心し、それ以上考えるのを止めた。