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今夜、あなたの猫になる



<19>



 だが、その後も彼は黙々と、デジタルカメラのメディアを、パソコンに挿入し始めた。

(……おいおい。ブログに写真アップとか、やめてくれよ)

 思わず顔が引きつってしまう。

 そんな大貴の心配をよそに、那波は全くの無表情でパソコン作業に没頭し始めた。

「邪魔をするな」と言わんばかりの寒々しい雰囲気に、周囲に控えたボーイたちも困惑しているようだった。

「──何か……やだなあ」

 金は持っているのかもしれないが、周囲に全く気を遣わない自分勝手な性格。

 そんな人間が、どうして『猫』に求愛しようと思ったのか、理解できない。

「やっぱり、さっさと追っ払うか」

 多分、その方が良いだろう。

 プライドが高そうな雰囲気だし、『猫』が無理難題を吹っ掛ければ、怒ってゲームから降りる可能性は高かった。

 大貴はふと、枕辺にある雑誌に視線を向けた。

 庄領との七日間は、腹立たしい事がいろいろあったにせよ、スリリングで興奮できる時間だったような気がする。

 だが那波が相手では、正直、鬱陶しく、面倒くさいと感じ始めていた。

「やれやれ」と溜息をついた時、パソコンにずっと目を向けていた那波が、またカメラを片手に立ち上がった。

 そして今度は三脚を準備してからガラスの檻に近づき、撮影会を再開する。

「……最悪。こいつ、ストーカー?」

 今すぐにでも、ここから逃げ出したい。そんな思いが急浮上する。

 もし、那波と食事に行って、庄領の時と同じように、酔っ払ってしまったら──全裸に剥かれて、写真撮影されるのではなかろうか?

 恐ろしい想像に青ざめた大貴は、近くに控えたボーイを急いで呼び寄せ、『ファロス』の中で一番高価なワインと食事をリクエストした。



「──秋永大貴さん。診察室にどうぞ」

 名前を呼ばれた大貴は、わずかな希望を胸に、半年前から何度も訪れている病院の診察室に足を踏み入れた。

「何だ……また君か」

 デスクの前に座った白衣の医師は、大貴の顔を見た途端、うんざりしたように呟いた。

「何だって、何ですか? 俺だって患者ですよ」

 傍若無人な中年医師、『すずき耳鼻咽喉科クリニック』の鈴木院長は、素っ気なく肩をすくめた。

「前にも言ったように、君は精神科に行った方がいいぞ。
 アレルゲンが特定できないんだから、対症療法くらいしか、方法がない」

 落ち着かない時の癖なのか、鈴木医師はそう言って、つるりと剃り上げた頭を撫でた。

「……精神科って、嫌ですよ」

 大貴が落ち込んだ表情で呟くと、中年太りの鈴木医師はざっくばらんな声を上げた。

「彼女に振られてから、君が言うところの『女子アレルギー』が発症したんだろう?
 検査しても何も出てこなかったじゃないか。
 君の気分で症状が変わるところからみても、原因は精神的なものだ」

「そりゃ、そーですけど……」

 溜息をついた大貴は、「早く帰れ」と言わんばかりの医者を恨めしげに見つめた。

「でも、このままじゃ、マジでマズイんですよ!
 最近はエロ本も見れないし、朝も全然勃たなかったし……」

「それこそ、耳鼻科の範疇じゃない。
 同性として大変気の毒だとは思うがね。
 勃起不全が気になるなら、バイアグラでも飲んでみたらどうだ?」

 鈴木医師は、大股を開いて椅子に寄りかかった。

 その声には微塵の同情も含まれていない。

「この年でバイアグラって、どうなんですか!
 軽々しく言わないでくださいよ、まったく」

 思わず声を上げていた大貴は、さらに愚痴っぽく語っていた。

「──この間なんか電車で痴漢に襲われたし、男に触られて、勃たなかったはずのモノが勃ったりするし……」

「そりゃ、良かったな」

「……全然良くないでしょう!」

 うつむいたまま、延々愚痴を吐き出していた大貴が怒りを露わにすると、鈴木医師は意地の悪い笑みを浮かべた。

「まあ、君、そんなに怒るな。
 ペニスの機能的な問題じゃないんだから、喜ばしい事じゃないか。
 それより、ほら……見たまえ」

 鈴木医師が指差した方に、大貴が視線を向けると、医者のすぐ傍に、にこにこと笑っている若いナースが立っていた。

 今までの話を聞かれたかと思い、大貴が顔を真っ赤に染めると、鈴木医師は真面目な顔で言った。

「こんなに可愛いナースが傍にいても、君のアレルギー症状は全然出ないじゃないか」

「──えっ?」

 とまどった大貴はぽかんとしていたが、ナースの笑顔を改めて見つめた途端、いつものように鼻がムズムズしはじめた。

「君は、彼女がこっそり近づいてきても、全然気づかなかっただろう?
 彼女が女性だと認識して、ようやく反応が出てきた。
 アレルギーっていうのは、そんなに都合の良いモンじゃない。
 本人が意識しようがしまいが、アレルギー物質が存在すれば、症状が出てくるもんだよ。  つまり君の症状は、『アレルギー』には当たらない。
 何度も言っている通り、精神的なものが原因じゃないのかね」

「どうだ!」と言わんばかりに胸を張っている医者を見つめ、大貴は情けない声を上げた。

「──助けてくださいよ、先生。
 明日、合コンがあるんですから、とりあえず、どうにかしてください!
 この間、酒と一緒に薬を飲んだら、意識失うほど酔っ払って……」

 瞳を潤ませて大貴がすがりつくと、医者は呆れたように溜息をついた。

「何だ、そういうことか。じゃあ、一応、薬変えて出しとくから」

「……お願いします」

 カルテ入力を始めた鈴木医師に頭を下げた大貴は、最後にぽつりと訊ねた。

「──先生。俺、やっぱり女の人と付き合えないんですかねえ?
 男が相手なら、『女子アレルギー』で悩まなくてもいいんだけど」

 大貴の気弱な声に、ちょっぴり同情してくれたのか、鈴木先生は励ますように言った。

「まあ、どっちにしても無理はしないことだ。
 意外に、時が解決してくれることもあるからな」



 すずき耳鼻咽喉科クリニックを出た大貴は、大学への通学ルート沿いにある調剤薬局に向かった。

 講義の一コマが休講になったため、通学前に病院に寄ることができたが、「女子アレルギー」に関しては、通院し始めた時から全く進展が見られない。

 最近は、薬をもらうついでに、愚痴をこぼしに行く場と化していた。

「……まったく、ヤブ医者め」

 いつもと同じ恩知らずな罵り文句が飛び出すものの、転院もせずに通っているのは、ぶっきらぼうな鈴木院長の雰囲気が、父親に似ているからかもしれない。

 駅のホームから空を見上げつつ、両親の顔を思い出した大貴は、はあっと溜息をついた。

「このままだと……孫の顔は見せられねーよな」

 六歳年上の兄、大成(たいせい)は、立派な社会人となっているし、そろそろ結婚を考えているという話も聞いていた。

 次男坊だから気楽ではあったが、順風満帆な兄に比べると、何やらいろいろな意味で先行きが暗いような気もする。

「──ていうか、あいつ……兄貴より年上かよ」

 庄領の顔を思い出した大貴は、慌てて脳裡のイメージを消し去った。

 昼休みに入った大学の構内は、ランチに向かう学生でいっぱいだった。

 木陰のベンチに座り込み、途中のコンビニで買い込んだ総菜パンを頬張っていると、正門の方から遼真が歩いてくる姿を見つけた。

 大貴は、口の中のパンを急いで飲み込み、大声で名前を呼んだ。

 すると、何やら深刻な顔つきをしている遼真が、狼狽したような表情を浮かべた。

「お前、メシ食ったの?」

「……いや、まだだけど」

 逡巡するように瞳を揺らした遼真は、大貴の隣にのっそりと腰を下ろした。

「じゃあ、コレやるよ。買いすぎたから」

 ビニール袋の中に残ったパンを、大貴が手渡すと、遼真は戸惑いを露わにした。

「そんなんで、腹減らねーのか、お前?」

「朝遅かったし、先に二個食ったからな」

 実際、考え事をしていて、少々ぼんやりしたままパンをカゴに入れていたため、買いすぎてしまったのは事実だった。

「……じゃあ、サンキュ」

 そう答えた遼真だったが、やはりいつもの元気が無い。

 大貴は怪訝に思いながら訊ねた。

「何かあったのか、お前? 
 明日、合コンあるんだろ? もしかして、断られたとか?」

「そんなんじゃねーよ」

 憮然とした声音で答えた遼真は、悩ましげに嘆息をもらして、パンの包装を破った。

 あっという間に焼そばパンを平らげてしまったが、それでも満足できていないのか、遼真の眉間には皺が寄っている。

「腹減ってるなら、何か食いに行くか?」

 次の講義にはまだ時間がある。

 大貴がそう訊ねると、遼真は不機嫌な顔つきでかぶりを振った。

「そんな事より……お前、明日の合コン、マジで来んのか?」

 突然、遼真にそう問われ、大貴は「はあ?」と首を傾げた。

「誘ったの、お前だろーが? 何だよ……俺が行かない方がいいのか?」

「そういうわけじゃない」と遼真は呟き、言いよどむように口を噤んだ。

「……ただ、アレルギー出るだろ、お前」

 その言葉を聞いて納得し、大貴は通学バッグに突っ込んでおいた薬袋を取り出した。

「それなら心配すんな。
 さっき、病院で薬もらってきたとこだし。
 酒飲んでも、そんなに眠くならないって言ってたから、バッチリだ」

 笑いながら親指を立てて見せると、その途端、遼真の顔が険しくなった。

「──そんなんで良いのか、お前?」

 急に立ち上がった遼真に睨み下ろされ、大貴は薬袋を持ったまま、ぽかんとしてしまった。

「何で怒ってんだ、お前?」

 このおかしな展開について行けず、思わず首を傾げてしまう。

 すると遼真は、苛立たしげに双眸を眇め、ふいっと顔を背けてしまった。

「──そんな薬飲んでまで、女と付き合いてーのかよ?

 遼真は刺々しい声でそう言い残し、そのまま大貴を置き去りにして、さっさと歩いて行ってしまった。