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今夜、あなたの猫になる



<20>



 訳が判らず、大貴はしばらく唖然としていた。

「……何だ、あいつ?」

 だが、遼真の理不尽な態度に、だんだん腹が立ってくる。

 合コンに乗り気でない自分を、しつこく誘ってきたのは遼真の方なのだ。

 それなのに何故、行くと同意した自分が、責められなければならないのだろう?

 いっそこのまま断ってやろうかと思ったが、大貴はすぐに考え直した。

(庄領の事もあるし……また変なのが一人増えたからな……)

 金曜日の夜には、庄領との約束がある。

 さらには、彼の次に『求愛者』となった那波という男と、このままいくと『デート』しなければならない。

 高額なリクエストを続けていれば、向こうからゲームを降りるだろうと予想していたが、写真ばかり撮っている男は、意外に粘り強かった。

 思っていたより、軍資金は潤沢であるらしい。

 今後、次から次へと『求愛者』が増えるなど考えられないが、自分なりに「彼女」という防壁を作っておいた方が良さそうな気もした。

 そうすれば、禁断の世界に引きずり込まれることはないだろう。

(しょーがない。遼真の機嫌とっとくか。それもこれも、自分のためだ)

 今から追いかければ、遼真に追いつけるかもしれない。

 どうせ腹を空かして、カフェテリアにでも向かったのだろう。

「やれやれ」と溜息をつきながら、大貴はベンチから立ち上がった。


 大学の講義が終わると、大貴は一旦アパートに戻った。

「ただいま、アンズ」

 ゴロゴロと喉を鳴らす愛猫を撫でた後、閉めきっていた窓を開ける。

 蒸れた空気の中に風の流れができた時、大貴はふと庄領の言葉を思い出して、ローテーブルに視線を向けた。

 テーブルの上に置いておいた雑誌に手を伸ばすと、つい彼の記事を探してしまった。

 飾っておきたくなるようなポートレートを眺めながら、大貴はベッドに座り込んでいた。

「……遊びだって、言ってたよな、あいつ」

 男同士の恋愛事情など知らないが、庄領が自分を抱いたのは、ゲームの一環であり、ただの遊びでしかなかったのだろう。

 そう考えると、胸がムカムカして、苛ついてしまうが、自分もあの男を試したのだから、お互い様かもしれない。

 遊ばれたのではなく、こっちも遊んでやったのだ。

 その時、アンズが餌を催促するように熱心に体を擦りつけ、ニャアニャアと鳴いていることに気づいた。

「──あ、ごめんな。お腹空いたよな」

 アンズの世話を後回しにすることなど、今まで無かったことだった。

 そんな自分にぎくりとしながら、大貴は慌てて立ち上がり、テーブルに雑誌を戻した。



 家を出るのが遅くなったせいで、その日はまた帰宅ラッシュに巻き込まれてしまった。

 病院でもらった薬を飲んでいたため、先日のように「女子アレルギー」が出る心配はない。

 今のところ眠気も感じず、大貴はほっとしていた。

 地下鉄の小刻みな振動に揺られながら、大貴は乗降ドアの方に視線を向けた。

(そういえば……あそこに、あいつが立っていたんだよな)

 電車に乗って、人間観察するのが趣味だというあの男は、アレルギーで顔をぐちゃぐちゃにした大貴を見つけ、面白がっていたのだろうか?

 吊り革につかまっていた大貴は、ケータイゲームに夢中になっているOLを、ぼんやりと眺めながら、あの日の事を思い出していた。

 その時、地下鉄が大きく揺れ、大貴は他の乗客と共に慣性で流された。

 すぐに元に戻ったが、密集していた人の位置は、わずかずつ変わっている。

 大貴が違和感に気づいたのは、その直後だった。

 真後ろに立っている誰かの手が、触れるか触れないかという曖昧なところで、大貴の臀部に当てられている。

 ちょうど背中合わせになっているため、顔は判らなかった。

 だが肩の位置から、自分よりも背が高い男であることは判明する。

(──嘘だろ? また痴漢か?)

 露骨に触られているわけではないが、車両が揺れると、それに合わせるように掌を押しつけてくる。

 最初は気のせいだと思おうとしたが、何度となく尻を触られていると、疑惑が深まった。

 首をねじり、相手の姿をどうにか見定めようとした大貴は、その男の肩しか見えないことに苛立った。

 特徴の無いグレーのスーツ──サラリーマンだろうか?

 ところが、次の駅に停車し、乗客の多くが降りてゆくと、その男の姿も忽然と消えていた。

(……やっぱり、気のせいだったのか?)

 一度痴漢に遭っているから、自意識過剰になってしまったのだろうか?

 憂鬱な溜息をつき、大貴は口の中でぼそりと独白した。

「やっぱり……俺、おかしくなってんな」

 男の自分が、そう何度も痴漢に遭うわけない。

 そもそも、正常な世界というのは、男が男相手に欲情することはないはずだった。

 倶楽部『ファロス』にいるから、いろいろあり得ない勘違いしてしまうのだ。

 そんな自分が、何となく恥ずかしくなってしまった。


 水曜日の夜に行われた久しぶりの合コンは、男ばかりの空間に馴染んでいた大貴には新鮮に感じられた。

 それぞれ四人ずつの男女が集められ、チェーン店ではあるが、ちょっとお洒落な居酒屋ですぐに盛り上がる。

「大ちゃん、メアド交換してくれる?」

「──いいよ」

 女の子たちからアドレス交換を申し込まれれば、やはり悪い気はしない。

『女子アレルギー』も今のところ大人しくおさまってくれているし、アルコールもほどよく回っているため、大貴は浮かれ気分になっていた。

(……このキャピキャピした感じは、男には無いよなあ)

 女子大生が放つ明るい空気感は、妖しくほの暗い倶楽部『ファロス』では、ついぞ感じることができないものだった。

「じゃあ、もう一回、俺、一気呑みいきまーす!

 最初からハイテンションな遼真が、ビールジョッキ片手に立ち上がる。

 その途端、集まっていた女性陣から歓声と拍手が、男からは野次が飛んだ。

「大丈夫かよ、遼真。あんまり無理すんな」

 心配になって大貴が思わずたしなめると、遼真はおどけ口調で言った。

へーき、へーき。でも、潰れちゃったら、そん時はよろしく〜。
 でも俺が頑張ったら、次は、大貴、お前が呑めよ!」

 みんな、そこそこに酔いが回っているため、今度は大貴を囃し立てる。

 腰に手を当て、周りのかけ声に煽られるようにジョッキを空けた遼真は、挑発するような視線を大貴に向けてきた。

 場を白けさせるわけにもゆかず、大貴はビールを一息で空けて見せた。

 だが、理性の箍をゆるめるノリのよいコールと、黄色い笑い声の合唱に、眩暈を感じる。

 さらに遼真が、「もう一回、みんなで乾杯しよーぜ」と煽り立てると、だんだんついていけない自分を感じ始めた。

「えーっ? 何に乾杯すんの〜?」

「美女に会えた、今夜の奇跡に……かな?」!

「何、それー? ホストみたーい!」

 他人の邪魔をしないよう、静かに酒を飲んでいる倶楽部『ファロス』の中では考えられないような騒々しい会話──。

 最初はきらきらしているように感じた女性特有の高い声が、キンキンと耳の奥に響いた。

 だが、このまま場の空気に圧倒されて、誰にも声をかけないで帰るわけにはいかない。

 次に二人で会う約束くらいは取り付けておかなければ、何のために無理をして、この合コンに来たのか判らない。

 とはいえ、その場にいる彼女たちの誰を選んでいいのか判らず、大貴は迷った。

 それぞれに個性のある可愛い子なのだが、どうしたものか、トキメキが全く生まれない。

アタシ、シャンパンが飲みたいな〜。でも、ここ、置いてなーい」

 隣に座っていた子が、躰をすり寄せるようにして、大貴にメニューを見せる。

 甘いフレグランスの香りが漂ってくると、大貴は反射的に仰け反りそうになったが、そんな自分を押し止めて話を合わせた。

「俺も、ビールよりは、シャンパンの方がいいかな」

「ドンペリとか、呑んでみたいよね〜」

「……ドンペリ・ロゼだったら、この間飲んだよ」

 シャンパンの話題が出ると、見栄を張って、つい自慢したくなった。

 それも、男の悲しい性なのだろうか?

 そもそも自分の金ではないのだが、そんな事を知らない彼女たちは、口々に「大ちゃん、すごーい!」と感激してくれる。

 何が凄いのか判らない、浮ついた会話。

 だんだん彼女たちの容姿や名前の区別さえつかなくなってくる。

「──疲れた」

 二次会のカラオケが終わる頃には、愛想笑いを振り巻きすぎたせいか、どっと疲労が押し寄せてきた。

 そして、意気揚々と三次会へ繰り出そうとする遼真に、大貴はついに声をかけた。

「遼真──そろそろ、俺、帰るわ」

「もう帰るのかよ? 夜はこれからだろーが?」

 遼真が不平をもらす。どうやら、徹夜で飲み歩く気だったらしい。

「ごめん。もう終電ギリギリだし、アンズが待ってるからさ」

 大貴のその言葉を聞きつけ、女子はきゃあきゃあと騒ぎ出した。

「えー? アンズって誰〜? 大ちゃん、彼女いたの〜?」

「アンズは、俺の一人娘。ほら、可愛いだろ?」

 ケータイの待ち受け画面を見せると、繁華街の路上に黄色い歓声が響いた。

「ニャンコ、カワイイ〜!!」

「アンズが寂しがるから、また今度な」

 娘を褒められると、やはり一番嬉しい。

 その夜で唯一、本気の笑顔を浮かべ、大貴は女子大生に手を振った。

「じゃあ、俺も帰るわ」

 ところがその直後、唐突に遼真が言い出した。

 その途端、合コンに集まっていた女子大生は、「ええーっ!」と不満げな顔になる。

 やはり遼真は、一番人気があるらしい。

「夜更かしはお肌に毒だからねー。明日、朝一で講義もあるし……」

 白々しい言い訳をして、彼女たちに手を振った遼真は、呆気にとられていた大貴の衣服を引っ張るようにして歩き始めた。