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今夜、あなたの猫になる



<21>



「お前、俺に気を遣うなよ。彼女たちとの合コン、楽しみにしてたんだろ?」

「いいから、いいから。気にすんなって」

 酔っ払って上機嫌な遼真に、引きずられるようにして歩いていた大貴は、「やれやれ」と天を仰いだ。

 遼真の気まぐれな行動に付き合わされるのは、これが初めてではないが、いつになっても慣れそうにない。

 ビルの明かりや街灯に照らされた歩道を、大貴は遼真と連れ立って歩き、東京メトロの地上出入り口へと向かった。

 最終電車が間近に迫っているせいか、速歩で急ぐサラリーマンに、後方からどんどん追い抜かれてゆく。

「──じゃあ、近道しようぜ」

 突然そう呟き、遼真が脇道へそれようとした。

 この周辺の道にさほど詳しいわけではなかったが、ビルの谷間の薄暗い路地に踏み込むことには躊躇いがある。

「どうせ、すぐそこだろ」

 大貴が足を止めると、遼真はぐいと片手を引っ張った。

 いつの間にか遼真の顔に、人が変わったような荒々しい表情が浮かんでいる。

「……お、おいっ、遼真!?」

 真っ暗な路地裏に連れ込まれ、大貴は戸惑った。

 道とは言えないようなビルの隙間には、微かな光しか差し込んでこない。

 両足を突っ張るようにして、先に進むことを拒んだ大貴は、次の瞬間、冷たく湿ったビルの外壁に背中を押しつけられていた。

「……俺、今、ものすっげー、お前とキスしたい」

 自分の躰と、ビルの外壁の間に大貴を閉じ込め、遼真は酒臭い吐息を吹きかけてきた。

「──バ、バカか、お前は! 男相手に、盛るな! 正気に戻れ」

 顎をつかまれた大貴は、慌てふためきながら罵ったが、遼真はさらに顔を近づけてきた。

「なあ……俺じゃダメなのかよ、大貴?
 キスしたいって言ったの、お前じゃん?」

「だ、だから……あれは、冗談だって!」

 くぐもった声で囁いた遼真は、目を剥いて言い返した大貴の口を、強引に唇で塞いだ。

「──うう……うぅっ…くっ……」

 大貴は双眸を見開いたまま、自分の唇を奪った遼真の躰を押し返そうとした。

 だが、ジムで躰を鍛えている遼真は動かず、さらに躰を密着させてきた。

 欲望を凝らせた腰が押しつけられ、両足を膝頭で割られる。

 壁に押さえ込まれていた大貴は、股間を遼真の膝頭で擦られ、動揺した。

 反撃しようにも、急所に響く断続的な刺激が、抵抗する力をじわじわと削いでゆく。

「……やっ、止めろって!」

 左右に顔を振ってキスをそらした大貴は、その隙に声を上げたが、ズボンのジッパーを引き下ろされ、内部を無造作につかまれると、上擦った悲鳴を上げた。

「……前からずっと、お前を見てた。
 俺に負けて、悔しそうな顔をするお前が好きだったんだ。
 だから……お前に勝つために、俺はずっと水泳に専念してた」

 大貴の膨らみを刺激しながら、突然、遼真がぼそぼそとした声で告白し始めた。

「……なっ……何だってっ!?」

 生理的な快感に襲われながらも、その言葉に衝撃を受け、大貴はフリーズした。

「それなのに……お前は、優衣先輩に逃げて、俺との勝負を捨てやがった。
 あの時は──本当にお前が許せないと思ってた」

 痛いほどに大貴のペニスをつかみ、遼真が剣呑な声で呟く。

 顔を歪めた大貴は、きっと睨み返した。

「それは……俺の勝手だろ! 
 俺がスランプだったのは、お前だって知ってるはずだ!」

「ああ、そうだ。だけど、お前だって、ずっと俺に勝ちたいと思ってただろ?」

 闇の中でぎらりと光るような強い眼力で、遼真が睨みつけてくる。

 その迫力に絶句して、大貴が息を止めると、遼真は噛みつくようにキスをしてきた。

 舌を絡め取られ、股間を愛撫されると、次第に息が上がってしまう。

 だが、突然腹立たしさが爆発し、大貴は渾身の力で遼真を押し返すと、顔が離れたところで頭突きを食らわせた。

「──……イッ…てえ……ッ!」

 ガツンと額がぶつかり合った瞬間、目の奥に火花が飛び散る。

 それは遼真も同じだったようで、額を押さえながら苦痛に呻き、ふらふらと後退った。

「ふざけんな!」

 憤りが強すぎて、それ以上言葉にならない。

 大貴は、額を押さえたまましゃがみ込んだ遼真を睨み下ろし、さっと踵を返した。

 明るい雑踏に踏み出す直前、ふと思い出してジッパーを上げた。

 腹立たしさと恥ずかしさ、そして情けなさにどっぷりと浸りながら路地裏を離れ、大貴は地下鉄の入り口を探した。

「……マジで痛えな」

 ほとんど力加減をしなかったため、額がズキズキと痛む。

 額を押さえながら地下へと続く階段を降りた大貴は、最終電車に間に合わなかった事を知ると、ガックリと肩を落とした。

 こういうのを、踏んだり蹴ったりを言うのではないだろうか?

 合コンは上手くいかなかったし、遼真には突然キスをされた。

 その上、間の悪いことに、終電に乗り遅れてしまったのだ。

 地下に降りてきた時とは別の、道路の反対側に出る階段を上がった大貴は、車道との境目の柵に腰を下ろし、溜息をついた。

 首をねじって、連れ込まれた路地裏の方に視線を向けたが、遼真の姿は見当たらない。

「まったく……何なんだよ、あいつは……」

 苦々しくひとりごちた時、車道でクラクションが鳴り、見覚えの無い大きな車が目の前に滑り込んできた。

 周りの車に比べても長くて幅広く、存在感のあるサルーン。

 だが、黒っぽい外装ではあるものの、威圧感の少ないその車は、近づいてきた車体のマークからマイバッハだと判った。

「──終電に間に合わなかったのか? 乗りなさい。家まで送ろう」

 後部のサイドウィンドウが下がると、高級感漂う革張りのシートに座っていた庄領が声をかけてくる。

 突然の事に大貴は困惑したが、巨大な外車が歩道脇に横づけされ、わざわざ助手席から降りてきた秘書らしき人物がドアを開けてくれると、断ることができなくなった。

 もう一度、遼真がいるはずの路地を見つめた大貴は、ふっと溜息をつき、思い切って庄領の車に乗り込んだ。

 ドアが閉まると、外から隔絶されたように静かになった。

 ラグジュアリーなその車に、ラフな格好をした自分が似合わないような気がして、座り心地の良いシートに身を沈めても、何となく落ち着かない。

「……すみません。わざわざ、送ってもらって」

 緊張しながらシートベルトを締め、大貴が謝ると、庄領はくすりと笑った。

「気にすることはない。私も接待が終わって、ちょうど帰るところだったからな」

 奇跡的な偶然とはいえ、こんな所で庄領に出会うとは驚きだったが、接待帰りと聞いて大貴は一応納得した。

 社会人の事はまだよく判らないが、社長ともなれば、いろいろ付き合いが忙しいのだろう。

 滑るように車が走り出すと、フロントシート後部から曇りガラスのパーテーションがするするとせり上がり、完全に前後が分離した空間に変わった。

 二人きりの密室状態だったが、足許から照らす青白いライトや、そこここにある間接照明のおかげで真っ暗にはならない。

 眩しいほどではなく、お互いの顔が認識できる明るさなのだが、車中とは思えない神秘的な雰囲気に、大貴はどぎまぎしてしまった。

 何となく、プラネタリウムのようにさえ感じる。

「今日は休みだったのか?」

 緊張して身を固くしている大貴に、庄領は穏やかな口調で訊ねた。

「……ええ、まあ。急に用事ができたんで、休みをもらいました」

 倶楽部『ファロス』の『猫』を休む理由が合コンであるとは、嶺村にも言ってないのだ。

 はぐらかすように大貴はそう答えたが、庄領は何も追及してこなかった。

 ところが、リアシートの上で躰をよじるようにして座り直した庄領は、大貴の額にすっと指先を伸ばした。

「うぎゃっ! ……いってぇな! 触んなよ!」

 とっさに額をかばうように両手で押さえた大貴は、思わず庄領の顔を睨んでいた。

「さっきから気になっていたんだが、そこ、腫れてるんじゃないのか?」

「かっ、壁にぶつけたんだよ。大した事はないけど」

 嘘を上塗りすると、何故か罪悪感が生まれた。

 だが、遼真にキスをされて、頭突きをして逃げてきたとは、さすがに言えない。

「酔っ払っていたのか? 痛むなら、冷やしておいた方がいいぞ」

 くすりと笑った庄領は、二人の間のセンターコンソールを開けると、中のクーリングボックスから冷えたおしぼりを取り出した。

 好奇心に駆られて、大貴はその手元をのぞき込んむ。

 クーリングボックスには、シャンパンのボトルが冷やされていた。

「──おお、すげえ!」

 純粋に感動し、大貴が声を上げると、庄領は苦笑しながら、ビニールに包まれたおしぼりを手渡した。

「仕事用の車だ。少々これ見よがしなのは勘弁してくれ。
 取引先を同乗させる時には、これでも役に立っているからな」

 何故、庄領が謝っているのか理解できず、大貴はきょとんとしてしまった。

「これが呑みたいなら、開けてやろうか?」

 庄領がシャンパンのボトルを引き出すのを見て、大貴は慌てて断った。

「いや、いい。さすがに今夜は飲み過ぎちゃってるからさ」

 冷えたおしぼりを額に当てながら、大貴は車内を改めて観察してみた。

 前席の後部には液晶モニターが埋め込まれており、座席はフットレストまで備わったフルフラットタイプ──一度も乗ったことは無いが、本当に飛行機のファーストクラスのような豪華さだった。

 シートを倒して足を伸ばしても、まだスペースに余裕があるのだ。

 最初の緊張がほぐれてくると、ほとんど揺れの無い快適な乗り心地であるのも手伝って、だんだん眠くなってきた。

 真夜中であるにも関わらず、電話の応対をしている庄領の低い話し声が、子守歌代わりになっている。

 緊張をもたらす相手であるにも関わらず、何故か深い安心感をも呼び起こすのだ。

(……不思議な男だよな)

 ひんやりとしたおしぼりが、ジンジンと疼く額の痛みを鎮めていくのを感じながら、大貴はそのまま眠りに落ちていた。