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今夜、あなたの猫になる



<23>



 こんな屈辱を感じるくらいなら、まだ暑苦しい着ぐるみを着ている方がマシだと思う。

 幼い頃からスイミングスクールに通い、中学・高校時代と水泳部に属していたが、まさか自分の水着姿に、男の性的な視線が向けられるとは思いもしなかった。

 日常的に水着を着用し、それが当たり前の環境で育ったせいか、こうして観賞用として人目にさらされると、他人の視線に強烈な違和感と羞恥を感じてしまう。

 自分自身は、体格や筋肉の付き方に興味があって、男子の水着姿を眺めることはあっても、基本的には女子の水着姿の方に興味があった。

 しかし結局、自分のタイムを縮めることが一番の目標だったため、周りにほとんど注意を払っていなかったのだ。

 プールで時々おかしな視線を感じることはあっても、「まあ、減るもんじゃないし」と気に留めていなかった。

 体型にはそこそこ自信があったし、女子に騒がれるなら、むしろ男として本望などと、これまでは思っていたのだが──。

 これほどあからさまに、しかも同性から欲望にまみれた視線を浴びせられると、水泳は健全なスポーツだと、開き直ることすらできなくなる。

 庄領と躰を繋げてしまったせいか、うつ伏せになっていると、そこらを舐められたことを思い出してしまった。

 伸縮性のある薄い水着で隠されているはずなのに、そこに視線が突き刺さってくるように感じて、にわかにムズムズし始める。

 まさかと思って振り返ると、那波が真後ろからカメラを構えていた。

(ちくしょう……あの変態野郎)

 後ろを隠すために、仰向けになろうかと考えたが、ぴったりした競パンでは、男のシンボルがくっきり浮き上がってしまう。

 その部分を写真に撮られるのも恥ずかしいし、猫顔のマスクで隠されているとはいえ、顔を写されてはたまらなかった。

 だから結局、ずっとうつ伏せでいるしかない。

 こうなってくると、庄領の方がずっと紳士的だったのではないかとさえ思えてきた。

 食事に行った時はいろいろ気を遣ってくれたし、何だかんだ言いつつ、彼は優しかった。

 だが、この陰気で粘着質な那波と食事に行ったらどうなるか──。

 倶楽部『ファロス』の『猫』が長続きしない原因を、大貴は改めて悟った。




 時間よ止まれ──そんな呪文を口にしてみても、時は無情に流れてゆく。

 週末最後の講義を終えた大貴は、何度となく溜息をついた。

 庄領と約束した時間がどんどん近づいてくる。

 それを考えるたびに、心臓がドキドキして、落ち着かなくなった。

 二人で会うことが、心底嫌というわけではない。

 だが、そう感じている自分自身が情けないというか、恥ずかしいというか──。

(どたキャンして、このまま逃げてやろうか……)

 逃亡の誘惑が繰り返し頭をよぎったが、そちらに傾きかける大貴の心を見通してか、庄領は前もって釘を刺してきた。

「明日の約束を忘れるなよ、大貴」

 恥ずかしい水着姿を『ファロス』で披露して、精神的に疲労困憊し、よれよれになってアパートに帰宅した。

 すると、帰ったところを狙い澄ましたように、庄領から電話がかかってきたのだった。

「……や、約束?」

 わざとしらばっくれると、電話口で庄領は物憂げに溜息をついた。

「私との約束をすっぽかしたら許さない。
 その時は、力ずくで君を攫いに行く。
 それとも……そうして欲しいか?」

 物静かな声のトーンが、だんだん低くなり、最後の言葉は恫喝のように響いた。

「あ、ああ……はいはい。あの約束ね。忘れていませんから、大丈夫ですよ」

 今思い出したという風にごまかすと、大貴の狼狽を見透かしているかのように、庄領はくすりと笑う。

 最後に「おやすみ」と囁かれた時、背筋にぞくりと戦慄が走った。

 やはり彼の声には、不可解な魔力があるようだった。

 最後の最後まで教室に残っていた大貴は、他の学生がいなくなってから、ようやく重い腰を上げた。

「とりあえず……帰るか……」

 約束の時間までには、まだ随分暇がある。

 アパートに帰って、アンズの世話をして、それから──。

(そういや、俺、何着てきゃいいんだ?)

 前回はゲームの一環であったから、嶺村がスーツを準備してくれたが、今回は個人的な約束だから自前の服で行かなければならない。

 とは言え、庄領との約束の件を話した時、それを聞いた嶺村は、妙に嬉しそうに、快く三日間もの有給休暇をくれたのだが──。

「まあ……何でもいいか」

 会うと約束したものの、前回のようにめかし込んでいくのは気恥ずかしい。

 期待していると思われるのも、何やらムカつくのだ。

 ところが講堂を出ようとしたところで、大貴は、玄関口で待ちかまえている遼真の姿に気づいた。

 険しい顔をした遼真の額には、自分と同じようなあざが浮かび上がっている。

 やはり、頭突きは結構なダメージを与えていたらしい。

「おい、大貴。ちょっと顔かせ」

 尊大にも思える態度で、遼真が顎をしゃくると、大貴はむっとして顔をしかめた。

「何だよ、酔っ払い」

 遼真のあのキスは、泥酔していたせいにして、無かった事にしようと思っていたのだ。

 もしかしたら遼真も、忘れてしまっているかもしれない。

 だから、あえて「酔っ払い」と呼びかけたのだが、遼真はにこりともしなかった。

 先に歩き出した遼真の後を、大貴は仕方なくついていく事にした。

 さすがに大学の構内では、バカな真似はしないだろう。

 ところが、連れて行かれた先は、人気の無い講堂の裏手だった。

 一昔前のドラマのようだと、皮肉っぽく思いながら、大貴は友人に呼びかけた。

「おい、遼真──どこまで行くつもりだよ?」

 すると、くるりと振り向いた遼真は、両腕を組んで睨みつけてきた。

「大貴……お前、誰と付き合ってんだよ?」

 出し抜けにそう問われ、大貴は「はぁ?」と聞き返していた。

「合コンの夜、お前、誰かの車に乗ってっただろ。あれは誰だって聞いてんだ」

 遼真の顔がますます厳めしくなり、目つきも悪くなる。

 大貴が抱いていた期待を、遼真は嵐のように蹴散らすつもりらしかった。

(これって……もしかして、修羅場ですか?)

 どうやら遼真は、庄領の車に乗り込んだ大貴の姿を目撃していたらしい。

 この表情から察するに、かなり怒っているようだった。

(……こういうのは、ちょっと苦手なんですけど)

 男女の仲だろうが、男同士だろうが、ドロドロした痴情のもつれみたいなのは、性に合わないのだ。

 誰かに執着するのは苦手だし、べったりと執着されるのはもっと嫌いだった。

 だが、頭の中の思考が、ふざけ半分になってしまうのは、思いがけない展開に動揺しているせいだった。

「あのさ……あれは、ただの知り合い。
 終電に乗り遅れた俺を、偶然見つけて、拾ってくれただけ。
 もとはと言えば、お前のせいで乗り損ねたんだ。
 文句言われる筋合いはねーよ」

「──偶然って、都合良すぎねーか?
 もしかして、お前、ウリでもやってんじゃねーのかよ?
 どう見てもあの車、成金っぽいじゃねーか」

 頭に血が上っている遼真を相手に、できるだけ冷静でいようと思っていたが、それを聞いた瞬間、大貴は爆発していた。

「いい加減にしろ、バカ! 誰がウリだ!!
 てめーは俺の事、そんな風に見てたのかよ?」

 大貴の剣幕に、さすがの遼真もたじろいだ。

 とっさに二の句が継げないでいる遼真を睨みつけ、大貴は鼻息荒く背中を向けた。

 立ち尽くす遼真を置いて、さっさとその場を後にする。

 バカにつける薬は無い──つくづく、そう思った。



 ところが、念じ続けた呪文がおかしな形で効力を発揮したのか、悪い事が続いた。

 早く帰ろうとする大貴の足止めをするように、思いがけない人物が突然現れたのだ。

 今現在、世界中で一番顔を合わせたくない人間──それが、大貴の元彼女、手塚優衣だった。

(……今日は、もしかして厄日なのか?)

 アパートの前で大貴の帰りを待っている彼女の姿を見た時、見つからないうちに逃げてしまおうと、本気で思った。

 元カノとの再会はトラウマを刺激し、気が滅入りそうになる。

 ところが、優衣は目敏く大貴を見つけ、躊躇いがちに微笑んだ。

「──大ちゃん、久しぶり。ちょっといいかな?」

 OL姿も板に付いてきた優衣は、以前よりもずっと大人びていて、綺麗になっていた。

「……何の用だよ?」

 別れた彼女だからこそ、大人の対応をしなければいけないと思う。

 みっともない真似は絶対に見せられない。

 男としてのプライドが大貴を諫めたが、答える言葉はつっけんどんになっていた。

 彼女を見返す顔も、神経質にひきつってしまう。

「……ここじゃちょっと。話したい事あるから、そこまで付き合ってくれる?」

 優衣に連れて行かれたのは、駅前近くのコーヒーショップだった。

 世界規模で展開するチェーン店であるため、味はどこも同じだが、地下に広めの客席があるため、長居するには丁度良い。

 しかし大貴は、長時間居座る気など全く無かった。

 できることなら五分以内に話を終わらせて、さっさと家に帰りたかった。