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今夜、あなたの猫になる



<24>



「──で、話って何?」

 クラッシュアイスが浮いたアイスコーヒーをストローで掻き混ぜていた優衣は、不機嫌な大貴の顔を上目遣いで見上げると、小さな溜息をついた。

「久しぶりに会ったんだから、もうちょっと嬉しそうな顔できないわけ?」

「俺にも都合があって、特に今日は忙しいんだ。
 話があるなら、早く終わらせてくれないか?」

 大貴が素っ気なく突き放すと、優衣は一瞬顔を強張らせた。

 しかし表面上は平静を取り繕い、バッグの中からスマートフォンを引き出した。

「あたしの友達が、先週大ちゃんを見たって、写メ送ってきたの。これ……大ちゃんよね?」

 指先で写真を拡大した優衣は、怪訝な顔をする大貴の前にスマートフォンを押し出した。

 そこには、庄領と並んでバーのスツールに座っている大貴の姿が写っていた。

 次の写真では、ぐったりと庄領の肩にもたれかかっている姿が、さらにその次には、お姫様だっこをされて運ばれてゆく姿が写っている。

(──これって、あの時の……!?)

 先週、庄領と共に訪れたホテルのバーに間違いない。

 女性グループが多い店だったから、そこに優衣の友人がいてもおかしくはなかった。

 そもそも、あのバーに行きたいと言っていたのは、目の前にいる優衣なのだ。

 しばらく呆気に取られていた大貴だったが、理屈が通ると、だんだん冷静になってきた。

「それで……俺だったら、何なの?」

 冷ややかな言葉を返すと、優衣はぐっと言葉に詰まったが、すぐに淡々とした声で訊ねた。

「この人、大ちゃんと、どういう関係?」

「──優衣には関係ねーだろ」

 ばっさりと切り捨てると、優衣は逡巡するように瞳を揺らした。

「この人、ホモなんじゃないかって、友達が心配してたの。
 この後、ホテルに大ちゃんを連れて行ったって。
 もしかしたら、あたしと別れたから、大ちゃんが男に走ったんじゃないかって、言われたわ」

 その友達、かなり余計なお世話である。

 苛立ちの上に腹立ちが重なり、大貴の声はさらに刺々しくなった。

「仮にそうだとしても、どうでもいいだろ?
 俺が誰と付き合おうと、優衣にはもう関係無い。
 だいたい、他に好きな男がいるって言ったの、お前じゃねーか。
 今さら俺に何の用だよ?」

「あたし、大ちゃんの事、今でも心配してるのよ。
 それに……あたしはあの時、大ちゃんに止めて欲しかった!」

 突然、優衣が悲鳴のような声を上げ、大貴は椅子の上で仰け反りそうになった。

「大ちゃんはいつも、あたしの事考えてくれなかったでしょ?
 そりゃあ、付き合おうって言ったのはあたしだけど、その後、いつだって大ちゃんは受け身ばっかで、自分から何かを決めてくれた事、一度も無かったじゃない!」

 ヒステリックな優衣の言葉を、ぽかんと聞いていた大貴は、内心で首をひねった。

 何故、ここで自分が責められなければならないのだろう?

(……っていうか、あそこまで言われて、引き止める男がいるのか、普通?)

 頼りないとか、エッチで感じられないとか、男としてのプライドが粉々になるような事を散々言われたのだ。

 それなのに、ここにきて「止めて欲しかった」と言うのでは、全く意味が通じない。

「いい加減にしろよ。話って、そんな事か?」

 話の飛躍についてゆけず、大貴がうんざりした声を上げると、涙を浮かべていた優衣が、きっと睨みつけてきた。

「ほら、いつもそうじゃない! 人の気持ちなんて全然考えてない。
 自分の事ばっかりで、あたしの事、判ろうともしなかったでしょ?」

「自分勝手はお前だろ! 勝手に押しかけてきて、訳の判らない事ばっかり……」

 売り言葉に買い言葉で、つい声が大きくなると、周囲にいた客が白い目を向けてくる。

 思わず天井を仰いでいた大貴は、人目を憚らずにシクシク泣き始めた優衣を、仕方なくなだめ始めた。



「──あーあ。今日はもう、最悪」

 泣きじゃくる元カノを駅まで送り、肩を落として帰り道を歩いていた大貴は、薄暗くなった空を仰いで溜息をついた。

 結局、優衣の用件が何だったのか、判らないままなのだ。

 元カレが、男と付き合いだしたのかどうか確かめるべく、わざわざ自分から会いに来たということなのだろうか?

 そんな事を認めるわけはないし、認めたところで、「だから、どうなの?」と思うし、そこから何故別れ話にまで話が遡るかが、さっぱり判らない。

 優衣のあの口調からすると、「引き止めなかったお前が悪い」ということなのだろうか?

 そうなると、「本当は別れたくなかった」という意思表示にも取れるのだが──。

「……判らん。意味不明。女は謎だ」

 独りごちた大貴は、時計で時刻を確認すると、慌てて帰路を急いだ。

 やっとアパートに戻った大貴は、玄関ドアを開けてほっとした。

 予定ではもっと早く帰れるはずだったのに、今日はとんだ回り道をしてしまった。

「──アンズ、ただいま」

 早く出かける準備をしなければ、庄領と約束した時間に遅れてしまう。

 焦りを感じながら、いつものように声をかけたが、愛猫は今日もまた大貴の出迎えに出てこなかった。

「……あれ? おかしいな」

 急いで靴を脱いだ大貴は、部屋の窓に隙間ができていることに気づいた瞬間、顔を青ざめさせた。

 ベランダに面した窓の網戸が、わずかにずれてしまっている。

 スリムな猫がすり抜けるには十分の隙間だった。

「……やばい。嘘だろ?」

 アンズが出ていったのではないかと思い、大貴は慌ててベランダに飛び出した。

 だが、そこに愛猫の姿は無く、部屋中を探し回っても、どこにも見当たらない。

 パニック寸前に陥りながら、大貴は必死でアンズの行方を探した。

 厄日だと思っていたが、これが極めつけのようにも感じる。

 ベッドの下や、戸棚の中、冷蔵庫の裏側まで探してみても、アンズは出てこなかった。

 いつもなら、名前を呼べばすぐに顔を出すのだから、間違いなく異常事態だった。

 頭が真っ白になり、大貴は鍵も掛けずに部屋を飛び出した。

「──アンズ! アンズー!」

 アパートの周囲を探し回り、大貴は何度も愛猫の名前を呼んだ。

 大貴の飼い猫になってから、アンズは一度も家の外に出たことがない。

 もし、道に迷ってどこかに行ってしまったら、誰かにさらわれたら、車に轢かれたら──。

 不吉な考えが次々と頭を巡ると、心臓が壊れそうなほど早鐘を打つ。

 だが、気がつけば空は真っ暗になり、目を凝らしても何も見えなくなっていた。

 手がかりが何も見つからず、不安と焦燥に駆られた大貴は、今にも泣き出しそうになるほど精神的に追いつめられていた。

 その時、ズボンのポケットに突っ込んでいた携帯電話から、場違いなほど明るい着メロが響いた。

 イライラしながら電話を見ると、庄領の名前が表示されている。

 それを見た途端、頭がフリーズする。

 とっさに、大貴は通信を切った。

(……しまった。時間が──)

 時刻を確認すると、とっくに約束の時間が過ぎていたことを知り、大貴は愕然とした。

 だが、部屋から逃げたアンズをそのままにして、出かけることなどできない。

(とにかく……アンズを探さなきゃ……)

 電話のおかげで、少し平静を取り戻した大貴は、暗がりを照らす懐中電灯を取りに、一度部屋に戻ることにした。

 しかし、それから一時間以上経っても、アンズは見つからなかった。

 足を伸ばして町内を探し回った大貴は、完全に打ちひしがれて、アパートへ続く道をとぼとぼと歩いていた。

(警察と……保健所にも電話しなきゃ……)

 じわりと涙が浮かび上がり、一雫が頬を伝い落ちる。

 今まで、何があっても泣かなかったというのに、猫一匹の事で、これほど動揺してしまうとは思わなかった。

(めそめそするな。まだ、死んだわけじゃない)

 自分自身を叱咤し、拳で涙をぬぐった大貴は、気を取り直そうと深呼吸した。

 ところが曲がり角を曲がった時、アパートの前に巨大な外車が停まっていることに気づき、大貴はぎくりとした。

 ふと見れば、何故か自分の部屋の窓が明るく輝いている。

 消したはずの電灯が灯っていることに気づき、大貴はぎょっとした。

「──まさか、あいつ……ッ」

 昨夜の電話を思い出し、大貴は硬直した。

『私との約束をすっぽかしたら許さない。その時は、力ずくで君を攫いに行く』

──と、確か、そのような事を庄領は言っていた。

 慌てて自室に駆け戻った大貴は、鍵を掛け忘れていた玄関のドアを開け放った。

「……や、やっぱり……?」

 そして、図々しくも、勝手に部屋の中に上がり込んでいる庄領の姿を見つめ、大貴は真っ青になった。

 振り返った庄領は、血相を変えて飛び込んできた大貴の顔を見つめ、ひどく冷ややかな声で告げた。

「玄関に鍵が掛かっていなかったぞ。
 いくら男の一人暮らしとは言え、不用心だとは思わないのか?」

 だからと言って、家主の許可なく上がり込むのは、立派な不法侵入ではないだろうか。

 一瞬、そんな思考が頭をかすめたが、冷たく不機嫌な庄領の顔を見てしまうと、いつもの軽口さえ叩けなくなった。

 大貴が立ち尽くしていると、庄領は、まるで獲物に襲いかかる猛獣のように、静かな足取りで近づいてきた。

 目の前に立たれると、玄関の段差もあるため、押し潰されそうな迫力がある。

 思わず後退りそうになった時、一瞬で顎をつかまれ、ぐいと顔を仰のかされた。

 いつも濡れたような輝きを帯びた黒瞳が、硬く冷ややかな光を放って見下ろしている。

「大貴──何故、私から逃げる?」

 厳しい声音でそう問われた途端、全身に震えが走った。

「……アンズが……逃げたんだ」

 ぽつりと呟いた途端、張りつめていた糸が切れたように、急に目頭が熱くなった。

「家に帰ってきたら、窓が開いてて……アンズがいなくなってた。
 ずっと探してるけど、見つからないんだ。
 別に、本気で約束をすっぽかそうと思ってたわけじゃない。
 だけど俺は、アンズを探さなきゃ……」

 滲み出した涙が、左右の眦からこぼれ落ちると、庄領は一瞬苦しむようにきつく眉根を寄せたが、そのまま身を屈めて、大貴の唇にキスを落とした。

「まったく……私は、お前に甘すぎるようだ」

 自嘲するような苦笑を浮かべて呟いた庄領は、ぽかんと突っ立っている大貴の手から懐中電灯を取り上げ、ベランダへと向かった。