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今夜、あなたの猫になる



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 21歳という若さで、自分はED──つまり勃起不全に陥っているのか?

 嶺村や遼真は、軽いノリで『女子アレルギー』とからかってくれるが、男としての悩みはかなり深刻だった。

 何しろ、手軽な自慰に欠かせないエロティックな妄想でさえ、アレルギーが出るのだ。

 エロ本やアダルト動画は言うまでもなく、以前から好きだった女性アイドルの顔を見ただけで鼻水が垂れてくる。

 一度、アレルギー症状を我慢しながら事に及んだことがあったが、その時は呼吸が苦しく、吐き気もし始めて、快感どころではなく、苦しすぎて萎えてしまった。

 嶺村から、「お試し用に」と渡された男性同士のAVを観たりもしたが、結局、男の野太い喘ぎ声にうんざりしてしまい、ちっともエロい気分になれなかったのだ。

 この厄介極まりないアレルギーの原因が、失恋のトラウマというのも憂鬱だった。


「ごめんね、大ちゃん──他に好きな人がいるの」

 別れの言葉は、あまりにも突然だった。

 一足早く社会人になった優衣とは、しばらく擦れ違いの生活が続いていたが、それでも毎晩のように電話で話していたし、彼女が変わったようには感じられなかった。

 会社での苦労話や、上司や同僚の愚痴を聞きながら、事情が判らないなりに励ましたり、慰めたりしていたのだ。

 それなのに、彼女は──。

「大ちゃんじゃ、もう頼りなくてダメなの。
 エッチしても、何も感じなくなったし。
 それに……大ちゃんだって、相手があたしじゃなくても良かったんでしょう?」

 優衣の言葉を思い出した瞬間、急に胸が締め付けられたように苦しくなった。

 すると、大貴の異常を察したように、アンズが心配そうな顔で見上げてくる。

「大丈夫……俺は、アンズがいてくれればいいよ」

 澄んだオレンジ色の瞳を見下ろし、大貴は自嘲的な笑みを浮かべた。

 そんな大貴を励ますように身をすり寄せながら、アンズが優しくニャアと鳴いた。



「……こんなゲームに参加して、どうしようっていうんだ、『千晴サマ』は?」

 他に誰もいないガラスの檻で独り言を呟き、大貴はベッドの上で寝返りを打った。

『七日間の求愛』という、かなり恥ずかしい名称のゲームが始まってから、今夜で五日目。

 最初の三日間は、恥をかかされた腹いせに、クラブハウス内の一番高い食事や酒をリクエストしてやった。

 だが、リッチな「千晴様」にとって、その程度はダメージにはならないらしい。

 むしろ喜ばせているだけだと知って、大貴は徹底的に無視する作戦に切り替えた。

 かつての『猫』の中には、高級時計や車をリクエストする強者もいたらしいのだが、自分にそこまでの価値を見いだせず、そんなものをねだると後で気が重くなりそうな気がして、大貴は無関心を装うことに決めた。

 もしかすると、それが一番、「千晴様」のプライドを傷つけるのではないかと思った。

 そして、五日目の今夜──なかなか姿を現さない庄領千晴が気になり、そんな自分に苛立っていた大貴のもとへ、大きなバラの花束と、箱に入ったプレゼントが届けられた。

「今夜はちょっと遅くなるらしいよ。その埋め合わせに……だって」

 花瓶に生けた深紅のバラを、サイドテーブルにわざわざ置きに来た嶺村が、にやにや笑いながら言った。

(赤いバラって……俺、いらねぇんだけど……)

 男から花束を貰って喜ぶような感性を、自分は持ち合わせていない。

 あまりにも陳腐でベタなプレゼントにどん引きした大貴は、溜息をつきながら、綺麗にラッピングされた包装紙を破り始めた。

 包装紙の下から現れたのは、小型サイズの白い段ボール箱だった。

 ベッドの上に胡座をかいた大貴は、首を傾げながらテープを剥がした。

 プレゼントを届けに来た嶺村もまた、興味津々といった面持ちで、大貴の手元をのぞき込んでいる。

「──……」

 蓋を開けた途端、大貴はしばし茫然とした。

 だが、視覚をダイレクトに刺激する表紙に躰が反応し、鼻がムズムズし始める。

 段ボール箱一杯の、魅惑的なヌード写真集詰め合わせ──こんな物をプレゼントしてくる贈り主の気が知れない。

 だが、さすがは嶺村の友人だと、大貴は頭の隅で妙に感心してしまった。

(あいつは……頭がイカレてんのか?)

 盛大なくしゃみを連発する大貴の横で、嶺村が面白がるように、裸の美女たちが微笑んでいる写真集を一冊ずつベッドに広げた。

「おやおや……大ちゃん、ほら、カードが入ってるよ」

「いらないです! 全部捨ててください!」

「じゃあ、読んじゃおーっと。
 なになに……『暇つぶしにどうぞ』……だってさ。
 でも、これじゃあ、大ちゃん大変だよねえ」

 ベッドの下に隠してあったティッシュペーパーで鼻水を押さえつつ、大貴は、暢気な声で笑う嶺村を睨みつけた。

「慎一さん。俺のこと、あの人にどこまで喋ってるんですか?」

 大貴の「女子アレルギー」を知っていて、これらのヌード写真集を贈ってきたのなら、相当な悪意を感じる。

 だが嶺村は片手を振って、大貴の邪推を否定した。

「君も知っている通り、『猫』の素性は秘密だよ。
 大ちゃんの事も、僕は何も喋っていない。
『女子アレルギー』に関しては、前もって伝えておいた方が良かったかもしれないけどね」

「じゃあ、あの人は、何も知らずにこれを贈ってきたってことですか?」

 それはそれで、どういう思考回路をしているんだと疑いたくもなる。

(まさか……『猫』が俺だって、すでにバレてるとか?)

 不意に新たな疑惑が湧き上がり、大貴は仮面の下で顔をしかめた。

 痴漢行為を働く欲求不満気味の青少年には、実用的でぴったりのプレゼントだと、「千晴様」は考えて下さったのだろうか?

(確かに、もうちょっと前だったら……素直に喜んでたかも……)

 お手軽なエロ本と違い、観賞用のヌード写真集は意外に高かったりするのだ。

 アレルギーが発症する以前の自分なら──柔らかそうな胸元に顔を埋めたいとか、あれこれと妄想していたに違いない。

 それが年頃の、健康的な男子というものだ。

「とりあえず、これは片付けておくよ。
 大ちゃんもいらないだろうし、僕たちにとっても不要の品だからね」

 ベッドの上に並べた写真集を、元通り段ボールに仕舞い込んだ嶺村は、ようやくくしゃみが治まった大貴の肩を叩いた。

「口直しに、何か持ってきてあげる。何が飲みたい?」

「……一番高いシャンパンを、ボトルで」

 貧乏学生の大貴に、シャンパンの違いなど判るはずはない。

 だが、ここまでコケにされると無視することはできず、また嫌がらせをしたくなった。

 その言葉を聞いた嶺村はくすくすと笑い出し、ふて腐れている大貴の頭を撫でた。

「酔っ払うなよ、大ちゃん」

 衆愚を許す慈悲深い微笑みを浮かべた嶺村を睨んだ大貴は、ふと閃きを感じて、仮面の下で眉をひそめた。

「慎一さん。『猫』が『求愛者』と話したいっていうリクエストも、ありですか?」

「千晴と話したいの?」

「話したいって言うより、一発殴りたいっていう方が正直なとこですけど……」

 それを聞いた嶺村は声を立てて笑い、鷹揚にうなずいて見せた。

「千晴が殴られるっていうのも楽しいけど、暴力は禁止──話すだけならいいよ。
 ただし、顔の仮面は絶対に外さないようにね。
 顔を見られたら、その時点でゲームオーバーだ。
 君も『猫』を辞めなければならない。
 それでも良ければ会わせてあげる……30分だけね」



 今、自分が飲んでいるシャンパンが、いったいどのくらい高価な代物なのか、大貴は全く知らなかった。

 だが、合コンや学生同士の飲み会で飲んでいた安物とは明らかに違う──そのくらいは、さすがに判った。

 傍に付き添っていたボーイが、最後の一杯をグラスに注いでくれる。

 ベッドに仰向けになっていた大貴は、瞼を閉ざし、心地良い酔いが回るのを感じていた。

 今日は黒猫の仮面。

 黒革のベストに同素材の短パンという、ロックテイストな衣裳だった。

 装飾のチェーンがさらにハード感を演出し、ローライズなパンツであるため、鍛えた腹筋が剥き出しになっている。

(……SMの女王様って感じじゃねえ?)

 高いピンヒールのブーツでも履けば、もっとそれらしく見えるだろうか。

 投げ出していた片膝を立てた大貴は、子供っぽい想像をしてくすくす笑った。

(千晴サマを足蹴にしてやったら、気持ちいいだろうなあ)

 あの美しくも尊大な男を跪かせ、屈辱に歪む顔を見ることができたなら、不愉快な気分も少しは晴れるだろうか──?

 笑いが止められないまま、サイドテーブルのグラスに手を伸ばした大貴は、視線を感じて顔を上げた。

 いつの間に現れたのか、深く冴々とした黒瞳で、庄領がガラス越しに見下ろしている。

 さも美味そうにグラスをあおった大貴は、中身を半分ほど残したところでベッドを降り、黒い影のように立ちはだかる庄領の前に近づいた。

 刹那的に湧き上がる凶暴な感情──今なら、恐いものなど何一つなかった。

 仮面の下にのぞく唇をつり上げた大貴は、にっこりと笑いかけながら、首を傾げた。

 誘いかけるように人差し指を振ると、訝しげに眉をひそめた庄領が、ガラスの近くまで歩み寄る。

 ひんやりとしたガラスに躰を押しつけた大貴は、声が聞こえない事を承知の上で、男に囁きかけた。

「なあ……もっと、こっちに来いよ」

 唇を舐め、媚態を含んだ声で誘惑する。

 吐息を吹きかけると、互いを遮るガラスが、一瞬白く曇った。

 あからさまな誘いに惹かれたかのように、ガラスに手を突いた庄領がわずかに身を屈めた瞬間、大貴はすかさず背後に飛び退いた。

 グラスに残ったシャンパンを、庄領の美貌に目がけてぶっかけると、胸がすくような気分になる。

「──バーカ」

 中指を立てた拳を男の眼前に突きつけた大貴は、その指先で下瞼を引く真似をし、挑発するように舌を出して見せた。

 実際は、ガラスの壁に遮られ、シャンパンは庄領に届かなかったが、男の驚愕したような表情を見られただけでも満足だった。