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春耀幻花


<14>



「自分の家だと思って、ここはお前の好きに使うといい。
 食事は母屋から運ばせるが、台所も使えるようになっているから、作りたければ料理もできる。
 もう仲良くなったようだが、咲耶がお前の世話をするだろう。
 判らないことがあれば、あれに聞けば教えてくれる」

 多分、八尋が望めば、鷹巳はいろんな物を与えてくれるだろうが、咲耶のように共に過ごしてはくれないのだろう。

 鷹巳との間にテーブルが横たわっているように、二人の心には距離がある。

 それが何となく寂しく感じられた。

「それから、学校への編入だが、ちょうど夏休みが終わった後の二学期からになる。
 話ができない上、学力の差がありすぎるから、おまえだけ特別カリキュラムになるが、高校一年生に入れることになった。
 周りは中等部上がりの子供ばかりになるが、我慢しなさい。
 嫌になったら、いつ止めてもいい」

 沈みかかっていた心がぽっと明るくなる。

 テーブルに置かれてあったメモ用紙とボールペンで、八尋はできるだけ急いで、自分の意思を伝えた。

『ぼく、平気です。みんなと仲良くなれるように、がんばるから』

「外では『ぼく』ではなく『わたし』だ。
 戸籍上は確かに男だが、私の婚約者である以上、おまえは女子として編入することになる。
 十分に配慮はさせるつもりだが、女として振る舞うことを忘れるな。
 送り迎えはつけるが、くれぐれも無茶な真似はしないように。
 友人を作るのはおまえの自由だが、必要以上に深入りはするな。
 不審に思われれば、悪い噂が立ちかねない」

 一瞬ぽかんとして鷹巳の顔を見返した八尋は、首を傾げる。

(あれ、もしかして、ぼく、女の子になるの?)

 女物の着物を着させられているが、心の中ではずっと男だと思ってきた。

 鷹巳の婚約者として……女の子として振る舞えと言われても、学校までとは思っていなかったから、どうすれば良いのか判らない。

 困惑が顔に出てしまったのか、八尋を眺めていた鷹巳の口元にちらりと微笑がよぎった。

「おまの通う学校は、幼稚舎から大学までエスカレーター式に上がれる共学だ。
 授業料免除の特待生やスポーツ入学、金とコネの裏口入学まで何でもありだが、いろいろ緩い分、おまえのような特別編入も受け入れてくれる。
 問題児も多いが、関わらなければ大丈夫だろう。
 ちなみに、女子の制服は可愛いと、都内でも人気だそうだ」

 八尋の記憶にある高校生は、男子は黒い詰襟の学生服、女子は紺色のセーラー服だった。

 当然、想像上の自分も学ラン姿だったし、長く伸びた髪だって短くしなければいけないと思っていた。

 それなのに、女子の制服なんて、想像もできない。

(……どうしよう)

 羞恥と不安が胸に広がりもじもじしてしまうと、八尋の当惑を見透かしたように鷹巳は蒼瞳を細める。

「嫌なら、この話は無しにしてもいい。
 わざわざ学校に行かなくとも、家庭教師をつければ勉強は何とでもなる。
 おまえの気持ち次第だ」

 学校に行きたいと、八尋は鷹巳に訴えた。そして、鷹巳は、すぐにその願いを叶えてくれた。

 想像していた学校生活とはちょっと違うような気もするが、この機会を逃せば、もう二度と学校には行けないかもしれない。

(でも、嫌じゃないけど……本当に、どうしよう……)

 かりそめであれ鷹巳の婚約者になると決めたのだから、スカートぐらいで迷っていてはいけないのだろうが、着なれた着物と違って、とにかく気恥ずかしい。

 慣れたら、普通に外を歩けるようになるだろうか?

 学校への興味と、スカートをはくことの恥ずかしさを天秤にかけて、八尋の気持ちはぐらぐらと揺れる。

 すると、迷い続けている八尋を急かすこともなく、鷹巳は携えてきたケースから薄型のタブレットを取り出し、テーブルの上に置いた。

「明日から、筆談の代わりにこれを使いなさい。
 いちいち書いていては会話に乗り遅れるだろうし、少しは役に立つだろう。
 おまえが使いやすいように設定してある」

 新品のタブレットを見つめて目を丸くする八尋の前で、鷹巳は手を伸ばして起動させ、モニター上のキーボードに文字を打ち込んで見せる。

【こんにちは。私の名前は八尋です】

 エンターキーを押すと、突然タブレットから、ややぎくしゃくとした高い声が流れ出てきた。

 入力した言葉がそのまま発声に変わるアプリケーションなのだという。

「使い慣れてくれば、紙に書くよりも便利だろう。
 障害支援用だから、学校でも問題なく使える。
 テストの時はさすがに使えないだろうが」

 鷹巳の説明に目を輝かせた八尋は、タブレットを手に取り、自分の指でひらがなを打ち込んでみた。

【ありがとうございます】

 機械的で、オウムの鳴き声のような変な声だが、ちゃんと声が出たことに八尋は感動した。

 これで、人と話せる。このタブレットは、喋れない八尋の新しい喉になったのだ。

 嬉しくて、もう一度入力する。

【おうみ、ありがとう】

 奇妙な発声で名前を呼ばれて、鷹巳は苦笑した。

「礼を言われるほどの事ではない。必要だと思ったから、用意させただけだ」

 ほんの少し照れているような表情が目元に過ったのを見て、八尋は息を止めた。

 胸の奥がきゅっと疼いて、息苦しくなる。

 お互いの視線が合うと、八尋はますます胸を締め付けられるような緊張を味わったが、鷹巳は何も感じていないのかすっと立ち上がった。

「二学期が始まるまでにはまだ時間がある。
 それまでに教えておかねばならないことが沢山あるが、まずは、おまえの立場を、しっかり自覚してもらおうか」

 このまま帰ってしまうのかと不安になり、スーツの越しにも判る逞しい背中を目で追っていると、肩越しに振り返った鷹巳がひどく艶のある眼差しを向けてきた。

「私は風呂に入ってくる。すぐに行くから、おまえは寝室に戻っていろ」

 ドクンと、心臓が大きく拍動する。

 昨夜は口づけを交わして、優しく抱きしめてもらった。今宵もまた、同じようになるのだろうか?

 違う……と、躰の奥で本能がささやき、背筋がぞくりと粟立つ。

 いつも冷徹な鷹巳の双眸は、底光りするように欲情が揺らぎ、獲物を狙う雄の眼になっている。

 清純なままではいられなかった八尋の躰は、立ちのぼる男の欲望を敏感に嗅ぎとり、淫靡な予感におののいた。



 しんと静まり返った水琴亭の中で、心臓の音だけがドキドキと大きく騒ぐ。

 うるさいほど高鳴る胸を掌で叩いた八尋は、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。

 鷹巳は、本当に自分を抱く気だろうか? もしかしたら、ただの思い違いかもしれない。

 逃げ出したくなるような緊張の中で何度となく立ち上がりかけ、自身を戒めながら褥の傍で正座を保っていた八尋は、障子が開くとびくりと肩を震わせてしまった。

 入浴を終えて寝室に入ってきた鷹巳は、神聖な儀式に臨むような白い着物をまとっている。

 スーツ姿よりも妖しく、美しく見えるが、どことなく淫蕩な気配が増していて、八尋の躰は凍りついた。

「そんなに硬くなるな、八尋。酷いことはしない」

 なだめるように囁く鷹巳の体躯から、心を惑わすような香りが揺らぐ。

 鍛え上げられた筋肉が浮き立つ躰に、光沢を帯びた絹の白衣が沿う様はひどく艶めいて見え、柔らかな褥に押し倒された八尋ぎゅっと瞼を閉ざした。

 鷹巳の手が長い髪を梳き、硬く結んだ八尋の唇にキスが落とされる。

 言葉は無くとも、触れ合った唇の感触で判った──やはり、今宵は抱かれるのだろうと……。

 だが、部屋の灯りはまだ煌々と明るく、裾を割られれば、下着をつけていない躰を鷹巳に見られてしまう。

『……灯りを……消して……』

 唇を覆う口づけが離れると、八尋は喘ぐように囁きをこぼしていた。

 けれど訴えは再びキスで封じられ、薄く開いた口の奥で震える舌までも絡めとられてしまう。

 組み敷いた八尋の躰を愛撫する鷹巳の手が、帯を解き、衿の合わせをくつろげると、素肌を隠していた長襦袢が身じろぐたびにはだけてゆく。

「今夜は、おまえの躰を隅々まで見せてもらおう。
 成り行きで連れて来ることになったが、私が何を手に入れたのか、昨夜は確かめることができなかったからな」

 額を合わせて囁いた鷹巳の眼は、鬼火を宿したように蒼く光り、八尋から抗いを奪ってしまう。

 己の言葉を実行するべく上体を起こした鷹巳は、羞恥に身をよじろうとする八尋の両膝を大きく割り開かせた。