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春耀幻花


<22>



「あの二人には全く似ておらんな、お前さんは。
 瀬織の婆さんに似ておれば、険のある可愛げの無い顔になるだろうし、孝義は根っからの俗物だ。
 顔の造作は悪くなかったが、品性の卑しさが滲み出ていた」

 容赦ない宗政の批評に、千佳子がおろおろと口を挟む。

「あなた、そんな酷い事を、八尋さんの前で……」

 たしなめる千佳子の言葉には耳を貸さず、上座に座った宗政は、再び射抜くような眼差しを八尋に向けた。

「しかし……御巫桜子の遺児は男子だったと、鷹巳から報告を受けたがな。
 御巫本家にも、そう伝わっているはずだが――」

「ええっ!? そうなんですか?」

 本当に何も聞かされていなかったのか、千佳子が裏返った声を上げる。

「あら、どうしましょう。八尋さんに似合うと思って、私、綺麗なお洋服、いっぱい買っちゃった」

 瀬織家から届いた八尋の衣類を一緒に片づけていた時、ほとんどが着物ばかりで、洋服が無いことを千佳子は訝しんでいた。

 さらに下着の類が一枚も無いことに気づくと、眉間の皺をますます深くする。

【着物になってから、パンツ、はいてないんです】

 蔵に閉じ込められて以来、孝義の趣味だったのか、下着は与えられなかった。

 長い時間を過ごすうちに、それが当たり前になってしまい、千佳子に指摘されるまで八尋も忘れていたのだ。

 恥ずかしくてたまらなかったが、タブレットで告白すると、千佳子は愕然と目を瞠った。

「……咲耶――外商を呼んでちょうだい」

 不手際を責めるような視線を咲耶に向け、千佳子は決然と告げると、デパートの外商を通じて、様々な洋服や下着を買い揃えてくれたのだった。

 ただし、それらは全て、とても可愛らしい女物で、八尋が着ているワンピースにも、リボンやフリルで飾られていたが――。

 女の子を可愛い洋服や着物で着飾らせることが、千佳子の秘かな夢だったらしい。

「お前は少し黙っていなさい」

 混乱している千佳子をぴしゃりと黙らせた宗政は、説明を求めるように咲耶に顔を向けた。

 咲耶は苦笑いをしながら、肩をすくめる。

「僕も詳しいことはあまり聞かされていなんです。
 鷹巳さんからは、八尋に花嫁修業をさせるようにと指示されただけで」

「御巫本家は、桜子の遺児が女子であるなら、すぐにでも引き取りたいと言っていた。
 男子だった場合の処遇は、祇堂に一任するとのことだったが……。
 いったい、鷹巳は何を考えている?」

「そんなこと、鷹巳さんが戻ってきたら、直接聞いて下さい。
 それより、御巫家は、八尋が男子だから引き取らない……ってことなんですか?」

 宗政の追及を受け流した咲耶は、ひどく他人行儀な笑顔と態度で聞き返した。

「御巫家が必要としているのは、女子だけだそうだ」

 宗政と咲耶の会話は、だんだん八尋の耳に入らなくなっていった。

 ただ、桜子の生家である御巫家にとっても、八尋は「いらない子」なのだという認識だけが胸に突き刺さる。

 千佳子が心配して声をかけてくれたが、何を言われたのか、自分が何と答えたのかすら覚えていない。

 美味しいはずのディナーの味も、その夜はまったく感じられなかった。

(父方の瀬織家も、母方の御巫家も、ぼくを受け入れてはくれない。
 ぼくの存在を心から望んでくれたのは、お母さんだけだったんだ)

 母の他に、自分には家族がいないのだと、改めて思い知らされる。

 祇堂家の人々は親切だが、鷹巳が一年と期限を決めている以上、ずっと一緒には暮らせないのかもしれない。

 千佳子に母の面影を重ね、咲耶に兄としての慕情を抱いても――。

(こんなに不安になるのは、きっと、鷹巳が何を考えているのか、判らないからだろう)

 叶うことなら、一年後も、それから先も、傍にいていいと言って欲しい。

 そうでなければ、先の見えない未来が不安で、立ちすくんでしまいそうになる。

(だけど……先のことは、考えないようにしなきゃ)

 蔵の中にいた頃は、外に出られるだけで良いと思っていたのだから、願いが叶った今、自分ではどうにもならない事を思い悩んでいる場合ではない。

 それに今は、覚えなければならないことや、やるべきことが沢山ある。

 不安に心を囚われ、足を止めているような時間は無いのだ。

 幽閉生活で止まっていた時を、これからは自分で進めていかなければならないのだから。

 白蛇の岩を見上げるような形でしゃがみ込んでいた八尋は、ふうっと長い溜息を吐き出し、ゆっくりと膝を伸ばして立ち上がった。

『お昼寝の邪魔をしてごめんなさい。また来るね』

 白蛇は赤い眼を八尋に向けていたが、大理石の彫刻のようにぴくりとも動かなかった。




 梅雨明けした七月の半ばになると、日に日に暑さが厳しくなり、縁側から見える庭園が白く霞んで見えた。

 軒下にぶら下げられた風鈴が、風に吹かれてチリンと鳴り、ささやかな涼を運んでくる。

 タブレットを手にしたまま、八尋がぼんやりと蜻蛉の行方を目で追っていると、切ったばかりの西瓜を手にした咲耶が台所から戻ってきた。

「――そんなに鷹巳さんの事が心配だったら、メール送ってみる?」

 はっと我に返った八尋に西瓜を手渡し、咲耶が「よいしょ」と隣に腰を下ろす。

「どうせまた、鷹巳さんのこと、考えてたんでしょ?」

 図星を突かれ、頬を赤らめると、咲耶が八尋の手からタブレットを取り上げた。

「これ、ネットに接続できるから、メール送れるはずなんだよね。
 鷹巳さん、設定していかなかったのかな?」

 慣れた仕草でタブレットを操作する咲耶の手元を見つめるうちに、心がどんどん浮き立ってくる。

 目を輝かせる八尋をちらりと一瞥し、咲耶は「これで完了」と微笑んだ。

「手紙みたいなものだから。
 鷹巳さんに何か聞きたいこととか、言いたいことがあれば、文章にしてごらん」

 差し戻されたタブレットを見下ろし、八尋は考え込んでしまった。

 いざとなると、何を伝えればいいのか判らない。

 心の中にある感情をそのまま言葉にするのは恥ずかしいし、いきなり「寂しい」と言われても、鷹巳が困るだけだろう。

 咲耶と並んで冷えた西瓜を食べながら、あれこれ思い巡らせたが、結局文章にできたのは数行だった。

【お元気ですか?
 ぼくは元気にしています。
 咲耶さんも、千佳子さんも、みんな優しくしてくれます。
 鷹巳も体に気をつけてくださいね】

 八尋の作った文面を見て、咲耶が片眉をつり上げる。

「……これだけでいいの?」

 八尋がうなずくと、咲耶は「ふむ」と首を傾げ、もう一度タブレットを取り上げた。

「じゃあ、元気にしてるとこ、写真で送っておこうか。
 はい、八尋……にっこり笑って――」

 パシャリ。

 浴衣を着た肩を寄せ合い、食べかけの西瓜を手にした八尋と咲耶が、笑顔でタブレットの中に写り込む。

 写真に慣れていない八尋の笑顔は、ちょっと引きつっていた。

「鷹巳さんがどういう反応をするのか、楽しみになってきた」

 撮ったばかりの写真をメールに添付しながら、咲耶がにやにやと唇を歪める。

 咲耶は、「お土産を沢山買ってきてね」と、最後に一文を加え、語尾にハートマークまでつけて、鷹巳宛のメールアドレスに送信した。

「まあ……忙しい人だから、返信があるかどうかは判らないけどね」

 それでも、鷹巳と新しい繋がりが生まれたようで嬉しくなり、八尋は満面の笑顔でタブレットを抱き締めた。

【ありがとう、咲耶さん】  

 お礼を伝えると、咲耶が広縁の床に片手をついて、八尋の方へ身を乗り出してくる。

「――そんなに嬉しい?」

 急に近づいてきた顔にどぎまぎしながら頷くと、咲耶は艶やかに微笑んで、自分の唇を人差し指で押さえた。

「じゃあ、八尋からキスして。仲良しの印に」

 狼狽えて、八尋は何度も目を瞬かせる。

 頭の中が空白に覆われ、何を言われたのか一瞬理解できなかった。

「大した事じゃないよ。欧米では挨拶程度のことだし。
 パーティーでは海外からの招待客も多いから、慣れておいた方がいいでしょ?」

 そういう……ものなのだろうか?

 自分では判断しきれず、八尋が眉根を寄せて悩んでいると、爽やかに笑いながら咲耶が眉間を突っついてきた。