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春耀幻花


<27>



 男性である咲耶が、同性しか愛せないというのは、八尋が思っている以上に深い苦悩なのかもしれない。

 すると咲耶は、「ありがとう」と呟いて、ぎゅっと八尋を抱き締めた。

 それは、卑猥な行為というより、親密なスキンシップのようで……。

 何となくほっとしたのも束の間、咲耶の片手がするりと下方に伸び、うなだれていた八尋の雄茎を握る。

 びくっと身じろぐと躰の位置が変わり、熱く高まっている咲耶の欲望をぴたりと押し付けられた。

「八尋を抱いてたら、こんなになっちゃった。
 一緒に気持ちよくなろうか……八尋のイッちゃうところ、見てみたい」

 抱え込まれた腰を前後に揺すられると、八尋の股間に滑り込んだ咲耶の屹立が、ぬちゃぬちゃと花弁をこする。

『ああっ! やあっ……イヤっ!』

 掌に包み込まれた自身の幼根まで刺激されると、痺れるような快感が背筋を走った。

 と同時に、首筋が、何かに噛まれたような鋭い痛みを発する。

「大丈夫、お姫様の中には挿れないから。こうして、擦ってるだけでも気持ち悦いよ。
 それとも……奥まで挿れてもいい?
 八尋が相手だったら、このまま、ぼくでもできそうだ。
 どうせ鷹巳さん、明日まで帰ってこないし」

 息を荒らげた咲耶はうっとりした声で囁き、逃れようとする八尋を捕えたまま、ぐっと腰に力を入れた。

 ぬるりと滑った尖端が、八尋の花弁に割り込み、さらなる深みを目指そうと蠢く。

『いや……痛い…やめて……ッ』

 首の激痛はますます酷くなり、息苦しさも感じて、涙を流しながら八尋は仰のいた。

 まるで、首に釘を打たれ、太い縄で締め上げられているよう。

 このまま咲耶と交わってしまえば、命さえ失う危険を感じるほどに。

 全身が激痛に恐怖し、血の気が引いていく。

「……八尋? 大丈夫?」

 異変に気づいた咲耶が問うた直後、バシッと鋭い音が響き渡り、浴室の引き戸が大きく開いた。

 立ちこめる白い湯気が流れを変え、何者かが現れる。

 首を苛む苦痛がすうっと緩んで、何度も息を吸い込んだ八尋は、涙の膜を通して揺れる黒い影に朦朧と片手を伸ばしていた。

 次の瞬間、八尋を羽交い絞めにしていた咲耶が、引き剥がされ、突き飛ばされる。

 背後の支えを失い、ふらりとよろめいた八尋は、床に倒れる前に逞しい腕の中に抱き留められていた。

「――咲耶。どういうつもりだ?」

 スーツ姿のままずぶ濡れの八尋を片腕に捕えた鷹巳が、咲耶を睨みつけていた。

 怒気をはらんだ声は普段よりも低くなり、刃を宿した蒼瞳が極北の海のように凍てついている。

 檜の床に転がった咲耶は、唖然とした眼差しでしばらく鷹巳を見上げていたが、開き直ったように胡坐をかくと、肩を軽くすくめた。

「何とまあ……早いお戻りで。
 帰国は明日だと聞いていたから、僕も安心していたのに」

 ふてぶてしい笑みを浮かべ、上目遣いで鷹巳を見つめた咲耶は、どこか諦観しているような投げやりな雰囲気を滲ませている。

「どういうつもりかと聞いている。答えろ!」

 鷹巳が重ねて詰問すると、浴室の空気がビリビリと震えた。

 ようやく激痛から逃れ、急変した状況を認識し始めた八尋は、鷹巳の全身から立ちのぼる憤怒を、黒い炎のように錯覚した。

 それほどまでに、激しい怒り。

 今は咲耶に向けられている双眸が、もし、自分を見すえたなら――。

(咲耶さんの言う通りにしちゃったぼくも、悪いんだ)

 後悔と罪悪感に押し潰され、鳩尾の辺りがぎゅうっと引き絞られる。

 だが、咲耶は鷹巳を恐れる様子もなく、平然とした声で弁解した。

「どういうつもりも何も、僕はいつも通り、八尋の世話をしていただけですよ。
 急な雨で二人とも濡れてしまったから、風邪を引かないようにお風呂に入っただけで。
 八尋は男の子だってあなたから聞いていたから、一緒に入っても構わないかと思ってたんです。
 そういうのって、ごく普通の事でしょう?
 まさか八尋に、秘密があるなんて思いもしなかったけど……」

 鷹巳の反応をうかがうように目を細めると、優美な咲耶の笑顔が狡猾な印象に変わる。

 咲耶は、ただ優しいだけの男ではないのだと、八尋は青ざめながら思い込みを改めた。

「八尋はインターセックス――だから、あなたは御巫家に真実を隠して、その子を祇堂の人柱として利用しようと?
 あなたの邪視は、八尋こそ人身御供としてふさわしいと、見抜いたんじゃありませんか?」

 咲耶の声には、罪を糾弾するような厳しい響きがある。

(……ひとばしら? ひとみごくう?)

 意味が判らない。だが、決して良い言葉ではないのだろう。

 すると、混乱する八尋の傍を離れ、鷹巳が素早く咲耶の前に立った。

 振り上げられた平手が鋭く頬を叩き、咲耶がどっと床に倒れる。

「問題をすり替えるな。
 事情はどうあれ、八尋が私の婚約者であることには変わりない。
 八尋を、女として扱えと言っておいたはずだ。
 お前に八尋への手出しを許した覚えは無いし、今後も許すことはない。
 頭の良いお前なら、理解していると思っていたがな」

 鷹巳の声はぞっとするほど冷たく、背後にいる八尋は、自分も厳しく責められているように感じて、物陰があれば隠れたいとさえ思った。

 だが、反発するようにきっと鷹巳を睨み上げる咲耶の瞳には、見たことが無いほど強い光が輝いている。

「あなたの身勝手な事情に巻き込んで、八尋を犠牲にしても良いと思ってるんですか?
 偽りの優しさを与えて、何も知らないで喜ぶ八尋を弄んで、最後は見捨てるつもりでしょう。
 結局……あなたの凍りついた心は、誰も愛さない」

 なおも言い募る咲耶を、冷酷な瞳で見下ろした鷹巳は、不意に張りのある声を上げた。

「影佐(かげさ)──咲耶を連れて行って、徹底的に仕置きしろ。後で、私も行く」

 いつからそこに控えていたのか、壁の陰から大柄な男が姿を現し、浴室の中まで踏み入ってきた。

 長身の鷹巳よりもさらに上背が高く、鍛えられて発達した筋肉がスーツの布地越しでさえ明らかな偉丈夫だった。

 人間の情が欠落しているような鋭い三白眼、額から左目を通り顎まで届く裂傷痕──。

 右半分だけを見れば荒削りな男らしい顔立ちだったが、険しい双眸と無惨な裂傷があまりにも強烈な印象を放つ。

 影佐と呼ばれた男は、恐ろしい修羅のように見えた。

 鷹巳に対しては強気を崩さなかった咲耶も、その名前を聞いた途端、怯えたように床をいざる。

「咲耶さん──失礼します」

 深みのある威吹の声が時に鋭く、時に甘く色彩を変えるのに比べ、影佐の声は地鳴りのような不気味さがある。

 そして、影佐の手には、咲耶が脱いだ浴衣の男締(おとこじめ)。

 蒼白になった咲耶は、慇懃に声をかける影佐を一瞬睨みつけたが、必死に距離を保とうとするようにずり下がった。

 だが、まだ水に濡れた肩をつかんだ影佐は、瞬く間に咲耶をうつ伏せに押し倒し、強張った背中の半ばでさらに両腕を捩じり上げてしまった。

「──くっ!」

 涼やかな眉がきつく寄せられ、咲耶が痛みに呻く。

 もはや何を言っても無駄だと諦めたのか、唇を固く引き結んだ咲耶は、檜の床をじっと見すえるだけだった。

 影差は酷薄な三白眼を咲耶に注ぎながら、手にしていた男締を使って腕と躰を縛り上げる。

 まるで罪人を捕えるような手際の良さに、八尋は底知れない恐ろしさを感じた。

 いったい、彼は何者なのか。

 一度聞いたきりだが、水琴亭で宗政に話しかけていた男の声は、おそらくこの影佐だったのだろう。

 乱暴な真似はやめてほしいと思っても、鷹巳の無言の威圧と、影差の迫力を前にしては何もできず、ただ身を震わせて見ていることしかできなかった。



 影佐が咲耶を浴室から連れ出し、鷹巳と二人きりになってしまうと、八尋は極度の緊張と不安で眩暈を感じた。

 裸のまま棒立ちになっているのは情けないが、少しでも身動きをすれば、何かを壊してしまいそうな緊迫感が時を止めてしまっている。

(ぼくも……鷹巳を怒らせちゃったんだ)

 これも夢だと思いたいが、肌に突き刺さるような鷹巳の怒りをひしひしと感じる。

 狂ったように速まる心臓の鼓動が、鷹巳にも聞こえてしまうのではないか。

 だがその鷹巳は、八尋を拒絶するように目線を合わせぬまま、咲耶が出て行った戸口をしばらく睨んでいた。

(──胸が…苦しい──お願いだから、せめて、何か言って……)

 重い沈黙を破ろうにも、自分にはその術がない。

 いっそ激しく罵られ、咎められた方が楽なのかもしれない──そうすれば、鷹巳の考えている事が少しは判る。

 けれど話しかける声も無く、鷹巳の心情をうかがうこともできないない状態では、何かきっかけがなければ、沈黙が永遠に続くのではないかと感じられた。