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春耀幻花


<28>



 ついに緊張に耐えかね、八尋がうつむいて細い溜息をついた時、鷹巳が動いた。

 一気に距離をつめ、よろめいた八尋を鏡張りの壁に押しつける。

 追い詰められた八尋は、濡れた長い髪をぐいとたぐられ、強引に顔を仰のかされていた。

「……ぅっ…ぐぅっ!」

 露わになった喉に、大きな手がかかる。

 息苦しさに呻いた八尋は、吐息が触れ合うまで近づいた鷹巳の顔を、涙目で見返した。

「お前は気を許せば、誰にでも足を開いて抱かれるのか?
 貞節を守るプライドすら持てないなら、すぐにでもふさわしい場所に堕としてやろう。
 売春婦のように、好きなだけ男を咥え込めばいい。
――どうする?」

 心を切り裂くような言葉に、瞬きさえできなくなる。

 喉を締める手の力はすぐに緩んだが、迸った烈火の殺気に打たれ、八尋は血の気の引いた唇を喘がせた。

『……ご、めん……なさい――ごめんなさい』

 辛うじて謝罪を口にすると、堰を切ったように涙がぼろぼろと流れ出す。

 こんな風に鷹巳を怒らせたくはなかった。

 遠い国から帰ってきた鷹巳を、笑顔で出迎えたかった。

 不在の二週間、どんな風にここで過ごして、何を学んだのか……どれほど幸せで、感謝しているかを伝えたかった。

 そして何よりも真っ先に、メールで送ってくれた写真のお礼を、ちゃんと顔を合わせて言いたかったのに――。

「いつからだ? お前はいつから咲耶と関係している?
 咲耶に靡いたのは、私がお前の傍にいられなかったからなのか?」

 矢継ぎ早に問われ、髪をつかまれたまま顔を揺すられる。

 自ら望んだことではないとはいえ、鷹巳の目に今の自分は、ふしだらで身持ちの悪い人間にしか見えないのだろう。

 それでも、誤解されるのは、身を切られる以上に辛い。

『……ちが……違う――咲耶さんとは、なんでもない……』

 自分なりに頑張ってきたことが、全て水の泡になってしまったように思え、八尋は声を詰まらせてむせび泣いた。

 しゃくり上げると唇が震えて、それ以上の言葉を紡げなくなる。

「――泣くな」

 ぴしゃりと叱責されても、絶望が深くて、なかなか嗚咽が止まらない。

 鷹巳が恋しくて夢にまで見たのに、こんな酷い再会になるとは想像もしていなくて、どう振る舞えばいいのか判らなかった。

『……ごめんなさい……ごめんなさい』

 声にならない囁きで、何度も同じ言葉を伝える。

 涙の膜に隠された紫黒の瞳を睨みつけていた鷹巳は、不意に呆れたような嘆息をもらすと、八尋を仰のかせて唇を重ね合わせた。

 まるで罰を与えるような荒々しいキス。

 唇に歯を立てられ、怯える舌を根こそぎ奪われるように絡めとられる。

 息が止まりそうになり、鷹巳の胸を押し返そうとした八尋は、敏感な舌先を噛まれて喉を引き攣らせた。

「まったく……お前はどこまでも隙だらけだ。
 その隙につけ込んで、どうせ、咲耶の方からちょっかいを出したんだろうがな」

 唇を離した鷹巳は苛立たしげに呟くと、八尋の躰をすくい上げるようにして抱き上げた。

 そのまま檜の浴槽に歩みより、たっぷりと張られた湯の中に八尋を放り込む。

 ドボンと頭から沈んだ八尋は、手足をばたつかせて湯を掻き分け、もがきながら水面に顔を突き出した。

 鼻から吸い込んだ湯にむせてしまい、浴槽の縁にしがみついて咳き込む。

「風呂から上がったら、寝室に戻れ。
 咲耶同様、お前にも仕置きが必要だ。

 私の目を盗んで不貞を働いた報いは、その身に受けてもらう」

 鷹巳はどことなくもの憂げな表情で八尋を見下ろすと、踵を返して風呂場から出て行った。

 

 声を荒らげて罵ったりしなくても、鷹巳は間違いなく怒っているのだろう。

 これからどんな罰を受けるのかと怯えつつ、それ以上に、どうすればその怒りを鎮めてもらえるのかと考えてしまう。

 風呂から上がって濡れた髪をすっかり乾かし、乱れ箱に入った白地に蝶模様の浴衣に着替える時も、八尋の動作はことさら鈍くなった。

 時間をかけたなら、その分鷹巳の腹立ちも治まるのではないか――。

 見込みのない期待を抱いたが、寝所に向かう足は、床に貼りついたかのように重い。

 襖の前でついに動けなくなり、八尋は伸ばしかけた震える手を思わず引っ込めた。

(ぼくが逃げたら……鷹巳はもっと怒るんだろうな)

 自分に向けられた鷹巳の激怒が恐ろしくて、できる事なら逃げてしまいたいが、そうすればどうなるか――。

 破滅的な未来が、容易に想像できる。

 躊躇したままその場に立ち尽くしていると、勢いよく襖が開き、鷹巳が苛立ちを露わにして八尋の腕をつかんだ。

「何をしている。さっさと入れ」

 ぐいと強い力で引っ張られ、乱暴に突き飛ばされる。

 夕食の間に整えられていた布団に倒れ込んだ八尋は、落ち着くどころか、ますます憤りを募らせている鷹巳を、青ざめた顔で見上げた。

「縛られた経験はあるだろう? 
 今夜はお前に、誰が主人なのか思い出してもらう」

 感情が無いような鷹巳の蒼瞳は、それでいて八尋の全てを見透かし、嗜虐の焔を燻らせている。

(……あ、ああっ……)

 淫らな緊縛に捕らわれ、抗うこともできずに責められる。その辛さは、確かに躰が記憶している。

 逃げる隙も見つからないまま、浴衣の帯が解かれ、柔らかな絹の腰紐で後ろ手にくくられてしまった。

 大きくはだけた浴衣の上から赤い縄をかけられ、露わな胸を突き出すような形に結わえられる。

 中途半端に脱げ落ちた浴衣を腰周りに残したまま、鷹巳はさらに八尋の大腿と膝下をM字に屈曲させ、両足を閉ざせないように縛った。

 かつて孝義に嬲られた記憶が蘇り、八尋は慄いたが、躰の内芯をぞろりと舐めあげる淫靡な予感に肌がざわざわと粟立つ。

 破廉恥な姿に固定され、見動きできなくなった八尋が羞恥に震えていると、正面に片膝をついた鷹巳が指先で顔を上げさせた。

「八尋――しばらく見ない間に綺麗になったな。
 お前の白い肌に、赤い化粧縄はよく似合う」

 怒っているはずなのに、鷹巳の囁きはひどく甘く、褒められていると錯覚するほど優しい。

 縛めを受けながら、啄ばむように唇に接吻されると緊張と恐怖が消えてゆき、八尋はさらに深い口づけを受け入れていた。

 顔を離れた鷹巳の指が、赤縄を絡めた首と強調された胸をなぞり、刺激で尖った乳首を撫でる。

 あからさまな快感が全身に広がり、秘部がズクリと疼いた。

「……はっ……はあぁ……」

 八尋の反応を観察する双眸は凍えているのに、愛撫の手は温かい。

 激しい恥辱を感じる一方で、鷹巳の眼が自分から離れないことに恍惚となり、八尋はせわしなく胸を喘がせながら宙を仰いだ。

 頭の中がだんだん朦朧として、体温が上昇してゆく。 まるで酒に酔ったような気分だった。

「それにしても……この下着は咲耶の趣味か?
 お前が自分でこれを選んだとも思えないが」

 愛撫の指が、唐突に八尋の性器を隠していた下着の縁に引っかかる。

 含み笑い混じりの指摘に、ぼんやりとした目線を落とした八尋は、千佳子に買ってもらった愛らしいパンティの内側で、自身の男根が大きく盛り上がっていることに気づいた。

 光沢のある桜色のシルクに、美しいレースで飾られた小さな布きれを、鷹巳の指が意地悪くずり下げると、充血した幼茎の穂先がのぞく。

『……いやあっ……見ないで……ッ!』

 それはあまりにも卑猥な景色――恥ずかしさのあまり一気に躰が紅潮し、酩酊から我に返った八尋は全身をくねらせた。

 だが、きっちりと縛められ、逃れることなどできない。

 確信と同時に、毛穴が全て開き、火照った肌に汗が噴き出してくる。

 青い双眸を直視できなくなり、限界まで首を捩じって顔を背けていると、耳朶に唇を触れさせて鷹巳が囁いた。

「今度から、お前の下着は私が選んでやろう。
 秘め事は隠しておいた方が風情が出る」

 密やかに笑いながら、鷹巳は八尋の股間に顔を伏せ、可憐なレースとシルクに飾られた肉茎を舐め上げる。

「……ひっ…ひあぁっ!」

 背骨を貫く電流のような快感に、腰が弾み、躰が反り返った。

 不自由に屈した両足と尻とで必死に支えなければ、無様な格好で仰向けに転がってしまいそうだった。

 叱られているわけではないのに、これほどいたたまれない思いをするのは何故だろう。

 羞恥が限界まで高まり、躰の内側から掻きむしられているような気さえする。

 孝義に縛られ、いたぶられていた時でさえ、自分が無くなってしまうような頼りない感覚に陥ることはなかったのだ。