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春耀幻花


<36>



 ふうっと長々とした嘆息をもらした咲耶は、気怠げに頬杖を突いた。

「僕が大学に入った頃から、影佐とはずっとこんな感じ。
 もともとあいつは鷹巳さんの悪友で、母さんと僕がここに住み始めた時からの顔見知りだったんだ。

 この屋敷に出入り自由だった影佐に、ある日突然、手籠めにされちゃったってわけ」

 鷹巳の秘密を探りたいと、無断で忍び入った洋館の地下室に閉じ込められ、影佐に強引に抱かれた――仕組まれていた罠だったとも知らずに……。

 咲耶は自嘲するように微笑む。

 何気ないように話す咲耶の言葉にどぎまぎしつつ、八尋は書く物を探して周りを見渡した。

「隣の文机の上に、メモがあるよ。悪いけど、取ってきてくれる?」

 咲耶は身動きするのも億劫そうに呟く。

 影佐の責めがよほど堪えたのだろうと察して、八尋はすぐにメモを取って戻った。

『千佳子さんが心配していたよ。何て伝えればいい?』

「風邪引いて、寝込んでるって言っておいて。
 僕と影佐とのことは薄々感づいてるかもしれないけど、あの地下室の事は何も知らないから。
 だから八尋も秘密にしておいて」

「もちろん」とうなずいて見せると、咲耶は苦笑して、腕枕にまた顔を伏せた。

『何か食べたいものはある? お粥作ってこようか?』

 あまり無理をさせてはいけないだろうと思いつつ、咲耶の体調が心配になって、八尋は質問のメモを差し出した。

 ちらりと目線を上げて、咲耶は小さく首を横に振る。

「何もいらない。今は何も食べたくないから……。
 でも、ありがとう。前とは逆になっちゃったね」

 鷹巳に初めて抱かれた後、翌日は寝込んでしまったことを思い出し、八尋は顔を赤らめた。

「八尋は大丈夫だった? 鷹巳さんに虐められたんじゃないの?
 あの二人、真反対に見えるけど、根っこの部分は似た者同士だからさ」

 他よりも強い性衝動を、日常では理性で抑圧しつつ、時に獲物を狩るように爆発させる。

 影佐は暴力という形で時々エネルギーを発散させているが、鷹巳は常に冷静で内に籠る分、抱き方が蛇のように執拗になるのではないか――。

 咲耶が淡々と持論を展開すると、ますます羞恥を煽られ、八尋は顔を上げられなくなった。

 寝所で鷹巳から何を強いられたのか見透かされているようで、本当にいたたまれない。

『……ぼ、ぼくは、全然、大丈夫。
 これから、千佳子さんと、お買い物に行ってくるから』

 慌ててしまい、メモを書く前に口をパクつかせた八尋に、くすくすと笑いながら咲耶が片手を振る。

「いってらっしゃい。楽しんでおいで。
 僕はしばらく眠るから、起こさないようにって、母さんに伝えて」

 咲耶の部屋を出た八尋は、朱塗りの食膳を持って一目散に逃げ出した。




「ねえ、八尋さん。こんなのはどう?」

 祇堂家御用達デパートの、VIP専用の特別室。

 ふかふかのソファまで置かれた豪華な試着室に入ってから、すでに1時間が過ぎようとしている。

「今日はね、八尋さんの好きな物を何でも買ったらいいわ。
 この間持ってきてもらったのは、ほとんど私の趣味だったし」

 千佳子はそう言いつつも、担当者が売り場からひっきりなしに選んで運んでくる洋服を、他に客のいない特別室であれこれ物色していた。

 動き回っていても疲労した様子がなく、千佳子の目はキラキラと輝いている。

 一方の八尋は、慣れない試着でそろそろ疲れてきたが、自分自身の物を選ぶ以上に楽しげな千佳子を見ていると、何も言えなくなった。

 そんな八尋の顔色を見て、VIPルーム専属の担当者が、さりげなく休憩を提案してくれた。

「お茶はいかがでございますか?
 期間限定のケーキもご用意いたしましたので、どうぞお召し上がりください」

「ごめんなさい、疲れさせちゃったわね。
 お洋服はそのままでいいから、こちらでお茶をいただきましょう」

 千佳子は両腕に抱えていた洋服をハンガーに戻し、試着室から出た八尋を応接室のソファへと促す。

 テーブルに用意された紅茶からは、気持ちが華やぐような花の薫りがした。

 口にすると何となくほっとした気分になり、八尋は千佳子に微笑みかける。

「着物姿も素敵だけど、鷹巳さんとデートするなら、イメージチェンジするのも良いんじゃない?」

 わざわざデパートまで連れて来てくれたのは、千佳子なりの考えがあったからなのだが、それを聞かされた時はびっくりしてしまった。

(ぼくが……鷹巳と、デート?)

 一緒に出掛けられるというだけで嬉しかったけれど、二人だけで、恋人同士のようにと言われると、想像するだけでドキドキしてしまう。

 鷹巳の婚約者というからには、女性らしくスカートを履かなければいけないのだろうが、慣れていないから、人前でちゃんと歩けるのかどうかさえ不安になった。

「そうそう、八尋さんが二学期から通う高校の制服も、そろそろ作っておかないと……」

「松鳳学園の制服は、こちらでございます」

 八尋がケーキを食べながら物思いに耽っていると、千佳子が店員を相手に話題を変える。

 すかさず提示されたのは、グレーのブレザーに白のブラウス、紺と緑のチェック柄のミニスカート、お揃いの柄のリボンタイという女子生徒用の制服だった。

「あら、可愛い。それにしても、最近の制服は、どこもスカートが短いわね」

「どう?」と、八尋の反応をうかがうように、千佳子が笑いかけてくる。

 しかし、八尋は制服をひと目見た途端、フォークに刺したケーキを口にしたまま硬直してしまった。

 ごくんと飲みこんでから、会話用のタブレットに手を伸ばす。

【風が吹いたら、パンツ、見えない?】

「あら、まあ」と千佳子は声を立てて笑い、制服を持った店員はブレザーとスカートを自分の前に当てて見せた。

「最近は、皆さんこのくらいの丈まで上げて着られる方が多いですね。
 校則の規定より、短くした方が可愛く見えるからと」

 太腿の半ばくらいまでスカートが上がると、八尋は呆然としてしまった。

【もっと長くはできませんか?】

 八尋が足首を指さすと、店員は少し困惑したように首を傾げ、「校則で決まっているので」と説明する。

「八尋さんはいつも着物だから、素足が見えるのが恥ずかしいのよね」

 千佳子が微笑みながらフォローすると、「今時珍しい、奥ゆかしいお嬢様ですね」と店員は納得したようにうなずいた。

(学校に行くの……怖くなってきたかも……)

 自分から行きたいと言い出したのだから撤回はできないが、いざ制服を前にすると、人前に出るのが急に恥ずかしくなる。

(だけど、鷹巳も、この制服が可愛いって、言ってたような……)

 できることなら男子用の制服が安心だったが、女性として振る舞うように言われているため、これを着るしかないのだろう。

(これを着たら、ぼくも可愛いって、言ってもらえるのかな?)

 お茶が済んだところで、制服を仕立てるための細かい寸法を測ってもらったが、八尋はしばらくショックから抜け出せなかった。

「八尋さん。何か、これが欲しいっていうものはある?
 制服はともかく、私の好みばかり押しつけちゃったけど、自分で選んでいいのよ」

 上の空になっている八尋を気遣ってか、千佳子が優しく話しかけてくる。

 八尋は首を傾げようとしたが、ふと思い留まって、背後を振り返った。

 店員が運んできた時から気になっていたマネキンの傍に近寄り、千佳子に見えるように指で示す。

「それがいいの?」

 驚いている千佳子に、八尋はしっかりとうなずいた。

「こちらのジーンズは、トップスを変えていただければ、エレガントにもカジュアルにも着こなせますね。
 今はサマーセーターを着せておりますが、ブラウスやチュニックなどで雰囲気が違いますし」

 マネキンと同じ物を手渡されると、思わず顔がほころんでしまう。

(……お母さんが、こういうの履いてお洗濯してたな。
 僕も買ってもらったし──男の子も女の子も、みんな履いてたんだよね。
 外を歩いてる人たちも、これ履いてる人、沢山いたな)

 シルクで編まれたサマーセーターとブルーデニムを身に着け、試着室の鏡に映した八尋は、幼い頃より遙かに身長が伸びた姿を見返した。

(──ぼくは……こんなにも大きくなっていたんだ)

 今までどれだけ鏡で自分を見ても、成長したという実感が無かった。

 声を失い、まるで人形のように生かされている自分を、心のどこかで否定し続けていたせいなのかもしれない。

 けれど現実には、八尋を取り巻く周囲にも、自分自身の躰にも、確実に時が流れていたのだ。

 腰を覆うまで長く伸びた黒髪が、過ぎ去った時間そのもののように感じる。

(ぼくはもう、昔には戻れない――ぼくは、ここに生きているんだから……)




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