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春耀幻花


<7>



 鷹巳の質問ばかりが響く奇妙な会話は、その後も淡々と続いた。

「どうして窓から手を伸ばしていた?」

『あそこから見える桜の花が、とてもきれいだったから』

 無心になって文字を書いているうちに、はらりと顔にかかってきた黒髪を、八尋は指先で耳の後ろに掻き上げた。

 書き上がった便箋を明るい笑顔で差し出すと、鷹巳に見つめられていることを意識してしまい、どきりとする。

 鷹巳の蒼瞳は謎めいていて、何を考えているのか判らないが、お互いを息苦しくさせる何かを、八尋と共有しているようだった。

 それが何なのかは、よく判らないのだけれど──。

「ここから、出たいとは思わなかったのか?」

『出たいけど、ぼくには、他に行くところがない』

 だから……外に出たくても、同じくらい不安が募った。

 友達がほしかったけれど、楽しみにしていた小学校にも行けていない。

 孝義は、八尋が人目に触れることを嫌っていたから、中学や高校に進学することなど許されるはずもなかった。

 誰かに……この瀬織家の人たち以外の人に、自分はここにいると知ってもらいたかった。

 寂しくて、人恋しくて、それでも誰にも会えなくて泣いている子供が、ひとりぼっちで閉じ込められていると、誰かに気づいて欲しかった。

 鷹巳を見つめたまま万年筆と便箋を脇に置き、おずおずと手を伸ばした八尋は、彫像のように端整な顔にそっと触れていた。

(ああ……でも、本当に、鷹巳がここにいるんだ)

 初めて出会った時は、遠すぎて、触れることができなかった。

 けれど今はこうして、血の通った肌の温もりを感じることができる。

 両手で鷹巳の頬を包み込んだ八尋は、目線を近づけて笑いかけた。

 見返してくる鷹巳の表情は冷然としたままだが、少しくらいは笑ってほしい。

 鷹巳の笑顔をもう一度見たいと、春に見かけた時からずっと、願っていたのだから。

 引きしまった唇を指先でなぞると、鷹巳の両目が細められる。

 海のよう蒼瞳は、笑顔とはほど遠く、硬く凍えたままだった。

「八尋、おまえは、自分がどういう状況か、判っているのか?」

 夢見心地になっていた八尋は、鷹巳の声で我に返り、はっと両手を離した。

「それとも……政子刀自に私を誘惑しろとでも言われたか?」

 急に鷹巳が怖くなる。

 穏やかな口調は変わらないのに、身にまとう空気がさらに厳しくなり、咎めるような眼差しになっていた。

 慌てて首を横に振ると、鷹巳の唇が薄くつり上がり、冷嘲を刻む。

「私は瀬織家から、おまえの始末を依頼されていた。
 ここから出た後のことも、全て一任されている。
 母親のことも含めて、おまえと瀬織家との関係を断ち切るためならば、手段は問わないそうだ。
 己の手を汚したくはないが、それでもなお、都合の良いように事を運ぼうとする輩は、どこの世界も変わらんな」

 後ずさった八尋は、鷹巳から顔を背けるようにうつむいた。

 怒らせてしまったのだろうか? 笑いかけてはいけなかった?

(僕はただ、鷹巳に笑ってほしかっただけなのに)

 混乱したまま唇を噛むと、心が冷えて、涙が滲みそうになる。

「おまえはもう、どこにも行き場が無い。それは判っているな?」

 深くうつむき、流れ落ちてくる黒髪で顔を隠した八尋は、理解を示すように小さくうなずいた。

 鷹巳は、祖母に頼まれたからここにいて、話をしているだけ。

 八尋の身を案じて、助けに来てくれたわけではない。

 温もりに包まれていた心が、ふっと熱を失う。

 逢いたいと願っていた人と一緒にいられるのに、ひんやりとした寂しさが覆い被さってきた。




 夕食を運んできた芳沢と入れ違いに、鷹巳は一度どこかに電話を掛けるために席を外し、そのまま土蔵の外へと出ていった。

 きっと八尋に関わることで、政子と話し合いに行ったのだろう。

 八尋には何の価値も無いと、抗議するのだろうか。

 言葉が話せない上に、字は汚いし、難しい漢字は書けないし、人並みの教養も無いのだから、呆れられて当然なのかもしれない。

 いつも通り金屏風の前に並べられた食膳を眺め、しおれた気分のまま八尋は溜息をついた。

 孝義が死んでからはずっとひとり分だったが、今日は以前と同じように二人分の料理が用意されている。

 自分と、鷹巳が食べる分なのだろう。

 嬉しいような、嬉しくないような、おかしな気分だった。

 もっと一緒にいたいと思うのに、冷たく突き放されてしまうなら、ひとりの方が良いようにも感じてしまう。

 希望が絶望に変わるのは辛いから、それならいっそ、最初から何も期待しない方が気楽なのかもしれない。

 もう一度溜息をつきかけた時、外の様子をうかがっていた芳沢が戻ってきて、八尋の目の前で胡坐をかいた。

「さあ、八尋──いつものようにやれ。
 おまえがどんな風に俺と過ごしてきたか、あいつに見せつけてやるんだ。
 おまえは、俺のもんだって、判らせてやるんだ」

 両目を血走らせている芳沢を見返し、八尋は決然とかぶりを振った。

 絶対に見られたくない、鷹巳には。

 孝義との関係も、このおぞましい部屋も、何もかもが恥ずかしくてたまらないのに、芳沢との行為までも見られたなら、死んでしまいたくなる。

 ぱっと立ち上がった八尋は、自分の意思を示そうと、もう一度首を左右に振った。

 床に座ったまま八尋を睨んでいた芳沢は、にやりと顔を歪めると、立ち上がって文机に歩み寄る。

 八尋が眉をひそめると、テレビのリモコンを取り上げた芳沢は昏く澱んだ目つきで嗤い、いきなり二曲の金屏風を乱暴になぎ倒した。

「できねえって言うなら、こいつを、あのすかしたヤツに見せてやる。
 知ってたか? 旦那様は、おまえがよがり狂う姿を、ずっと録画してたんだぞ」

 電源が入り、テレビが光を放つ。

 芳沢がリモコンを操作すると、テレビに内蔵されたハードディスクが起動し、目を背けたくなるような八尋の痴態が映し出された。

 立ちすくんだ八尋は、わざとらしくリモコンを振ってみせる芳沢を振り返ると、とっさにテレビに飛びついた。

 主電源を切ろうとすると、すかさず手を伸ばした芳沢が八尋の髪をつかみ、床に敷かれた布団の上に跳ね飛ばす。

 悲鳴を上げることもできず倒れこんだ八尋の背後から、息を荒らげた芳沢がのしかかり、力任せに押さえ込んできた。

 体力の無い八尋の躰では、力仕事をする屈強な芳沢を跳ねのけられない。

(……いや……嫌だ!)

 着物の裾をまくりあげられ、下着をつけない下半身を露わにされる。

 片手を差し込んできた芳沢は、恐怖に縮こまった八尋の男根を捕え、無慈悲に力を込めた。

「……ぅあぅッ…!」

 急所に激痛が走り、全身が硬直する。

 苦痛に躰が震え、抗うことができなくなった。

「殴られたくなかったら、大人しくしてろ」

 袋帯の隙間をまさぐり、絽の帯揚げをしゅるりと抜き取った芳沢は、八尋の両手を交差して後ろ手に縛り上げる。

 さらにリモコンでテレビの音量を大きくした芳沢は、剥き出しになった八尋の尻をいやらしく撫で回し始めた。

 テレビの中の八尋は、もっと浅ましい姿になっている。

 竹竿の両端に両足首を結わえられた状態でうつ伏せにさせられ、脚を閉ざすことができないまま、孝義が操る性具で貫かれていた。

 口には芳沢を咥えさせられ、苦痛に歪んだ顔は涙と涎で汚れている。

 くぐもった八尋の呻きと、芳沢の獣じみた息遣い、孝義の嘲る声が、スピーカーから流れ出していた。

「……ぃあぁ…ッ……ぅうう…ッ!」

 泣きたくないのに、涙が溢れ出た。

 気ぜわしい動きで八尋を扱く芳沢の手を感じながら、拒絶するように不自由な首を振り続ける。

「八尋、俺と一緒に逃げるんだ。
 そうすれば、二度とあんな目には遭わせない。
 優しくしてやるから、俺と来い。
 俺には判る……あの男は、もっとおまえを酷い目にあわせて、いたぶるようなヤツだ」

 耳朶に口をつけながら、息を荒らげた芳沢が言い募った。

「どうせ、あの男も、すぐにはおまえを連れて行かないだろう。
明日になったら、二人でここから逃げるんだ」

 ねっとりと熱を帯びた芳沢の囁きに、気が狂いそうだった。

 悲鳴を上げることも、抵抗することもできない──救ってくれる者もいない。

 鷹巳が戻れば、今度こそ八尋を軽蔑するだろう。

 肉体を弄ばれながら、それでも快感に抗えず、ついには悦楽の絶頂を極めてしまう卑しい姿を目の当たりにして。

 せめて気を失うことができれば、ほんの束の間、この苦しみからは逃れられる。

 八尋は溢れ続ける涙を隠すように、双眸を閉ざした。