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<18>



 結局、鷲塚の言葉通り、悠利が家に戻っても、東山と会うことも、連絡が来ることもなかった。

 ほっとする一方で、胸が切なくて苦しくなる。

 心のどこかで、あの家から出たら、彼が迎えに来るのではないかと期待していた。

 彼もまた自分を愛している事に気がついて……酷い事をしてすまないと自分から謝りに来てくれて、そして悠利に「愛している」と言う──そんな妄想じみた事さえ考えながら、前と同じ淡々とした生活を送っていた。

 だが、昼間は子供たちと過ごしているため、それほど気にならなかったが、夜になると身体の奥がざわめくような欲望の虜になる。

 零と鷲塚のベッドシーンを見てしまってから、余計にそれが酷くなったような気がした。

(僕はバカだ……決して手に入らない人を、愛してしまうなんて──)

 彼が望んだのは、都合の良いオモチャあるいは従順な奴隷であって、恋人ではない。

 恋人にするなら、零のように綺麗で、優しくて、誰からも愛されるような人を選ぶだろう。

 それが面倒だと思えば、きっとまた新しいオモチャを探すはずで、零や鷲塚に散々迷惑をかけた自分を迎えに来るはずはない。

 鷲塚が言うように、さっさとお金でケリをつけて、二度と悠利の前には現れない。

 それが、彼にとっては一番楽で、最善の道に違いないのだから。

 鬱々と考え込んで歩いている間に、いつの間にか自分のアパートの前まで戻ってきていた。

 電灯の消えかけている暗い階段を上がり、部屋の前にたどり着いた悠利は、コートのポケットから鍵を取りだし、寒さにかじかんだ手で鍵穴に差し込んだ。

 カチャリと鍵が外れ、やっと中に入った悠利は、暖房をつけていないはずの部屋が不思議なほど暖かい事に気づいた。

「あれ……ヒーター、消して行かなかったっけ?」

 独り言を呟きながら、電気をつけようとした悠利は、不意にその手を何者かに掴まれ、強い力で引き寄せられていた。

 悲鳴を上げようと開けた唇を口づけで塞がれ、息が止まるほどに抱き締められた。

 恐怖にすくんだ悠利の心を溶かすように、敏感な口の中を舌先が舐め回し、舌を絡め取られ、そして唇に何度も接吻を繰り返す。

 心よりも先に、身体の方が根を上げた──キスだけでこんなにも快感を与えられる人物を、自分は一人しか知らない。

「──悠利……悠利……怖がらないで」

 涙の溢れた目尻に口づけながら囁く声は優しく、すがりつきたくなるほど暖かい。

 暗闇に目が慣れてくると、彼の端整な顔立ちの陰影が見て取れ、悠利は安堵とそして戸惑いを感じて瞳を揺らした。

 腕を伸ばしてパチンと電気をつけると、彼は一瞬眩しげに目を細め、大きく目を瞠っている悠利の顔をじっと見下ろした。

「確かに、少し痩せてしまったね、悠利──だけど、君があの部屋を出ていってしまってから、私も心配で食事が喉を通らなかった。
 また、あの従弟だとかいう男に、君が捕まってしまったのではないかと思ってね。
 部下に命じて、すぐに君を捜させたんだが、君はどこにもいなかった。
 気が狂うかと思ったよ、あんな思いをしたのは初めてだったから……正直、もう二度と経験したくない」

 ふうっと大きく嘆息をもらした東山は、訳が分からずにいる悠利に優しく微笑みかけた。

 だが、何故か右目のちょうど下あたりに、殴られたような青い痣が広がっている。

 思わずその部分を見つめていると、悠利の視線に気づいたのか、彼は苦笑しながら指先で殴られた頬を撫でた。

「殴られたんだ、君を保護していた怖い人にね。
 それでも力加減はしていたようだけど……本気で殴られたら、骨が折れるだろうから。
 彼が君を保護していると言ってきた時、もの凄く安心したけど、それからが大変だった。
 いくら君に会わせろと言っても会わせてくれないし、あげくに見張りまで付けられる。
 ついに痺れをきらして直談判しに行ったら、ガツンとやられてこの様だ」

「……痛くはないの?」

 本当はそんな事を聞きたいわけではなかったが、思うように言葉が出てこない。

「まだ少し痛むことはあるけど、気にするほどじゃない。
 それよりも、君に会って、謝りたかった。
 君を傷つけたかったわけじゃない──それだけは信じてほしい」

 わずかに首を傾げ、自嘲的に笑った東山は、呆然としている悠利の頬を両手で包み込んだ。

 甘やかなキスの予感に、自然に瞼が重くなる。

 だが、流されてはならないと諫める理性の声に引き戻され、悠利はもう一度、彼の瞳をじっと見つめた。

「……謝るぐらいなら──どうして、あんな事を……?」

「その理由が判らないのか、悠利──君はどうしようもなく鈍感な子供なんだな」

 謎めいた微笑を浮かべた東山は、不審げに眉をひそめた悠利の唇に、そっと触れるだけの軽いキスを落とした。

「くるくると変わる表情を見ているだけで楽しくなった……だから君に惹かれた。
 年が離れすぎているし、君は男同士であることを嫌がるかもしれないと、何度も自分に言い聞かせたけどね。
 だが、ほろ酔いになった君を腕に抱いた時、絶対に手に入れようと決心した。
 キスをして、君を強引に抱いたのは、どうしても君が欲しかったからだ。
 だが、気が急いていて、君の心を思いやる余裕が無かった。
 早く、完全に君を私のものにしてしまわなければ、誰かに奪われてしまいそうな気がしてね。
 愛しているんだ、悠利──私は君の全てが欲しい……どうしようもないほどに」

 切なく響く声に心が震え──歓喜が漣のように全身に広がった。

 目を瞠ったまま呆然として黙りこくっている悠利の耳に、東山が静かな声で囁きかけた。

「他に聞きたい事は?
 いろいろ誤解が生じているようだから、この際、はっきりさせておこう」

 すぐにでも口づけたいと狂喜する心と裏腹に、理性が──それとも傷つく事を怖れる本能だろうか──冷ややかな声で言った。

 この男の言葉を信じてはならない──信じれば、傷つくのは悠利自身なのだと。

「……そんな事…信じられない──だって、僕はいつも邪魔者で……オモチャにしかなれないんだから。
 あなたは、零さんの事が好きで……身代わりに僕を抱いたのかもしれないけど、僕は絶対にあの人みたいにはなれない。
 親切にしてくれるあの人を憎んでしまいそうになるほど、僕の心は醜い──」

 涙で声が詰まり、悠利はうつむいてしまった。

「零ちゃん? ──悠利、ひょっとして、零ちゃんに嫉妬した?」

 少し驚いたように問い返した東山が恨めしく思え、悠利は唇を噛みしめてそっぽ向いた。

 そんな悠利の頭部を胸に抱き寄せ、東山はくすくすと可笑しそうに笑った。

「零ちゃんは特別だよ──私たちにとっては、アイドル的な存在だからね。
 零ちゃんの事が好きで、好きでしょうがない男達は多いけど、何しろ決して手に届かない高嶺の花だから、みんな眺めるだけで満足しているんだ。
 あの優しさに触れるだけでも、荒んだ心が癒されるから……。
 全く未練が無いと言えば嘘になるけど、君を求めるほど激しくあの人を思ったことは、かつて一度も無いんだよ」

「そんなの……嘘だ──僕は、零さんみたいに綺麗でもないし、優しくもないから……」

「最初に君と出会った時、私は目を奪われた、何て可愛い人なんだろうってね。
 それ以上に、君はとても感情が豊かで、それがとても愛しかった。
 君が出ていってしまってからは片時も君の顔が忘れられなくて、いつも傍にいたいと思った。
 これは口から出まかせじゃないよ、悠利。
 私自身怖くなるほど、君に惹かれている」

 すっと表情を消した東山は深いため息をつき、悠利の柔らかな髪に指を差し込み、顔を仰のかせた。

「自分の感情を暴露することは、私にとっては非常にリスクが高い事なんだ。
 ここまで私に言わせたんだから、君も本音を言ってくれないとフェアじゃないな」

 秀麗な顔を見ていられなくなり、瞼を閉ざした悠利は震える声で言った。

「僕も……あなたの事が好きです……愛しています。
 だから──傍にいたい……ずっと、傍にいて欲しいけど、でも……」

 不安を吐き出す事ができず、悠利が言葉を詰まらせると、東山が唇を柔らかく塞いだ。

 応じるように微かに口を開けると、まるで悠利を貪り尽くそうとするように激しく、東山は何度もキスを繰り返した。

「せっかくのクリスマスイブだから、部屋にディナーを用意させてあるんだが……。
 悠利、今すぐここで抱いてあげようか?
 それとも、私の部屋に来て、ディナーの後でゆっくりと楽しむ?
 私はどちらでも歓迎するけれどね」

 キスに煽られ、無意識のうちに擦りつけていた身体に、鋭い欲望が突き上げてくる。

 だが、この狭い部屋の中で抱かれるという事に、悠利は凄まじい羞恥を覚えた。

 壁がそんなに厚くないから、声を上げれば隣の部屋に筒抜けになってしまう──きっと、自分は声を殺すことなんてできないだろう。

「──慶司さんの部屋に……連れて行って……」

「それでいいのか、悠利? 私の部屋に来たら、きっとこの部屋には帰って来れなくなるよ」

 こくりとうなずくと、再び身体が折れるほどに強く抱き締められた。

 誘惑するようなキスがもたらされ、快楽の予感に火照った身体を洋服越しになぞられる。

 高ぶった前方をやんわりと刺激された瞬間、悠利の息が尖り、背筋が弓なりに反り返った。

「私が欲しい? また奥まで突き刺して、掻き回してあげようか?」

 残酷なほどに魅惑的な声で囁かれ、悠利は恍惚とした表情で何度もうなずいていた。

 立っていられないほどに、身体が震え、痺れてくる。

「良い子だ、悠利──捕まえた…もう、二度と逃がさない」

 悠利の身体を軽々と抱き上げ、くすりと笑いながら、彼が耳元で囁いた。

 媚薬のように切なく、麻薬のように抗いがたい──そんな囁きに惑わされ、身も心も全てを奪われてしまう。

 いつの間にか悪魔のように優しく、残酷な男の手に囚われ、悠利は堕ちてしまっていた。