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 その途端、琉花が弾かれたように声を立てて笑い出した。

「ごめんね、ママ──じょーだんだよ。ママのお首は真っ白できれーです」

「る、琉花! ママをからかっちゃダメでしょ!」

「はあ〜い、ごめんなさい。
 でもね、今のはシショーが言ってみろって言ってたの。
 『何で赤くなるの?』って聞いたら、パパに聞いてみろだって」

 神妙な顔で零に謝った後、琉花は悪戯がばれた子供そのものの顔で、小さく舌を出した。

 一方の零は、暑くもないのに、片手でぱたぱたと顔を仰いでいる。

(……何だ、冗談だったのか。
 でも、琉花ちゃんママの反応見てると、あながち冗談だけでも無いような気が──)

 ドキドキと鼓動を速めた心臓をなだめるように胸を押さえながら、悠利は綺麗な夕焼け空をぼんやりと見上げていた。

(──いいなぁ、あったかい家族がいるって……)

 ふっとそんな思いが心を過ぎり、悠利は零と琉花に聞こえないように、小さくため息をついた。

 それから、やや間を置いてから、気を取り直したように零が話しかけてきた。

「あの、室井先生──明日のお迎えの事なんですけど、私が出かけてしまうので、琉花を迎えに来られないんです。
 お迎えは友人に頼んでありますので、よろしくお願いします」

 丁寧に零が頭を下げたのを見て、琉花がにこにこと笑いながら言った。

「あのねえ、せんせー。パパとママ、明日から二人でごりょこうなの。
 ふうふ……何だっけ──ええと、なんとか入らずで楽しむんだって。
 だから、るかは、おじいちゃんのところでおとまりなんだよ」

 琉花の言葉に一瞬首を傾げた悠利は、それが「夫婦水入らず」だと納得すると、照れたようにうつむいてしまった零に笑いかけた。

「いいですね、是非ゆっくりしてきてください。
 琉花ちゃんをお迎えに来てくださる方は、もう登録はされている方ですか?」

 最近は世の中が物騒になってしまったせいで、この幼稚園でも登録をしてある人達以外は送迎が不可能になっていた。

「はい、新堂さんっていいます。
 いつも、琉花の事をとてもよく見ていてくれる人なんです」

「やったー、シンちゃんが来るの〜!
 じゃあ、明日はいっぱいあそんでくれるかなあ?」

 その名前を聞いた途端、琉花が嬉しそうにはしゃいだ声を上げ、零の回りを飛び回った。

 いつも実年齢以上に大人びて見える琉花の子供らしい喜び様に、悠利は驚いてしまったが、すぐに柔らかな微笑みを浮かべた。

「良かったね、琉花ちゃん──その人の事、好きなんだ」

「うん、だ〜いすきだよ、るかはシンちゃんのおよめさんになるんだもん。
 シンちゃんはねえ、かっこいいし、やさしいし、おもしろいの。
 だから、ママもシンちゃんの事は、大好きなんだって。
 でも、ママが一番大好きなのは、やっぱりパパなんだって、パパが言ってたよ。
 パパは、ママがほかの男を大好きっていうのが、気にくわないんだって。
 パパはわがままなんだって、シショーが言ってた。
 それでね──……」

 止めどなく続く琉花のお喋りに焦った零が、慌てたように止めに入った。

「こ、こら、琉花──もう、いいから。先生もお仕事でお忙しいんだから、ね?」

 悠利は、琉花のお喋りから得た情報で、頭の中に人物相関図を思い浮かべた。

(……ええと、パパとママがいて、琉花ちゃんのシショーと、シンちゃん……シンちゃんはシショーではなくて──)

 琉花の周囲には、随分と個性の強い大人たちが多いらしいと思い、悠利は苦笑を浮かべた。

 おそらく琉花は、周囲にいる大人達の会話をしっかり聞いて、そこからいろいろな事を学んでいるのだろう。

 もっとも、その全てが良い事かどうかは甚だ疑問であったが──。

 仲良く手を繋いで帰っていく琉花と零を見送りながら、悠利は自分の胸の中に強い羨望が沸き上がるのを感じていた。

 職場では他の先生や園児たちとにぎやかな時間を過ごせる。

 けれど、自宅の狭いアパートに帰ったら、家族も親しい友人も、恋人もいない。

(寂しいよね……一人きりで生きていかなければならないのは──。
 でも、他人と幸せの比べっこをしたら、途端に不幸になってしまうんだって、いつもお祖父ちゃんが言ってたな。
 僕はちゃんと働けるし、お給料ももらえているんだから、十分に幸せだって言えるんだし)

 そう自分に言い聞かせても、やはり一人で食べる食事はひどく味気なく思えてしまう。

 たった一人でいいから、自分と同じ時を過ごして、笑い合える相手がいればいい。

「僕のたった一人という人が……どこかにいるのかな──」

 もうすぐクリスマス──そのせいなのか、余計に一人でいることが心細く思えた。



 翌日も、相変わらず幼稚園は賑やかだった。

「うえ〜ん、ケンちゃんが、みかのクレヨンとった〜!」

「ちがわい! ちょっと、かりただけだもん!!」

「とった」「とらない」の攻防戦が、中川美香ちゃんと高島謙君の間で繰り広げられる。

 最初は様子を見ていた悠利も、二人がクレヨンを取り合ってつかみ合いを始めようする寸前、間に割って入ろうとした。

 ところが、その時──。

「うるせえ! みんなお絵かきしてるんだから、しずかにしやがれ!」

 とてつもない乱暴な言葉が、ひどく可愛い澄んだ声で響き渡った。 

 一瞬、誰が怒鳴ったのか判らず、悠利は立ちつくしたままオロオロと園児を見回した。

(……うるせえ? ……しやがれって、いったい、誰が──?)

 しかしその鶴の一声で、美香ちゃんと謙君の言い争いがぴたりと収まった。

 ぎゅっと唇を噛みしめて泣き出しそうになっている美香ちゃんと、ばつの悪そうな顔をしている謙君の間に、椅子から立ち上がった琉花がとことこと近づいていく。

(──ま、まさか、今の……琉花ちゃん?)

 母親である零の影響なのか、琉花の言葉遣いは感心するほど可愛らしい。

 まさかその琉花がそんな乱暴な言葉を使うとは信じられなくて、悠利はしばし唖然としていた。

「ケンちゃん、クレヨンかしてほしいんだったら、ちゃんと言わなきゃだめでしょ。
 ミカちゃんも、いちいちおーげさにさわぎたてないの、みんなにめーわくだよ。
 それに、いい子にしてないと、サンタさんがプレゼントもってきてくれないんだからね」

「え〜、サンタさん、きてくれないとやだ〜!」

「みかもやだ〜! いい子にする〜」

「じゃあ、みんなでお絵かきしよ。
 ケンちゃん、赤がいるなら、るかのかしてあげる」

 本日のお絵かきのタイトルは「サンタさんにお願い」であるため、サンタクロースを描いている子は、必然的に赤色の使用量が多くなるらしい。

 自分の赤いクレヨンが短くなってしまった謙君が、正面に座っていた美香ちゃんのクレヨンを使おうとしたことが、この騒動の原因らしかった。