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「どうしてシャチョーがお迎えなの?
 今日はシンちゃんがお迎えだって、朝、ママが言ってたよ」

 穏やかで優しそうな微笑を浮かべたその長身の男に、琉花はにこにこと笑いながら飛びついていった。

 その可憐な笑顔には、先ほど一瞬だけ見せた鋭い表情は欠片も見られない。

「新堂君はね、高宮に急用を押しつけられて、今、成田に向かってる。
 何でもお偉いサンが来るらしいよ、その筋の。
 その人をホテルまで送ったら、琉花ちゃんをお迎えに来るって言ってたな」

 琉花の頭を撫でながらくすりと微笑み、そして彼は思わずドキリとするような怜悧な眼差しを悠利に向けてきた。

「予定が変わって申し訳ないが、そういう訳なので、この子は私が7時までお預かりします。
 琉花を連れ出すのに、身分証の提示は必要でしょうか?」

 琉花に向けられていた穏和な雰囲気が一転し、冷静沈着に仕事をこなすビジネスマンの表情になる。

 フレームレスの眼鏡の奥で光る双眸は、威圧感こそないものの、どんなミスでも見逃さない鋭利な輝きを宿していた。

「えっと……登録をされた方でないと、お迎えがダメなんです。
 今、事務室の方に問い合わせますので、お名前をお願いします。
 あと、琉花ちゃんとはどういうご関係ですか?」

 男の迫力に怯み、思わず一歩後退っていた悠利は、それでも何とか聞くべき事を言葉にすることができた。

 そんな悠利の様子をじっと観察するように見つめながら、彼は手慣れた様子で黒革の名刺入れから名刺を取り出し、すっと差し出した。

「東山慶司です──これはプライベート用の名刺なので、連絡先はここに書いてあります。
 琉花の事で何か緊急の要件があれば、このナンバーに電話してください。
 それと、琉花との関係は……何にしましょうか?
 ──とりあえず、未来の夫とでも?」

 淡々とした東山の言葉を聞いていた悠利は、何を言われているのか一瞬理解できなかった。

 気後れしていた事も忘れて、思わず彼の端整な顔立ちをまじまじと見つめてしまう。

(……みらいのおっと? ──……未来のおっと? ────……未来の夫!?)

 その言葉が脳裡で漢字変換された途端、悠利は大きな目をさらにこぼれんばかりに瞠って、まだ5歳の琉花と、40歳前後に見える東山を交互に見つめた。

「……る、る、琉花ちゃんの、まさか婚約者なんですか?」

 どう見ても、この東山という男は、琉花より二回り以上は離れていて、そして母親の零よりも年上であるように見える。

(──まさか政略結婚? でも、琉花ちゃんのママが、そんな事考えるはずは……)

 あまりの衝撃に、悠利は目眩すら感じた。

 その瞬間、悠利を見返していた東山が吹き出し、さも可笑しそうにくつくつと声を立てて笑い出した。

「シャチョー、ゆーりせんせーをからかっちゃダメだよ。
 それに、るかはシンちゃんのおよめさんになるんだから、シャチョーとはケッコンできません。
 たいへんもうしわけありませんが、他にいいひと、さがしてください」

 両手を腰にあて、長身の東山を見上げる琉花の姿は、とても「申し訳ない」と思っている雰囲気ではなかった。

 その姿を見下ろし、東山は声を抑えるように口許を片手で覆って笑っていたが、しばらくすると苦しそうなため息をもらした。

「いいね、琉花ちゃん──その断りの入れ方、誰に教えてもらったの?」

「シショーだよ。
 それでもしつこいヤツがいたら、『パパに勝てたら、結婚してもいいです』って言えだって」

「う〜ん、確かにそれはかなりハードな試練だな」

 ようやく笑いが収まった東山が、それでも口許に笑みを残したまま呟いた。

 二人のやり取りを呆気にとられたまま見つめていた悠利は、そこでようやく東山にからかわれていたということに気づいた。

 とても冗談を言っている雰囲気ではなかっただけに、悠利は戸惑ってしまう。

(……この人……ひょっとして、結構、イイ性格してる?)

 そう言えば、ちょっと前に琉花が「アブナイ」とか何とか言っていたと思い出し、悠利は拍子抜けしてため息をついてしまった。

「ああ、先生、すみませんでした、驚かせてしまって。
 私の悪い癖なんです──可愛い人を見ると、つい……ね」

 眼鏡を外し、目尻に滲んだ涙を指先で拭いながら、東山が悠利に優しい微笑みを向けた。

「可愛い」と言われて眉を寄せてしまったが、その直後に彼の秀麗な──それ以外に言葉が見つけられないほどハンサムな素顔を見てしまい、悠利は硬直してしまった。

 年齢的にもう青年とは言えないのだろうが、成熟した男の威厳と色気が違和感無く同居し、もともと端整な容貌に魅力を与えている。

──ドキン……と凛の心臓が大きく拍動し、その後から急に鼓動が速くなった。

(……うわっ──! 僕、なんで、こんなにドキドキしてるんだ?
 僕は……別に、『ホモ』じゃないはずなのに──)

 どんなに綺麗な女性を見ても、今までこんなにドキドキして緊張した事などなかった。

 唯一の例外と言えば、天使のように優美な琉花の母親だけであり──しかしそれでも、これほど激しい動揺を感じるほどではない。

 動揺を隠すように内線に飛びついた悠利は、意外なほど簡単に許可が下りた事に驚いた。

 本来なら写真付きの身分証をコピーし、両親の確認をとってからではないと、子供を引き渡すことなどありえない。

 だが、電話口に園長が直々に出て、「その人は大丈夫」と自ら太鼓判を押した。

 つい今しがた、琉花の父親からも連絡があったらしい。

 何やら不審なものを感じながら、悠利は琉花と東山が待っている所まで戻った。

 激動する悠利の心境には全く気づいた様子もなく、眼鏡をかけ直した東山は、二人の大人を見上げている琉花の頭をもう一度撫でた。

「それじゃあ、琉花ちゃん、とりあえず会社に戻って、新堂君が戻ってくるのを待ってようか。
 新堂君が帰ってきたら夕ご飯を一緒に食べて、それから鎌倉に行けばいい」

「うん! 下の会社にシロちゃんがいたら、またセンソーごっこしてあそぶの」

 にこにこと笑う琉花を見下ろし、東山は軽く片眉をつりあげて苦笑した。

「戦争ごっこねえ……琉花は女の子なのに──。
 やっぱり、周囲にいる大人が悪すぎるせいなんだろうな……」

 独白するような東山の呟きに、悠利は思わず笑い出しそうになってしまった。

 どうやら、琉花に対して微妙な違和感を感じているのは、自分だけではないらしい。

 くすりと微笑んだ悠利を見返し、彼は唇にふっと微笑を刻むと、ひどく穏やかで──愛されているのではと錯覚しそうなほど優しい眼差しを注いだ。

「──では、そろそろ失礼します、お世話になりました。
 行こうか、琉花ちゃん」

 琉花の手を引きながら立ち去っていく背の高い後ろ姿をぼんやりと見送りながら、悠利は何とも言えない孤独と寂寥を感じていた。

「……さあて、お迎えはあと智君のママだけだ」

 ぽつりと自分を励ますように呟き、凛は両手を空に向けて伸ばし、ぐっと背伸びをした。